第26話 青薔薇の香りと想いを彼方へ
あれから季節が一巡して、再びリューネベルクに夏がきた。
いつものように肌を刺す冷たさは変わらないけれど、それ以外には、確かに変わったことがある。
「お嬢様、今月も例のお手紙が届きましたよ!」
「あら、ありがとうリゼ。ふふ、本当……律儀よね、毎月手紙を送ってくれるだなんて」
以前とは違い、少しだけ大人びたリゼが、手紙を持って私の部屋に入ってくる。
けれど、元気なところだけはいつまで経っても変わらず、ノックをした直後、返事を待ちきれずに入ってくる彼女に、どこか微笑ましさすら感じてしまう。
「それにしても、最初は驚きましたよねぇ。アルフォンス殿下たちが帰った翌月に、お嬢様と文通をしたいって、王家の紋章入りのお手紙が来るんですもの」
「あれには、本当に驚いたわね。けれど……今ではこのやり取りも、当たり前になってきたわ」
リゼから手紙を受け取り、ペーパーナイフで封を切る。
そして、中から一枚の手紙と、かすかに甘い香りのする押し花を取り出す。
「……あ、今回は夏の花を押し花にして送ってくれたんですね」
「そうね。……それに、今月の手紙はいつもよりも面白そうよ?」
二人で手紙の内容に目を通す。
今年はリューネベルクを除いたグランツェル全域が、大規模な飢饉に見舞われたけれど、レクトールがどこからか連れてきた商団によって、死者は最小限に抑えられたこと。
「そして、その商団の中に、見覚えのある女性の姿があった……と」
「あの、お嬢様……それって、もしかして」
「えぇ、レクトールはどうやら……あの誘拐未遂事件の黒幕と接触したようね」
どうやってレクトールが、女隊長の裏にいる黒幕と接触できたのかは私にはわからない。
けれど……ここ一年で、それなりに仮説を立てたりはしていた。
(……たぶんだけれどレクトールは、前の人生でも同じように黒幕と繋がっている)
想像の域を出ないとはいえ、もしそうだとしたら……前の人生では、私と歳の近い血縁の誰かが連れ去られていたのだろう。
レクトールがどうやって、そのことを知り、黒幕と接触したのかは……私では予想すらできない。
けれど、彼が……リューネベルクの毒について一定の理解を持ち、私を使って五大貴族を滅ぼしたことを考えると、黒幕を通じて青薔薇の毒のことを知ったのかもしれない。
「はえぇ……さっすがレクトール殿下ですねぇ。リューネベルクでも調べきれなかった相手と接触できるだなんて、お嬢様、すごいと思いませんか?」
「ふふ……そうね」
それに貴族学校での件もそうだ。
彼が私の人間関係を支配していたのは、既に繋がりを持っていた黒幕と私を会わせないためだったとしたら? だいぶ妄想が入り混じった強引な推理だとは思うけれど、私の中ではつじつまが合う。
「あとはそうね。あの時に遊んだ卓上遊戯で、また皆で遊びたいそうよ?」
「あぁ……あの、【シージ】ですよね? お嬢様も知っての通り、今の私は強いですからね。アルフォンス殿下やレクトール殿下も一瞬で倒しちゃいますよ?」
「あら、それは私を倒せるようになってから、言わないとダメよ?」
意外なことに、リゼには盤面を読む才能があるようで、卓上遊戯に触れて以降、執事長の厳しい指導の下、その才を開花させている。
ただ……ひとつ問題があるとすれば、とても直感的な面が大きいらしく。
『……これは私にも制御は不可能です』
と執事長から、匙を投げられてしまった。
まさか、お父様が最も信頼する、軍師とも執事とも言える彼に、そこまで言わせるとは思わなかった。
けど……彼のおかげで、最低限とはいえ言葉遣いが改善されたことには、心の底から感謝しているし、尊敬もしている。
(これなら王都に連れて行っても、問題はたぶん……ないわね)
「……私がお嬢様に勝てるわけないじゃないですか! もう何度も遊んで、私の癖なんて全部、知り尽くされちゃってるんだから、無理ですよ」
