第27話 青薔薇は返り咲く
夏が過ぎ、私もまた一つ歳を重ねたころ、このまま顔を合わせることすらなく、王都へ行くのだろうと思っていたのに、まさか——
「メルク、この子があなたの姉上、オフィーリアですよ」
「……あーえ?」
「そう、姉上ですよ」
生まれてまだ、一年と少ししか経っていない。
私の弟で、リューネベルク公爵家の次期当主――メルク・シアン・フォン・リューネベルク。
生まれながらに、美しい銀の髪と薔薇色の瞳を持つ、リューネベルクの青い薔薇そのもののような幼子。
そして……その子を愛おしげに抱いているお母様の姿がそこにある。
「オフィーリア、あなたが私の部屋に呼ばれた意味がわかりますか?」
「いえ、その……わかりませんわ」
「わからないだなんて、酷い姉上ねぇ。メルクが生まれてから、一度も顔を見せに来なかったじゃないの」
会いに行かなかったのは、弟とどう接すればいいのか、わからなかっただけ。
それに……産後で、体調を崩したお母様に無理をさせないようにという、私なりの気遣いだったけれど、部屋に呼び出されるだなんて思わなかった。
「責めてるわけではないのよ? ただ、可愛い一人娘が誘拐されそうになったり、王家との取り決めで双子の太陽と顔を合わせたりしているというのに、そのことをセレナイドからしか聞くことのできない母の気持ちは、わかるかしら?」
「……ごめんなさい。しっかりと会いに行くべきだったと、思いますわ」
「謝罪をしてほしいわけではないの。私はね……寂しかったと伝えたいのよ?」
お母様がメルクを乳母に預けると、杖を手におぼつかない足取りで、ソファーへと歩いてくる。
そして、私の隣に座ると、頬に触れて微笑む。
「ねぇ、オフィーリア? あなた、アルフォンス殿下を選ぶって決めたのよね?」
「はい、けど……それは——」
「理由はいいのよ? あなたが選んだのでしたら、母としては何も言うことはありません。けれど、セレナイドが王家へ伝えた返事の内容はわかっているわね?」
「わかっている、つもり……です」
あの時、レクトールがお父様に渡した、国王からの手紙に対する返事。
本来ならば、アルフォンスの後ろ盾になることを伝えるはずだったそれは——
『領主としてではなく、一親として娘と双子の太陽に一任する』
とだけ書かれて、返された。
(……ここで、アルフォンスの後ろ盾になると返事をしていたら、大きな問題になってしまうもの)
あの誘拐事件でリューネベルクは、レクトールに大きな借りを作ってしまった。
ここでアルフォンスの後ろ盾になると書いてしまったら、彼への恩を踏みにじる形になる。
そうなった時のことを考えたら、お父様の判断は……正しかったと思う。
「……私としては、あなたの性格的にも相性がいいのはアルフォンス殿下だと思います。ですが……リューネベルクとしての利益を考えるのなら、レクトール殿下に傾く理由も、わかりますわね?」
「ですが、それでも私は……選ぶのなら、アルフォンス殿下がいいわ」
「それは、恋慕かしら? それとも……二人を比べたうえで、アルフォンス殿下の方がよいと判断した結果?」
「恋かどうかはわからないわ。けど、彼の真っ直ぐなところや、人に寄り添える優しさを見ていると、彼がこの国を率いる姿を見たいと……思ったのよ」
ここで、私が死に戻る前の記憶や、あの時にアルフォンスがしてくれたことを話せたら、どんなに楽だろうか。
(……無理ね。仮に話せたとしても、こんな非常識なことを信じてくれる人なんていないわ)
「ねぇ……あなた、本当に私の知っているオフィーリアなの?」
「……お母様?」
「セレナイドから、急に大人びたと聞いた時は、あの我がままで、自尊心の強いあなたに限って、そんなことはないと思っていたのだけれど……それでも、しばらく会わない間に変わりすぎではなくて? まるで……見ることができないと思っていた、成人した娘を見ているようね」
お母様のすべてを見透かしているかのような言葉に、部屋の空気が静まっていく。
前の人生では、メルクが生まれて以降、今のように歩くのに杖が必要になってしまったし、私が首を落とされる前には既に、自分の脚では立てず、ベッドに寝たきりの状態になっていた。
「……そういえば、オフィーリア。王家の魔法には、古い言い伝えがあるらしいわよ? 大切な誰かを救うために、自分の未来と命を太陽に捧げる秘儀があるのだとか。……あなたは、そういう話を信じる?」
