第16話 庶民服と小さな笑み
庶民体験とは言ったけれど、ここまで暮らしに差があるとは思わなかった。
(ローゼンヴァルトも、表は綺麗なのに少しだけ奥に入ると……だいぶ変わるのね)
とはいえ、リューネベルクの領内であるおかげか、リゼの実家に入った後は、歩けば軋む床の音こそ目立つものの、寒さを感じることもなく、そこまで悪いとは思わない。
「あちゃー、しばらく見ないうちにだいぶ……ぼろくなったなぁ」
「リゼットさん……その、ここで暮らすのは、大変じゃないの?」
「あぁ……いえ、アルフォンス殿下。うちはほら、子供がたくさんいるので……こう、家にまで手が回らないんですよねぇ」
代々続くリューネベルクの働きと、王家から与えられた寒さを和らげる道具のおかげで……人が住む場所だけは、完全に寒さを消すことはできなくても、生活できる程度には保たれている。
「あら、でもリゼット? あなた……仕送りをしてるのではなかったの?」
「してはいますけど……あの、下の子たちのために使ってるみたいなので、これはもうしょうがなくて……」
現領主の魔力を使って動かす必要があるから、お父様は視察と称して定期的に魔力を補充しなければいけない。
とはいえ、それと……リゼの実家の問題は別。
(……屋敷に帰ったら、リゼのお給金をもっと上げるように……執事長に話してみようかしら)
専属なのに、家族がこんな暮らしをしているのは……私が耐えられない。
執事長に断られたら、お母様に。それでもダメなら、お父様に直接話を通してみよう。
「……それで? リゼット。私とアルフォンスは、どこで庶民の服に着替えればいいんだい?」
「あ、それでしたら、着替えを持って行くので……奥の両親の部屋、お願いします」
「そこでと言われてもね。ここには着替えを手伝う者もいないみたいだけど?」
「あぁ……でしたら、お嬢様のお着替えが終わったら、私が手伝いますので……レクトール殿下。それまで待っていてもらってもいいですか?」
レクトールが口元に指を近づけて、何かを考える仕草を始める。
けど……その隣で、アルフォンスが自らの衣服に手を触れると……私たちの前で、上着を脱いだ。
「……アルフォンス、おまえ。何をしているんだ?」
「兄上、今日は……庶民体験だから、着替えは自分でしたほうがいいと思うんだ」
「だからといって、人前で脱ぐ必要はないだろ。リゼット……庶民は人前で脱ぐものなのかい?」
「あ……あぁ、まぁ。家族の前で……なら、ですかねぇ」
「え、あ……ご、ごめん!」
肌着を晒したアルフォンスが、耳まで真っ赤にして、脱いだ服を持って奥の部屋へと走っていく。
(まだ子供なのに、ずいぶん鍛えているのね……)
彼には悪いけれど、思わず見入ってしまった。
剣の修練ばかりしているせいで、暇があれば棒を振っていると噂になっているのは知っている。
けど……その努力が形になって見えているのは少しだけ、アルフォンスの頑張りを知れた気がして……なぜだか誇らしかった。
「……レクトール様? あなたはアルフォンス様のところにはいかないの?」
「私は……いや、そうだね。ここにいたら、オフィーリアの着替えを見ることになるのか……」
「あら、えらく物分かりがいいじゃない。……そうよ? まさか、嫁入り前の貴族令嬢の肌着を見る趣味でもあるのかしら?」
「はは、君にそう言われてしまうと、否定しきれないのが困りものだね。けれど、それは……今ではないだろうから。私もあちらに行かせてもらうよ」
見られたところで、何かが減るようなものではない。
けど、いつまでもレクトールを私の側にいさせるよりかは、少しでも遠く追いやってしまったほうがいい。
(……でも、昔の私だったら、レクトールの言葉の意味がわからずに素直に照れていたのでしょうね)
そう思いながら、奥の部屋に入っていくレクトールから、私たちの着替えを用意してくれているリゼに視線を移す。