「そう? 真の軍師は、手の内を読まれたうえで勝敗を見極め、勝てる時は手を緩めないものよ?」
「もぅ、私は軍師じゃなくて、お嬢様の専属ですよ?」
「ふふ、もちろん、わかってるわ。リゼも……これが冗談だって、もうわかっているでしょう?」
「……相変わらず、そういうところは意地悪ですね。もう慣れちゃいましたけど」
慣れたといえば、青薔薇の毒にもだいぶ身体が適応した。
お父様から、あの時に付けていた魔封じの首輪と鍵を受け取り、執事長の管理のもとで、リゼに手伝ってもらいながら、身体を壊さない範囲で摂取を続けてきた。
(以前の人生では、五枚程度が限界だったけれど、まさか……七枚までいけるだなんて、思わなかったわね)
首輪を使うと決めた時は、お父様に止められはしたけれど、驚異的な速度で適応し始めた私を見ているうちに、徐々に何も言わなくなった。
(……これくらいならまだ、容姿に異常が出るほどではないわね)
十枚を超えた時点で、身体は青薔薇の毒を取り入れなくても、内側で毒を生み出すようになる。
十五枚目に差しかかるあたりからは、目が落ちくぼみ、血色も失われていく。
(……そして、二十枚目――すべての花弁に適応し、一輪の薔薇へと至った者は、骸に近い容姿へと変わる)
私には到底、手の届かない領域だ。
現に、七枚目へと至ったからわかる。
これ以上は進むことができないけれど、この状態でも魔力で生成できる毒は、以前の比ではない。
「あ、お嬢様。お手紙のここ、見てください」
「ん? そこがどう……ふふ、アルフォンスらしいわね」
リゼが指差したのは、文末に小さく添えられた一文だった。
『来年、オフィーリアが貴族学校に通えるようになったら、兄上と迎えに行くから一緒に通おう』
レクトールがそこにいることには、いささか不安もあるけれど、今はそれでも構わない。
少なくとも、今の人生では……私以外に、大きな問題を起こしていない彼から、意図的に距離を取れば、それこそ目立ってしまう。
「ですねぇ。お嬢様、王都に行く楽しみが増えましたね」
「あら、リゼも王都に行くのだから、楽しみはあなたも共有するのよ?」
「んー、ですけど、貴族学校にはお貴族様と、世話役の使用人だけしか入ることができませんよね? 私は専属ですけど……本当に、いいんですか?」
「いいもなにも、あなたは私が選んだ専属よ? レクトールは嫌な顔をしそうだけれど、誰にも文句は言わせないわ」
彼からすれば、私との距離を詰めようにも、理屈より先に感情で動いてくれるリゼが側にいるだけで、大きな障害になるだろう。
けれど、それだけじゃない、何よりも……私は、彼女に側にいてほしい。
「……さて、そうと決まればそうね。リゼ、手紙を書くわ。便箋と青薔薇の香水、あとは封筒と封蝋を用意してちょうだい」
「そう仰ると思って、既にご用意してます!」
リゼは、肩から下げた小物入れから必要な道具を取り出すと、テーブルの上に並べていく。
「さすが私の専属ね。とても有能で、心強いわ」
便箋の上に、インクを含ませたガラスのペン先を滑らせていく。
いつものように、手紙を受け取ったお礼と共に、一緒に貴族学校に通える日を楽しみにしているという返事。
そして、年の変わりとともに、王都にあるリューネベルクの別邸に移動することを書き連ねる。
「……あとはこれで終わり、ね」
香水を封筒に数滴垂らすと、便箋を中にしまい、封蝋で封をする。
「リゼ、これをいつものように執事長に渡してちょうだい。必要なら中身を確認してもらっても構わないわ」
「わかりました……でも、乙女の秘密を守るために、中身は絶対に見られないようにしますので、ご安心くださいね!」
「ちょ、ちょっと……リゼ? リゼット?」
私から封筒を受け取ったリゼは、呼び止める声にも振り返らず、部屋から出ていく。
一人取り残された室内で、甘い青薔薇の香りが、静かに鼻孔をくすぐった。