「信じると言ったら、お母様はどうするのかしら?」
「ふふ、なにもしないわ。ただ……今のあなたを見ていると、そういう秘儀に触れたのだと言われたほうが、この変化にも納得がいくと思っただけ」
何もかも見透かしたように微笑むお母様に、なんて言葉を返せばいいのかわからなくなっていく。
「オフィーリア。あなたは知らないでしょうけれど、リューネベルク家とグランツェル王家には、すっかり薄くなったとはいえ、同じ血が流れているのよ? 長い歴史の中で、太陽と月に分かれてしまったの」
「それはつまり、私にも王位継承権がある……ということかしら?」
「正しい歴史を知っている者がいるのなら、そう言うでしょうね。けれど、この真実を知っているのは、リューネベルクの中でもごく限られた者だけ。そして……王家の秘儀を、悪用されぬよう月の影に隠したのも、青い薔薇のリューネベルクなの」
お母様が、乳母に部屋から出ていくように目配せをする。
そして、メルクを抱いたまま、静かに退室するのを見送ると……ゆっくりと目を閉じた。
「……これは、現当主のセレナイドも知らない、隠された事実よ。王家の秘儀に触れた者は、唐突に、その瞬間から人が変わったように見えるらしいわ。そして……未来を見据えたように動き、国の破滅を防ぐというわ」
「つまりお母様は、私がその……王家の秘儀に触れたと言いたいのね?」
「そうね。中には誰も知らない未来を当てる予言士のように、時には、戦場で必ず勝利をもたらす一騎当千の騎士となって、グランツェルを正しく導いていくそうよ」
どうしてそのことをお母様が知っているのか気になるけれど、きっと……聞いても教えてはくれないだろう。
だってお母様も、リューネベルクだから……月は決して、影を表に出すことはない。
「お母様から話していただいたことが事実なら、たしかに私は……王家の秘儀に触れたことになるわ」
「やっぱり……そうなのね。けど、私はあなたがどのような未来を知り、何をしようとしているのか、その結果、グランツェルがどうなろうと興味がないの」
「それならお母様は、私をどうしたいの?」
「どうもしないわ。ただ……そう、後悔のない生き方をしてほしいだけ……月は太陽が無ければ輝けないように、あなたの人生は、あなたがいなければ歩むことができないでしょう?」
お母様が私を優しく抱きしめ、子供をあやすように背中を叩き始める。
「あなたが知った未来で何が起きたのかも、あなたの母は聞きません。これから先、どのような決断をして、国を救うのだとしても、はたまた……滅ぼすのだとしても、あなたが後悔していなければ、それでいい」
「……お母様」
「アルフォンス殿下を選んで、オフィーリアが幸せになれるのなら、好きにやってみなさい。たとえその道が、辛く険しい道だとしても、あなたにはもう……自分で未来を選び取るだけの力があるのですから」
私を抱きしめていたお母様が、少しずつ身体を離していく。
そして、杖を手にゆっくりと立ち上がり、おぼつかない足取りでベッドに向かうと、静かに腰かける。
「オフィーリア、母はもう……今日は疲れました。もしかしたら、あなたとこうして話せるのは今日が最後かもしれない。けれど、そうね。私の娘の人生に、幸があらんことを心から願っているわ」
「……えぇ、お母様も、どうかいつまでも……健やかに過ごしてちょうだい」
ソファーから立ち上がり、お母様に背を向ける。
これ以上ここにいたら、どんな顔をすればいいのか、わからなくなりそうで、きっと今、振り向いてしまったら、貴族学校に行けなくなってしまいそう。
そう思うと……扉へ伸ばした指先が、ほんの少しだけ震えてしまう。
だから私は——
「ありがとう。……オフィーリア、リューネベルクの月の祝福があらんことを」
静かに扉を開けて、部屋から出ると、足元から冷えていく。
全てを凍てつかせる冬の到来を感じ、王都の屋敷へと向かう日が刻一刻と近づいてくる現実に、心が涙を流した。
(お母様、お父様。私はもう間違えない。だから……私の選んだ未来をどうか、見守っていてね)
ここから本当の意味で、私のやり直しが始まる。
昏き深淵に沈んだ命を救いあげてくれた彼と歩むために。
今度こそ、決して間違えないために——。




