第15話 庶民体験と見える世界
アルフォンスと合流してからしばらくして……レクトールの周囲に集まっていた人々が、少しずつ去っていく。
「……アルフォンス様。あなた、大丈夫なの?」
「オフィーリア、大丈夫って……それは俺の方だよ。馬車から飛び降りるだなんて危ないじゃないか」
「あら、それくらい別に気にしなくていいのよ? だって、そうするようリゼに言ったのは私だもの」
自分のことよりも、私のことを心配してくれるのは嬉しい。
でも、アルフォンスは……? 表面上は平気そうにしてはいるけど……ただ、慣れてしまって、何も感じなくなってしまったのだろうか。
「悪いね、オフィーリア。待たせてしまったかな?」
最後の一人が、見えなくなるまで手を振っていたレクトールが、私たちのもとに歩いてくる。
「……あら、白々しいわね」
「白々しい……? それは、どういうことかな」
「あのままだと、私を群衆の前で紹介しようとしていたでしょう?」
「おや、わかっていたのかい?」
「この私がわからないと思っていたの?」
わかるも何も、あそこで私のことを紹介されていたら、面倒なことになっていた。
リューネベルクの領内で、私の姿を知っている者は、両親と屋敷の人間くらいしかいない。
(彼らからしたら、間違いなく私とレクトールの間に、婚約関係があると勘違いしていたでしょうね)
次は正式な場で申し込むと言っていたくせに、まさか……周囲を巻き込んでいくだなんて思わなかった。
まるで、周囲の駒を使って少しずつ逃げ場をなくし、最後に私を盤上から動けなくしようとしているみたいで……やることが嫌らしい。
「……その察しがいいところも、私は君を好ましく思っているよ」
「そう? まぁ、気持ちだけでも受け取っておくわ。それよりリゼ、庶民体験に関して、次はどうするの?」
「あ、は……はい! 次は、その、大変申し上げづらいのですが……先ほどのでレクトール殿下とアルフォンス殿下が、すっごい目立ってしまったので……」
リゼが言いづらそうに周囲を見渡すと……私たちに、手でかがむように合図を送る。
「……リゼットさん、ごめん。これじゃ庶民体験にならないよね」
「アルフォンス殿下……本当ですよ。あんなに目立っちゃってどうするんですか! 特にレクトール殿下、今回の目的はわかってますよね?」
「おや……はは、どうやらリゼット、君を怒らせてしまったみたいだね。申し訳ない、心から反省しているよ」
「……思ってもいないのに、謝られるのは嫌ですよ?」
レクトールの笑みに影が差す。
そして、感情が抜け落ちたような目で、私を見る。
「……オフィーリア。リゼットは、私たちが目立ってしまったからと、次は何をさせるつもりなのかな?」
「私ではなく、リゼットに直接聞けばいいじゃない。アルフォンス様もそう思うわよね」
「お、俺は……えっと、ごめん、リゼットさん。俺たちは次にどうすればいいのか、教えてもらっていい?」
「あ、あのぅ……はい、次はですね」
リゼが、レクトールへわずかに視線を向けると、小さく溜め息を吐く。
「まず、私の実家に来てもらいます。この時間は……下の子たちも、街の組合が運営している学校にいるはずですし、両親も仕事に出ていますから、安全ですよ?」
「……安全、か。私はオフィーリアさえ良ければ、別に構わないよ」
「私じゃなくて、レクトール様。あなたが……どうしたいかじゃないかしら? アルフォンス様は?」
何度も、アルフォンスに意見を求めるのは……どうかとは思うけれど、自己評価の低い彼から本音を引き出すには、これくらいはしてあげないと意味がない。
「俺は、行ってもいい。いや、違う。行ってみたい……リゼットさんたちが、普段どのような生活をしているのか、この目で見てみたいんだ」
「なら決まりだね。オフィーリア、リゼットの家に行こうか」
「あら、まるで自分の意思のように言うのね。けど、まぁ……今はその方が都合がいいから、特別に許して差し上げますわよ?」
「おや、これは随分と手厳しい。でも……君の優しさに触れることができて、私は嬉しいよ」
リゼに、実家に連れて行くようにと、視線を送る。
彼女からしても、普段はリューネベルクの屋敷に住み込みで働いている以上、帰るのは久しぶりだろう。
もし……家族に会えたのだとしたら、その時はゆっくりと話ができるように、気を遣ってあげるべきだろうか。
「……あの、先に言っておきますけど……リューネベルクのお屋敷や、レクトール殿下とアルフォンス殿下が普段お住まいになっている場所とは違って、狭かったり散らかっていたりするので、あんまり期待しないでくださいね?」
「構わないわ。そういうのも庶民体験でしょ? リゼ、私は……あなたの実家に行くことができて、とても嬉しいのよ?」
「お嬢様……は、はい! ありがとうございます!」
嬉しそうに笑いながら、私たちの前を歩き始めるリゼを見て、思わず笑みがこぼれる。
(……あ、そういえば)
リューネベルク家の紋章がついた馬車を残していくのは少し心配だけれど、レクトールが余計に目立ってくれたおかげで、下手に手を出すような者はいないはずだ。
「……そういえば、リゼ。あなたの実家に着いたら、何をするのかしら?」
「えっと……大変申し訳ないのですが……下の子たちの服に着替えてもらおうかなぁって思ってます。お嬢様たちの容姿はごまかせないとは思うんですけど、雰囲気を変えればだいぶましかなぁって……」
「リゼット、まさか……私たちに、君の前で肌を晒せと言うのかい?」
リゼの言葉にレクトールが立ち止まり、困ったように笑う。
「兄上、俺は……庶民の服を着てみたいです」
「……アルフォンス?」
「ほ、ほら……庶民の服を着ることで、見える世界もあるんじゃないかなぁって……ダメかな。兄上も、王になるためには知っておいたほうがいいと……思う」
アルフォンスの言葉に、レクトールが考えるようにうつむくと……しばらくして、穏やかな笑みを浮かべて、歩を進める。
「そこまで言われてしまったら、着ないわけにはいかないな。リゼット、足を止めてしまってすまない。早く行こうか」
「あれ? いやぁ、素直に謝られるなんて、思いませんでした」
「君は……私を何だと思っているんだ」
レクトールは一瞬だけ目を瞬かせると、呆れたように息を吐いた。
今の謝罪も、リゼとのやり取りも、全て予め決められていた動きのように見えて、どこか気持ちが悪い。
「あ、お嬢様の着替えは……私のお古ですから、安心してくださいね?」
「そうなの? ふふ、それは楽しみね」
「妹の背丈に合わせて、お母さんが縫い直してると思いますけど、……お嬢様と同じくらいだったと思うので、きっと……大丈夫、だと思います」
「ちょっと小さかったり、大きかったりするくらいなら、庶民体験として受け入れるから安心していいわよ?」
「は、はい! ありがとうございます!」
話しながら歩いているうちに、少しずつ街の雰囲気が変わっていく。
先ほどまでわずかにすれ違っていた人の姿が消えて、徐々に人の気配も薄くなっていく。
「えっと……ここが、私の実家です! 汚いかもですけど、ゆっくりしていってくださいね?」
そして……道の角を曲がった先で、木材を継ぎ接ぎにして作られた小さな窓しかない薄汚れた家が、姿を現した。




