第17話 女王は盤上に立つ
着替え終わった私たちはリゼの実家から、再び街に出た。
そして——
「……思ったより、目立たないのね」
庶民の服のおかげか、先ほどとは違い人とすれ違っても、必要以上に目で追われることはない。
けど……これは、私が貴族生まれなせいだろうか。
「ねぇ、リゼ? 足が出るのは何とかならなかったの?」
「えっと、お嬢様。庶民の服なので、申し訳ないのですが……」
服の大きさが合わないわけじゃない。
ただ、足首が出ていることが落ち着かないだけ。
「……リゼット。申し訳ないとは言うけれど、オフィーリアのそれは……どうにかならなかったのかい?」
「レクトールで……あ、レクトールさん。足首が出てしまうのは……しょうがないんです。きぞ……あぁ、はい。高貴な一族の方たちとは違って、私たちはどうしても、畑を耕したりとか、革のなめし作業とかで汚れやすいので……」
「兄上、ここはもう、俺たちの常識が通用する場所じゃないと思うから、リゼットさんの言うとおりにしたほうがいいと思う」
「アルフォンス……私は、あくまでオフィーリアの身を案じているだけだ。言われなくても、それくらいはわかっているつもりだよ」
穏やかな笑顔を浮かべて、隣を歩く私の手に、レクトールが優しく触れる。
何も知らなければ、その仕草に思わず胸が躍るだろうけれど、彼の本質を知っている以上、ただただ……不快なだけ。
「あら、私の身を案じる必要なんてないわよ? これも貴重な体験じゃない」
「……だが」
「あら、えらく引き際が悪いのね。私からしたら……今のあなたよりアルフォンスの方が、随分と大人びて見えるわよ?」
困ったように笑うレクトールの手を振り払い、先頭を歩いているリゼの隣へ、小走りで移動する。
「ねぇリゼ? これから……どこに行くのかしら?」
「えっと……オフィーリアちゃん。これから、レクトールさんとお話していた商人さんのところに行こうと思ってま……思ってるよ?」
「あぁ……あの? そこでお金の使い方の練習をするの?」
「はい、ただ……レクトールさんが言うには、大通りから少しだけ外れた場所にあるって、教えてもらったみたいで、私も……詳しい場所は知らないんですよね」
ローゼンヴァルトで生まれ育ったリゼが知らないとなると、最近……他領から流れてきたのだろうか。
とはいえ、以前の人生での経験と、商人の情報を整理してみるけれど、当時……外から人が来たとは屋敷の人間や講師から聞いた記憶はない。
(屋敷の人間は噂が好きだから、新しい商人が近くのローゼンヴァルトに来たらすぐに耳に入るはずなのに……気になるわね)
とはいえ……昔から領内にいて、最近独立したのなら、私が知らないのも無理はない。
それか、商人の組合が新たに始めた事業だったのだとしたら……いや、その場合はお父様の耳に確実に入っているはずだから、私が気にしすぎているだけかもしれない。
「あの、レクトールさん。場所はこのあたりであってますか?」
「そのはずだよ。目印は青い看板だって言っていたからね……ほら、あれじゃないかな」
レクトールが指し示した先、人の通りが少ない通りの奥に、こじんまりとした建物が見えた。
「あ、ほんとですね! んー……でも、この前里帰りした時は、ここって空き家だったはずなのに、最近できたのかな」
「どうだろう……リゼットさん。とりあえず中に入ってみたらわかるんじゃないかな」
「ア、アルフォンスくん……確かにそうかも? じゃあ……オフィーリアちゃん、中に入る?」
「……そうね」
扉を開けて中に入ると、外の雰囲気とは違い、落ち着いた店内に、見たことのない調度品の並んだ棚が目に入る。
「あら、思ったより普通……? と言いたいけれど、お店に入ったことが今までないから、よくわからないわね」
「オフィーリアちゃん。えっと……うん。結構おしゃれでいいところだと思うよ?」
店内を見渡したリゼが、私の手を握って答えてくれる。
「これは……王家御用達の商人の店と比べても、遜色がないね。リューネベルクにもこのような場所があるだなんて、驚きだよ」
