幕間 僕の、私だけの蒼い月
——扉が開いた瞬間、広間の灯りが一段、冷えた気がした。
月の光を映したような銀の髪に、咲き誇る薔薇色の瞳。
雪のように白く、陶器の人形のように完成された令嬢が……そこにいた。
(……美しい)
これだ。
王家の太陽に、ただの花など似合わない。
金も、宝石も、従順な令嬢の笑みも、すでに見飽きた。
(彼女は……彼女だけは違う)
極寒の地に咲き、誰もが遠巻きに眺めるしかないリューネベルクの青い薔薇。
それが僕の隣に立てば、誰もが理解するだろう。
太陽に選ばれる姫とは、こうも特別な存在なのだと。
「——彼女が、我が国の月。リューネベルクの姫君、オフィーリア様ですか?」
言葉は自然に出た。
褒めたのではない……見つけたのだ。
隣で輝くために生まれた、愛されるべき月を。
彼女も受け入れるはずだ、この僕が君を欲しているのだから。
——しかし、僕のオフィーリアは、どんなに時間が経っても振り向くことはなかった。
それどころか、アルフォンスと親密な関係になっているように見える。
なぜだ、なぜ……愚弟に親しげな視線を送るのか。
僕、いや……私とは違い、王としての才に恵まれず、ただ剣を振ることしか能のないくせに。
「……あいつはいったいなんなんだ」
リューネベルクの屋敷に用意された部屋で一人、誰に聞かせるわけもなく鏡の中の自分に問いかける。
才がないくせに、あいつの周りには自然と人が集まって、私が真に欲しい物を全て奪い去っていく。
気がついたら周囲にいるのは、私にとって都合の良い駒しかいない。
いくら忠誠を誓ったふりをしていても、わかってしまう。
彼らは私を信用していても、信頼はしていないのだと。
「けど、オフィーリアは理解してくれた」
まるで、昔から知っているかのように、私の考えを言い当てた。
どうやら聡明なだけではなく、私と同じような異物なのかもしれない。
「欲しい、アレが欲しい。誰に奪われることもなく、私のためだけに隣で輝く月が欲しい」
けど、そうなるとあの女が邪魔だ。
リゼットと言ったか……オフィーリアの専属というが、全くもって彼女に見合っていない。
王家の人間に対して、あまりにも失礼な物言いと距離感。
いくら愚弟が許したとしても、私は決して許さない。
「とはいえ、リゼットをオフィーリアから離すのも危険か……厄介だ。なら、いっそのことアルフォンスの真似をしてみるか」
愚弟の真似をするのは不快だが、オフィーリアの信頼を手に入れるためなら、多少の苦渋も飲み込んでみせよう。
けど、その後はどうする? 彼女は聡明だ……きっと私のこの考えも全て、見透かしているのだろう。
「……庶民体験と言ったか。そこで民衆を巻き込んで、外堀から埋めてしまうのも良いかもしれないな」
いくら先を見透かされているのだとしても、逃げ場を無くしてしまえば意味がない。
盤上の駒を動かすのと同じだ。クイーンを盤上で追い詰めるのなら、周りの兵を友好的に使うべきだろう。
——だが、庶民体験は思いもよらぬ方向へと動いていく。
見透かされただけではなく、見事に防がれた。それどころか……この私が、庶民の服に袖を通すことになってしまった。
そして、店先で見つけた遊戯盤を前に、私は再び彼女の異質さを思い知らされることになる。
「……レクトール。あなたがアルフォンスに勝てる理由が……なんとなくわかったわ。あなた、意図的に隙を見せて……誘導しているのではなくて?」
「おや? それがわかるだなんて、さすがだね。この戦術を見抜けるのは……よほどやり込んでいるか、盤面を見る才能がないと難しいのに、驚いたよ」
「そうかしら? なら、私には盤面を見る才能があるのかも……しれないわね」
卓上遊戯に触れるのは初めてだというのに、私の戦術を見抜いて見せた。
それどころではない、僅差の実力で負けたように見せているが……違う。
(勝利を譲られるだなんて、オフィーリア。君はどこまでも聡明で、いや……そうじゃない。わかった、本当の意味で理解ができた。彼女は私と同じ、同類だ)
私たちのような存在は、誰にも真に理解されることはない。
どんなに相手を知ろうとしても、寄り添おうとしても、そもそもの在り方が違う。
生まれながらに、国を支配する太陽として選ばれた私と、私に選ばれるために咲き、リューネベルクの月として祝福されたオフィーリア。
(……君の孤独も、未来も全て、私のものにしてしまいたい)
けれど、月に恋焦がれれば、焦がれるほどに、太陽との距離は離れていくものだ。
なら……彼女との間にある壁を、一つずつ取り払ってしまえば? たとえば、オフィーリアの周囲に置く人間を、私の手で選び直す。
