第25話 月は娘に道を譲る
レクトールたちは、お父様と何事かやり取りをした後、しばらくして王家の馬車に乗り、屋敷を発っていった。
できることなら窓からではなく、直接アルフォンスのことを見送りたかった。
けれど、必要がなければ部屋から出られない以上は、しかたがない。
——そして今、私は屋敷の執務室にいる。
「お帰りなさいませ、お父様。この度の視察はどうでしたか?」
「……有意義なものではなかったな」
椅子から立ち上がったお父様が、執事長から受け取った鍵を手にして、こちらへ近づいてくる。
そして……骨ばった手で首輪に触れると、鍵穴に手を伸ばす。
「娘が誘拐されかけたと聞いて、平静を装うことができるほど……私は冷たい人間ではない」
「……お父様?」
「できることならば……視察を切り上げて帰りたかったが、立場がそれを許さない」
「そのくらいのこと、言われずともわかっておりますわ。むしろ……そうですわね、私のために領主としての責務を放棄したと聞いたら、娘としてはいささか、思うところがありますもの」
乾いた音と共に錠が外れ、首輪が床に落ちた。
「……問題なく外せたようだな」
再び体内に流れ始めた魔力によって、青薔薇の毒が調和されていく。
氷のように冷え切っていた身体が熱を取り戻し、呼吸が楽になった。
「ずいぶんと……無理なことをしたようだな。オフィーリア、魔力が封じられているというのに、青薔薇の毒を必要以上に取り込むとは……何を考えている?」
「ふふ、お父様……これは必要なことですわ。私が弱いままではまた、リゼを傷つけてしまいますもの」
「……そうか。だが、理由があるとはいえ、その行いは親としても……領主としても、感心はできないな。以後はできるだけ控えなさい」
「寛大なお心遣いに感謝いたしますわ。けど、お父様? 私……もうすぐ三枚目にも手が届きそうですのよ?」
小さく溜め息を吐いたお父様が、何も言わずに執事長へ目配せをする。
「……私は、執務に戻りますゆえ、これにて失礼いたします」
「リゼの指導、お願いするわね? あの子はほら……わかるでしょ?」
「承知いたしました。オフィーリア様が貴族学校へ通われる歳になるまでに、立派な専属として、リューネベルクに恥じないよう……無理だとは思いますが、主に言葉遣いの教育をいたします」
静かに頭を下げて部屋から出ていく執事長を見送ると、お父様は私にソファーへ座るよう促した。
「オフィーリア、おまえには大変すまないことをしてしまったな」
「……謝罪なんていりませんわ。それより、ローゼンヴァルトの件について、何か進展はありましたの?」
「進展か……私の方でも調べてはみたのだが、よほど念入りに計画を練っていたのだろうな。これといって、有力な情報は一つとして出てこなかった」
「お父様でも、情報を得られないだなんて……なんだか、不気味ですわね」
ソファーに沈み込むように腰を下ろして、私なりにあの事件のことを考えてみる。
「ねぇ、お父様? エスっていう名前に聞き覚えはあるかしら」
「……覚えはない。少なくとも、グランツェルにはいないはずだ」
「そう……犯人たちは祖国と言っていましたものね。わかってはいましたけれど、やはり外の……」
「執事長から受け取った情報を基に、その線で探ってもみたが……エスとつくものはあまりにも多い。特定は困難を極めるだろうな」
お父様がそこまで言うのなら、現状で私たちにできることはないに等しい。
「……認めたくはないが、レクトール殿下には大きな借りを作ったことになる。あの取引がなければ、おまえたちは無事では済まなかった」
「ですわね。けれど……あの時は、あれが最善でしたわ」
「わかってはいるが……オフィーリア。私が言いたいのはおまえのことだ」
眉間に皺を寄せたお父様が対面に座り、静かに目を閉じる。
「おまえはたしか、アルフォンス殿下を選ぶと言っていたが……現状ではそれすらも、難しくなったと見ていい」
「それは……はい、わかっておりますわ」
「ならいいとは言わん。親としては娘が選んだ相手を尊重するべきなのだろうが、大きな借りができた以上は別だ……それも、わかっているな?」
言われなくても……それくらいは、わかっている。
けれど、それでも私は、たとえ逃れられなかったとしても、レクトールを選びたいとは思わない。
「……そんな泣きそうな顔をするな。おまえの前にいるのは、グランツェルの影を支配する月。【骸公爵】セレナイド・ローゼ・フォン・リューネベルクだ。娘の一人守れずして、何を守れると?」
「お、おとう……さま?」
「今の国王は凡庸であれど、愚かではない。レクトール殿下があのような手を取ったのならば、こちらも手段を選ばなければいいだけだ」
今のグランツェルの国王……私が死に戻りをする前は、原因不明の病に倒れ、政務を全てレクトールに引き継がせて、隠居していたことしか覚えていない。
当時は何度か、婚約後の挨拶のために謁見を申し入れたけれど、その度に断られていた。
(それ以外にも、今思えば……貴族学校での人付き合いまで、レクトールに支配されていた気がするわね)
あの頃は疑問には思わなかったけれど、改めて思えば思うほどに、歪つな関係だったと感じる。
彼は……あの頃も、今も、愛を囁きながら、私という存在を所有し続けたかったのかもしれない。
「……お父様、国王様って、どのようなお方なのですか?」
「あれは……そうだな、貴族学校の頃からの仲だが、グランツェルが築き上げてきた月と五大貴族をまとめ、国を維持することはできる。良くも悪くも波の無い治世ができる王と言った……ところか」
「聞いている限りは……とても優れた方のように感じますわよ?」
「そう感じるのは自然だが、波が立たないということは、変化が無いということだ。変化が起きない国は、徐々に弱くやせ細っていく。それにあれは、国が波打つのを嫌うからな、レクトール殿下からしたら、邪魔でしかないだろう」
「まさか、いや……そんな」
あの頃のレクトールが国王を私に会わせなかったのは、原因不明の病に倒れたのは……まさか、既に彼の手で——。
「とはいえ、私が動くのは最終手段だ。娘の問題に手を出し過ぎるのはよくないと、以前、おまえに言われてしまったからな」
「……あら、そうでしたわね?」
「まずは、オフィーリア。おまえのやりたいようにやってみるがいい。そして、どうしようもなくなったら、私を頼れ」
「えぇ、そうさせていただきますわ」
お父様はソファーから立ち上がり、部屋の扉の前まで歩いていく。
「話は以上だ。私はこの後、跡取り息子の様子を見に行く予定があるから、おまえも……いや、魔力が戻ったばかりだからな、今日はもうゆっくりと休みなさい」
「えぇ、そうさせていただきますわ。けど……休む前に、リゼの様子を見てもいいですわよね?」
「それくらい構わない。おまえの専属だからな……成長を見るのも良い機会だろう」
そして、二人で執務室から出ると、お父様からアルフォンスのどこが気に入ったのかを質問されながら、リゼのいる執事長の部屋へと向かった。




