第18話 盤上の罠
何度か遊んでいるうちに、遊び方を覚えたリゼも参加するようになった。
「難しいなぁ。ルールを覚えるだけで……ついていくのがやっとかも」
初心者としては、だいぶ上手い方だったけれど、相手が悪すぎた。
彼女が一手、駒を動かすたびに、レクトールや私は数手先を読んでいる。
「いやぁ……オフィーリアには、俺も勝てないよ」
ただ、アルフォンスには驚かされた。
レクトールは素直な戦術だと言っていたけれど、予想以上に鋭い手に思わず呑まれそうになってしまった。
(……そういえば、レクトールは弱いとは言っていなかったわね)
リゼも意外だったけれど、アルフォンスの鋭さは、卓上遊戯で身につけたものではなく、実際に厳しい訓練を通じて、実戦の空気を知っているからだろうか。
こちらの戦術に隙ができると、必ず差し込んでくる。
(以前の経験がなかったら、間違いなく……負けていたわね)
私の盤面を操る才能は、あくまでレクトールを真似ているだけで、実際のところは……そこまで高くはない。
認めるのは悔しいけれど、以前の人生で彼が教えてくれたことが、今になって役立っていることに、感謝はすれど、嬉しいとは思えない。
「……レクトール。あなたがアルフォンスに勝てる理由が……なんとなくわかったわ。あなた、意図的に隙を見せて……誘導しているのではなくて?」
「おや? それがわかるだなんて、さすがだね。この戦術を見抜けるのは……よほどやり込んでいるか、盤面を見る才能がないと難しいのに、驚いたよ」
「そうかしら? なら、私には盤面を見る才能があるのかも……しれないわね」
盤上から落ちた駒を拾い、綺麗に並べ直すレクトールの目が、すっと細まる。
(これは……言葉選びを間違えたかもしれないわね)
まるで、私の真意を見抜こうとしているかのような視線に、思わず息を呑む。
「……その知略、ぜひとも欲しいと思ってしまうよ。けれど、まだその時じゃない」
「あら、私はあなたの物ではないわよ? それに卓上遊戯が得意なら、手順を間違えればどうなるか……わかっているのではなくて?」
「そうだね。これに関しては、正式な場で改めるべきだということを、忘れてはいないよ」
たとえ正式な場で、婚約を申し込まれたとしても……私は受け入れるつもりはない。
(……とはいえ、これは困ったわね)
卓上遊戯を始めてから、結構な時間がかかったというのに……店の奥へ消えた店員は、まだ戻ってこない。
アルフォンスやリゼは、遊びに夢中になっているせいで、時間を忘れてしまっているみたいだけれど、これは……違和感を覚えないほうが不自然だ。
「……それにしても、店主はいつ姿を現すのかしら?」
「そうだね。思ったよりも……遅いから、様子を見に行くかい?」
「えぇ、そうさせてもらうわ。けど、そうね……レクトール。あなたはアルフォンスと二人で遊んでいたら? こういう時くらいしか、兄弟らしい遊びはできないのではなくて?」
「……なら、お言葉に甘えさせてもらおうか。アルフォンス、久しぶりに君の腕前を見させてもらうよ」
レクトールがアルフォンスへと手招きをすると、二人は席に着き、真剣な表情で駒を動かし始める。
「リゼ、あなたもついてきてちょうだい。そばにいてくれないと……何かあった時、不安だわ」
「もちろんです。オフィーリアちゃん……手を繋いでいきませんか?」
「ふふ、そうね……リゼお姉様の言うとおりにしようかしら」
リゼが差し出してくれた手を取って、店の奥へと足を踏み入れる。
「お店の中は綺麗なのに、奥は結構……ごちゃごちゃしているといいますか」
「リゼ……もしかしたら、まだ開業したばかりなのかもしれないわよ?」
とは言うけれど、わずかに埃くさい室内の空気に、思わず咽せそうになる。
「そう……かもしれませんが。まるで倉庫みたいじゃないですか」
一段、また一段と、階段を上がる度に、軋むような音が響く。
短いはずなのに長く感じる段差を上りきると、目の前に……店内とは不釣り合いな、煌びやかな装飾が施された扉が現れる。
「お嬢様。ノック……しますか?」
「えぇ、店員と……この店の主人が中にいるかもしれないもの。それに……ここまで来た以上、引き返すだなんてありえないわ」
「……そう、ですね」
リゼの手が、煌びやかな扉を叩く。
——規則正しく三度。
しばらくの間、室内の主の返事を待つけれど、声は返ってこない。
「……入ってみましょうか」
「そうね。けれどリゼ? ……中に何があるかわからないから、警戒するのよ?」
「は、はい。荒事は苦手ですけど、私もリューネベルク家の従者の一人ですから、一応……護身術は教わってます」