「兄上……それは、でも……たしかに、そうかもね。父上からはもっと娯楽の少ない場所だって聞いてたから、意外かもしれない」
「あら、二人がそこまで言うということは、随分と……ここはいいお店なのかしら?」
「それは……どうだろうね」
店内を見渡しながら歩いていたレクトールが、棚に並べられた遊戯盤に手を伸ばす。
「これは、王都で流行っている卓上遊戯だね。互いに駒を動かして、最後に王を落とす。実際の城攻めを想定して作られた奥が深いものだよ」
「兄上が一番好きな遊戯だよね。俺も何度か付き合ったことがあるけど……全然、勝てなくてさ」
「……勝てないんじゃない。アルフォンス、おまえの取る戦略があまりにも正直すぎて、先が読みやすいだけだよ」
私たちの様子を見ている店員の視線を他所に、レクトールが遊戯盤を手に取ると、店の奥に置かれたテーブルの上へと運んでいく。
「すまない、お嬢さん。ここにテーブルがあるということは、試遊をしてもいいということでいいのかな?」
「え、あ……はい。ですが、たいへん貴重なものなので、取り扱いには……」
「扱いはわかっているから問題ないさ。それに……そうだね。もし店主が戻っているのなら、レクトールが来たと伝えてもらえないかな?」
「わ、わかりました……」
店内の奥へと消えていく店員を見送ると、ゆっくりと椅子を引いて、レクトールが私に視線を向ける。
「……オフィーリア。よかったらルールを教えるから、一手お付き合いできないだろうか」
「あら、別に構わないけれど……あなた、私に勝てると思っているの?」
「ずいぶんな自信だね。もしや、遊んだことがあるのかい?」
「……ないわよ? ただ、やるなら簡単には負けたくないだけよ」
もちろん、この遊戯に関しては……以前の人生で、何度かレクトールと二人きりの時に、一緒に遊んだことがあるから知っている。
彼の取る手段も、そして……相手に合わせて変える打ち方も全てわかっている。
(けど、ここで私がレクトールの手を全て潰していたら……聡い彼のことだもの。余計なことまで考え始めるでしょうね)
楽しそうに駒の役割を語りながら、盤面と動かし方について説明するレクトールを見る。
こういうところだけは、あの頃も今も……子供のように笑うのは、どうやら変わらないらしい。
「兄上とオフィーリアの対戦……どうなるのかな」
「わかりません……でも、絶対にオフィーリアちゃんが勝つに決まってます!」
アルフォンスとリゼには悪いけれど、今回は勝つつもりはない。
悩んでいるように演出しながら、最後にはレクトールに勝ちを譲るつもりだ。
とはいえ……。
(この遊戯は、手加減をするのが難しい)
そう思いながらレクトールの対面に座ると、綺麗に並べられた駒に手を伸ばす。
「おや、練習もせずに……さっそく勝負するのかい?」
「……えぇ、あなたの教え方がうまいおかげで、大体のことはわかったもの。つまり、ここでこの駒を前に出せばいいのでしょう?」
「まさか……最初から兵士ではなく、女王を動かすだなんて、ずいぶん大胆なことをするんだね」
「大胆も何も、あなたからしたら……私は女王でしょう? 残念だけど、あなたの読みとは違って、私は前に出て自ら動くのよ?」
本来であれば、女王と王の前に兵士が立っているから、動かすことはできない。
けれど……私のことを初心者だと思っている今の彼なら、多少のルール破りくらいは許してくれるはず。
「オフィーリア。今回は許すけど、この遊戯はまず、兵士を動かして盤面を整えるんだ。次からは、最初から女王を動かすのはなしだよ」
「あら……そうなの? ありがとう。なら次からはそうさせてもらうわ」
「強気だね。けど、たとえ君が私の女王だとしても、勝負で負けてあげる気はないよ」
静かな店内で、互いに駒を動かす音だけがこだまする。
そして――。
「……はじめてにしては、予想以上に強いね。けど、これで終わりだよ」
「あら、褒めてもらえるだなんて嬉しいわ。あなたって強いのね」
「はは、たまたまだよ」
盤上で、レクトールの操る騎士が、王の首を切り落とした。




