第1話 王都の屋敷にて
長い冬に入り、リューネベルク公爵領がさらに過酷な環境へと変わる頃。
私は——
(……懐かしいわね)
前の人生で、長い時間を過ごした王都の屋敷の前に立っている。
「ここが、王都のお屋敷ですか……すっごい立派ですねぇ。もしかして、リューネベルク公爵領のよりも凄くないですか?」
「……そうね。王都は王のお膝元だもの、実用性よりも見栄えを重視するのは当然よ?」
「そう思うと、なんだか……ちょっとだけ、堅苦しく感じますねぇ。けど、このお屋敷の地下にはアレがあるんですよね?」
「えぇ、多少毒気は落ちるけれど、効能としては十分よ?」
ここにももちろん、リューネベルクの象徴である青薔薇はある。
庭一面に咲き誇った、美しい薔薇の庭園。
それだけではなく、陽の届かない地下には……毒を宿した薔薇も静かに根を張っている。
(……毒気が落ちても、今の状態を維持するには十分な量は確保できるもの)
とはいえ、歳と共に月籠りが始まった以上、どうしても耐性が落ちてしまう時はある。
以前は元の状態に戻すまでに、半月もの時間を費やしたけれど……今は違う。
魔封じの首輪と、執事長からの教育を受けたリゼのおかげで、一週間もあれば、元の状態に戻せるようになった。
「——さて、お嬢様? これからどうしますか?」
王都の屋敷に駐在している使用人たちに案内され、お父様の指示で用意された部屋に通された私たちは、荷物を預けると室内のテーブルについた。
対面に座っているリゼが、物珍しそうに周囲を見回しているのを見ると、以前の人生では専属がいなかったから、なんだか不思議な感じがする。
「えっと……お嬢様?」
「ふふ、ちょっと長旅の疲れで、ぼんやりとしてしまったみたい。……そうね、リゼはどこか……行ってみたいところはある?」
「行ってみたいところですか? んー、王都は初めてなので、お散歩がてら周辺を散策してみたいですねぇ」
散策と聞いて、過ぎ去ったあの頃を思い出す。
そういえば……私が初めて王都に来た時は、まるで待っていたかのようにレクトールが王都の屋敷に訪ねてきた。
(……そのまま、王家が贔屓にしている施設を回ることになったけれど、今は関わりたくないわね)
「それなら、すぐに行きましょうか。私もちょうど……王都を見て回りたかったのよ」
「本当ですか? なら、すぐにでも馬車を手配するので、少しだけ待っててくださいね?」
「あら、馬車なんていらないわ。むしろ……そうね、歩いて行くのはどう? ここは王都だもの。別に貴族が外を歩いていても、それほど珍しくはないわ」
馬車で移動してしまったら、リューネベルク公爵家の紋章を周囲に見せつけて動くようなもの。
それこそ、レクトールに「私はここにいます」と知らせて回るような、愚かな真似はしたくない。
「なるほど、わかりました! お嬢様はお忍びで王都の街を見て回りたいってことですね?」
「……え?」
「お嬢様は、相変わらず素直じゃないですね。けど……そんなこともあろうかと、領地のお屋敷を出る前に、執事長にお願いして、こんなものを用意してもらいました!」
リゼが、控えていた使用人から大きなカバンを受け取ると、中から……あの時に袖を通した、庶民の服を取り出して、広げて見せる。
「なんとこの服、執事長にお願いして、大きさも、今のお嬢様に合わせてもらったのですよ?」
「わざわざ、このような物を用意しなくても、私は別に……よかったのに」
「何を言いますか! お嬢様、これはいわば、二回目の庶民体験ですよ? ほら、張り切っていきましょう!」
そして、あれよあれよという間に、リゼと使用人たちの手で着替えさせられた私は、青薔薇の髪留めで、長い銀の髪を綺麗にまとめあげられた。
「……レースの手袋は仕方がないとしても、青薔薇の髪留めは目立つのではなくて?」
「たしかに目立つとは思いますけれど、私も使用人の皆様も、これだけは絶対に譲れませんよ? だって……もしはぐれたら、私がお嬢様を見つけられなくなっちゃうじゃないですか!」
それはもはや、リゼの私情が混ざっているような気がするけれど、使用人たちが無言で頷いているのを見て、言葉を静かに飲み込む。
ただ、こうやって誰かに心配されるのは、少しだけこそばゆいけれど、悪くはない……と思う。
「では、お嬢様、行きましょうか! ……あ、ごめんなさい。その前に、皆さん、このことは内緒ですよ? あと、夕飯までには帰ってくるので、温かい料理を作って待っていてくださいね?」
使用人たちが静かに腰を下げて、私たちを送り出すように部屋の扉を開ける。
そして、リゼに手を引っ張られながら、できるだけ人目につかない裏口から、屋敷の外へと出た。
「……なんだか、悪いことをしているような気持ちになるわね」
「けど、こういうのも楽しくありません? オフィーリアちゃん!」
「オフィーリアちゃんって……あなたね。あぁもう、わかったわよ、リゼお姉ちゃん……これでいい?」
「はいっ! 今からオフィーリアちゃんは私の妹で、私がまた、お姉ちゃんですよ!」
私の専属であることを示す、胸元に青薔薇の飾りがつけられた使用人の服をリゼが着ている以上、お忍びというには目立ちすぎるような気がする。
けれど……私の髪留めと合わせれば、何も知らない者たちからしたら、髪色さえ何とかできれば、仲の良い姉妹には見えるかもしれない。
(……こういう時のために、今度はリゼと同じ髪色の染め粉でも、買ってもらおうかしら)
そう思いながら、リゼと手を繋いで歩き出して——しばらくした時だった。
陽に焼けたような、健康的な肌色が印象的な少女とすれ違った。
いや……違う。すれ違って、しまった。
「あんれ? ここらでは見ない人っすね!」
声がした方向に振り向くと、不自然なほどに背中が開かれ、腰回りが大きく露出した服を着た彼女が、そこにいた。
「あ、でも……その青い薔薇の衣装って、もしかして、すぐそこのリューネベルク公爵様のお屋敷の人っすか? いやぁ、初めて見たなぁ!」
私の視線の先で、普段は衣服に隠れているのだろう白い肌と、おへそが見えていた。
「あ、あな……あなたっ! なんて格好をしているの? はしたないじゃない!」
特徴的な姿とはいえ、どこかグランツェルの貴族が着る意匠を残したドレスを見て、咄嗟に声を荒げてしまう。
「え? はしたないって、これくらい……辺境じゃ当たり前っすよ?」
——これが、私と黄昏辺境伯の令嬢、サフィーラ・マリーネ・フォン・ソルライトとの、初めての出会いとなる。
視界の先で、何を言っているのかわからないとでも言いたげに首をかしげる彼女が、私の最も親しい友になるとは。
この時はまだ……知る由もないのだった。