(私が選んだ人材だけで囲い、誰とも親しくならないようにすれば、君の前には私しか残らない)
少しずつ駒を動かして、侵食していけば……確実に私の物にできる。
そうすれば、君の孤独も癒せるだろう。生まれながらに孤独を背負う存在には、唯一の理解者が必要だ。
後は……多少なりとも火種があれば、私の卓上が完成する。
——しかし、その火種は思ったよりも早く訪れた。
「それで? 君はいつまでそこに隠れているつもりだい?」
「おや、影に紛れていたつもりなのに……よくわかりましたね」
「たしかに暗い店内にうまく紛れていたとは思う。けれど……店の奥に消えてから、一向に姿を現さないところまで思考を広げれば、君が近くにいることくらい、容易に想像がつくよ」
オフィーリアが攫われ、アルフォンスがその後を追った後、明かりの消えた店内で、後に彼女から女隊長として呼ばれる店員と邂逅する。
「驚かないでいい。それよりも……実は人の手当てをしたことがなくてね。悪いけど、私がやったように見えるように、手伝ってもらえないかな?」
「手伝えってあなた、正気なの? 私が……何者かわかってる?」
「もちろん、わかっているさ。君が目撃者を消しに来たことも、そして……骸公爵に悟られることなく、リューネベルク公爵領に潜伏できる類い稀な才能の持ち主であることも。彼らのリーダー格であることくらいはね」
女隊長が動揺したかのように、数歩下がる。
そして……自分を落ち着かせるように、ゆっくりと深い呼吸を繰り返すと、意を決したかのように、無言でリゼットの手当てを始める。
「素晴らしいね。君の名前を憶えたくなったよ……よければ、教えてもらってもいいかい?」
「……オリヴィアよ。エス——生まれのオリヴィア」
「エス——……あぁ、なるほど。噂には聞いたことがあるよ。つまり君は——の者だね?」
まさか……ここで、このような存在に出会えるとは思いもしなかった。
「……オリヴィアと言ったね。君が応じてくれるのなら、取引をしてくれないか?」
「取引? まさか、私をここから逃がしてくれるとでも言うつもり?」
「もちろん、それもあるけれど、一番は……これさ」
懐に隠していた、王家の紋章が刻まれた短剣を取り出す。
「これがあれば、君はこの国のどこにだって行ける。その意味が……君ならわかるはずだよ?」
「……これで私に何をしろと?」
「簡単さ。弟が邪魔をするなら、退けても構わない。けれど、オフィーリアには手を出さないでほしい」
「それだけではないと思うけど?」
これは……思っていた以上に、聡明な駒のようだ。
裏にいるであろう、エス——に連なる者も、彼女を従えているあたり、もしかしたら私たちと同じ類の存在なのかもしれない。
そう思うと、この盤面が面白く思えてきた。
「君を従えている主人に会わせてほしい。それが無理なら……その主人が私に何を望むのか、言伝だけでも持ち帰ってもらえないかな?」
「……期限は?」
「来年の夏頃にしよう。実はね……我が国の宮廷貴族の一人が、魔法の力で、来年の夏頃にグランツェルで大規模な飢饉が起きると予言していてね。それが現実になった場合、君は商人でもあるのだろう? 後は言わなくてもわかるはずだ」
「あなた、本当に子供? まぁ……いいわ。安全に逃がしてくれるなら、喜んでその取引に乗らせてもらうわ。けど、その前に」
オリヴィアが腰に差している短剣を抜いて、私に近づいてくる。
「このままあなたが無傷のままだったら、後で疑いの眼差しを向けられるようになるわ。あなたも、わかるわよね?」
「……もちろんさ。けど、やるなら、血が勢いよく出る場所にしてほしいね」
「難しい相談ね。けど……その願いを聞いてあげるわ。暫くは毒で痺れるだろうけれど、後はうまくやってちょうだい」
「はは、どうかお手柔らかに頼むよ」
オリヴィアと取引をして、彼女を逃がした後……盤面の通りにオフィーリアたちが帰ってきた。
そして……リューネベルクの屋敷へ戻ってから、私は——【大人になった愛しい彼女】の首を落とす夢を、幾度となく見るようになった。
(……私はこの夢を知っている)
王家の血を引く者は、未来の可能性が増えた時に……夢として、未来の断片を見ることがあるという。
どうして私が、オフィーリアの首を落としたのかはわからない。
けれど……愛しい君を手に入れるために必要な未来だというのなら、これすらも盤面に取り入れて、自分自身でさえも上手く扱ってみせよう。
私の隣に立つ存在は君しかいないのだから。