庶民の服を見たことは……以前の人生でも数えるほどしかなかったけれど、用意されたのは、硬そうな生地で作られた上下の服だった。
「貴族と平民の差が激しいのは……しょうがないのかもしれないわね」
「これでもだいぶ、ましな方なんですよ? ローゼンヴァルトはリューネベルク公爵が直接管理している街なので、寒さもひどくないですし」
「あら……それだと、他の場所は違うの?」
「あ、はい。小さい村とかになると、村から出て獣を狩らなきゃいけないらしいので、酷い時は寒さには耐えられても飢えて……」
リューネベルク領内のことは、講師からしか聞いたことがなかったけれど、ここまで酷いとは思わなかった。
「あ、でも……お父さんが言ってたのですけど、リューネベルク公爵が今の代に変わってからはだいぶ、良くなったそうですよ?」
「……お父様が?」
「はい、視察のたびに護衛の騎士様たちと一緒に獣を狩って来てくれたり、日持ちする食料や、リューネベルクでも育つ野菜の育て方を教えてくれる人を連れて来てくれたりしたそうです」
お父様の働きを聞くと、それだけで立派な姿が浮かんで、自分のことのように誇らしくなる。
きっと今も……この領内のどこかで、少しでも領民たちの暮らしが良くなるように、頑張っているのかもしれない。
(……けど、もっと早く知りたかったわね)
でも、当時の私だったら……この事実さえも、素直に喜ぶことさえできずに、自分はもうリューネベルクには必要のない人間だと思い込んでいたから、反発していたかもしれない。
「さて……それじゃあ、お嬢様? さっそくお着替えを致しますので、腕をあげてください」
「あら、私も……アルフォンス様のように自分で脱げるわよ? だって、庶民の生活を知らなきゃいけないでしょう?」
「えぇっと……言いづらいのですけど、その……お嬢様の着ているドレスは、一人で脱ぐにはちょっと、難しいかなぁって……思うというか」
「これくらいできるわよ……ほら」
背中にあるドレスの紐を解こうと手を伸ばす。
けれど……いくら腕を後ろに回して動かしても、一向に指先が届かない。
「なんだかお嬢様を見ていると……世話の焼ける妹みたいで、かわいいです」
「……え?」
「え、あ……す、すみません! お嬢様に対して、その……」
思わず手の動きが止まる。
私が妹? それに世話の焼けるって、これだとまるで……私が幼いと言われているようで、少しだけ面白くない。
(いや、実際にまだ……子供なのよね)
「……あ、あの、お嬢様?」
「ねぇ、リゼ? あなたが私のお姉様だというのなら、特別に着替えを手伝わせてあげてもいいのよ?」
「ふふ、はい! リゼットお姉ちゃんがかわいいお嬢様のお着替えを手伝っちゃいますよ!」
「……かわいいは余計よ」
「素直じゃないですねぇ。あ……ごめんなさい、お嬢様。ちょっとだけ腕を上にあげて待っていてください」
着替えを手伝ってもらうために、両腕を上にあげた時だった。
リゼが何かを思い出したかのように、アルフォンスとレクトールの着替えを手に持つと、彼らが待っている部屋に入っていく。
「あ、リゼットさん。着替えは……って、リゼットさん!?」
「リゼット、君……これはなんのつもりだ!」
「なんのつもりもなにも、お嬢様を見ていたら思ったんです! アルフォンス殿下とレクトール殿下に任せるより、横から口を出したほうが、その……早いって!」
「……や、やめろ! アルフォンス。おまえも彼女を止めろ!」
「いや、まぁ……うん。兄上、これもきっと、庶民体験なんだよ。だから……素直に教えてもらおうよ」
しばらくして、満足した表情で戻ってきたリゼに着替えを手伝ってもらった後、私の前に現れたのは、今まで見たことがない二人の姿だった。
いつもの余裕を失い、焦りを漂わせるレクトールと、頬を赤らめつつも、庶民の服を見事に着こなしているアルフォンスに、思わず笑みがこぼれた。