取っ手をひねり、扉がゆっくりと開かれていく。
隙間から見える、明かりの灯っていない部屋に……もしかしたら来る場所を間違えたのかもしれないという、不安を覚える。
「……え?」
瞬間、内側から勢いよく開かれた扉と共に、伸びてきた手が私たちの腕を掴み、室内へと強引に引き込んでいく。
「……あ、あなたたち! いきなりこんな乱暴なことをするなんて、何を考えてるんですか!」
「リゼ、落ち着きなさい」
「で、ですが!」
閉じられた室内で声を荒げても、腕を掴む力が強くなるだけだった。
(リゼに影響が出るかもしれないけど、私の毒で……)
抵抗すれば、私の身体から血の一滴くらいは出せるだろう。
そうすれば……リューネベルクの魔法で、青薔薇の毒にすることができる。
「おっと……そういえば、貴族は変な力を使うんだったな。おい、旦那! こいつ……抵抗できねぇように、手足でも折っとくか?」
「やめろバカ! せっかくレクトール王子に釣られてきた、極上の商品だぞ? こいつを祖国に献上すれば、俺たちはこんな過酷な場所で商人の真似事なんてしていなくても、一生遊んで暮らせるようになるんだから、落ち着けって」
——私が、極上の商品? それに……祖国に献上って、何を言っているのかわからない。
それに、間者が入り込んでいること自体、ありえない……だって、ここは私のお父様が治める、気高くも誇り高い……リューネベルク公爵領なのだから。
(それに、釣られてきたって言ったわよね。つまり、レクトール……あなた、私を他国に売ったの?)
けど……今のレクトールが、そんな愚かなことをするとは思えない。
とはいえ、何も関与していないとは言い切れない。そうでなければ……このような状況にはなっていないのだから。
(この状況がわかっているなら、あんなに楽しそうに卓上遊戯をしているわけがないもの)
けれど、あの姿が本当は演技だったら? もしそうだったら、私が……今のレクトールを見誤っていたということになる。
「オフィーリア、今の音はなんだい? そこで……何をしているんだ?」
「……レ、レクトール殿下? た、たすけてくだ——」
閉じた扉の向こうから、狙ったかのようにレクトールの声が聞こえてくる。
そして、咄嗟に助けを求めようとしたリゼは、腕を掴まれたまま口元を押さえられ、そのまま床に組み伏せられてしまう。
「あ、あなたっ! 私のリゼになにを……!」
「……静かにしろ。いいのか? あんたまで騒いだら……この嬢ちゃんがどうなっても、責任はとれねぇぞ?」
「あなたたち……いいわ。大人しくしてあげるから、リゼを離しなさい」
「へへ、物わかりがいい女は好きだぜ? このまま逆らわねぇなら、大事に扱ってやるから、いい子にしてろよ?」
……大人しくするつもりなんてないけれど、ここで抵抗をするつもりもない。
青薔薇の毒を使うのはもう少し……ローゼンヴァルトを離れて、周囲に被害が出ないようにしてからだ。
「んじゃ、旦那……あれ、使ってくれ」
「おまえに言われなくてもわかってる……ちったぁ、静かにしろ」
旦那と呼ばれた男が、ろうそくに火を灯すと、棚の上から首輪のようなものを取り出す。
そして、抵抗しないことをいいことに、私の首につけると、嫌らしい笑みを浮かべる。
「これは……俺の故郷で作られた、貴族の力を使えなくする首輪だ。原理はよくわかんねぇが、こういう仕事をするときは必ず持たされんだよ。あ……もちろん、これは売り物じゃねぇぞ?」
「……よし、それじゃあ、この嬢ちゃんは用済みだな」
確かに……首輪をつけられてから、魔力を感じることができない。
けど、魔法が使えなくなることと、私の身体に宿る青薔薇の毒は別だ。
(魔法で毒を作ることはできなくても、できることは……沢山あるのよ?)
そう思い、口の中を噛み切ろうとした時だった。
リゼを床に組み伏せていた男が、その背中に体重をかけていく。
「お、おじょう……さ、ま」
そして……苦しげな声と共に、私に向けて伸ばした手が力なく床に落ちた。
「リゼ! リゼット!」
「……アルフォンス、何かが変だ! 私が許可する……この扉を壊せ!」
「は、はい!」
扉の向こうから、強い衝撃が響く。
「まずい、旦那! 奴らが来る前に地下を通って逃げましょうぜ!」
「……そうだな。だが、その前に余計なことをされないように、猿ぐつわでも咥えさせておけ」
「へ、へい!」
リゼの名を呼ぶことしかできずにいた私の口に、布で作った猿ぐつわを噛まされる。
そして、まるで物のように抱え上げられたまま、棚をどかして現れた階段を下りていく。
私の大事な……彼女をその場に残して——。




