第14話 庶民体験と太陽の影
季節は夏だというのに、リューネベルクの領内を吹き抜ける風は、肌を刺すかのような痛みを連れてくる。
それは……この見慣れない場所も同じで――
「ここがリューネベルク領の街なんだね」
馬車から降りたレクトールが、周囲の視線を集める。
「……おや、ふふ、皆さん。注目を集めてしまってすまない。私は……レクトール・アウグスト・フォン・グランツェル。そして……馬車の中にいるのが」
次に降りてきたアルフォンスの肩に手を置いて、まるで周囲に存在を知らしめるかのように、穏やかな笑みを浮かべる。
「我が最愛の弟、アルフォンス・レオンハルト・フォン・グランツェルだ。此度は……お忍びでこの場に来たがゆえに、どうか気軽にレクトール、アルフォンスと呼んでくれたなら、私は嬉しく思う!」
お忍びというのに、名乗ってしまったのならそれはもう、ただのお披露目だ。
それに庶民体験だというのに、目立ってしまって果たして……本当に体験できるのだろうか。
「まるで茶番ね。次はどうせ……私の紹介でもするのかしら?」
馬車の窓から見える光景に思わずため息が出てしまう。
レクトールは近くにいた商人へと歩み寄ると、軽く肩に触れて親しげに笑いかける。
「は、はは……せっかく、執事長に無理を言って、ローゼンヴァルトならってことで許可を貰ったのになぁ」
御者席の向こう側から、リゼの困ったような声が聞こえてくる。
彼女がこの日のために、私の専属として執事長に直接交渉してくれたのを知っているから、この光景が面白くない。
「兄上、さすがにこれだと……庶民体験にならないんじゃ?」
「アルフォンス。そうかもしれないが、考えてみてほしい。私たちが行動する以上、遅かれ早かれ周囲に知られることになる。なら、先にこうして周知させた方が動きやすいんだよ。……君もそう思うだろ?」
レクトールが商人の手を握り、何かを小さく呟く。
すると、大きく目を見開き、周囲の人に見せつけるかのように、両腕を広げ。
「は、はい! レクトールでん……いえ、レクトールさんがお噂以上に素晴らしい方で、この私、感銘を受けました!」
あからさまに、レクトールの身体を抱きしめ、親しげに背中を叩く。
(……どうせ、後であなたのお店に行くとでも、甘い言葉を囁いたのでしょうね)
商人からしたら、王家の人間が訪れて買い物をしたというだけでも、周囲に自慢したくなるほどに名誉なことだろう。
それも、当の本人から直接行くと言われたのなら、裏に何かがあると察していたとしても、目先の利益を優先するのは当然だ。
「……周りが、レクトールの作った流れに飲み込まれてしまったわね」
周囲の人々が、レクトールとアルフォンスのもとに群がり、まるで友人と話すかのように親しげに肩を組んだり、名前で呼び合っている。
けど、この光景を見ていると……少なくとも、彼の取った手段は、王子として正しいのだろう。
グランツェルの国内だとはいえ、どこに命を脅かす相手がいるかわからない以上、悪意を持った人物が近づけない状況を作り上げるのは、身を守るために必要だ。
(……以前は、私の仕事だったわね)
そのために犯した罪が、あまりにも重いけれど……こうして実際に見ると、胸が苦しくなる。
お忍びでの庶民体験のためとはいえ、彼らがリューネベルクまで連れて来た王家直属の護衛騎士や使用人を、屋敷に置いてきたのは失敗だったのかもしれない。
「……リゼに護衛の真似事までさせるわけにはいかないし、いくらリューネベルクで最も栄えた街だとしても、警戒するのは当然ね」
私だって、貴族学校に通うために王都の屋敷に移動するまでは、領内の街に出たことがなかった。
領内のことは全て、跡取りの弟が生まれるまで……執事長が雇った講師から、座学で教えてもらった程度の知識しかない。
「んー、困りましたね。お嬢様、あの……これ、どうします?」
「これって、あなた……けど、そうね。リゼの考えていた庶民体験とは違ってしまったとは思うけど、できることをするしかないと思うわよ?」
「……ですよねぇ」
御者席から降りて、馬車の中に入ってきたリゼが、困ったように笑う。
そんな彼女を慰めようと、頭に手を乗せて撫でようとするけれど、腕の長さが足りないのがもどかしい。
「えっと、お嬢様?」
「リゼ、私の隣に座りなさい」
「あ、は……はい?」
困惑した表情のリゼを隣に座らせると、ゆっくりと立ち上がり、レースの手袋越しに彼女の頭を撫でる。
「あなたは十分に頑張ってくれたわ。だから……落ち込まないでいいのよ?」
「は、はい。……ふふ、これだとまるで、どっちがお姉ちゃんなのか……わからなくなってしまいますね」
「あら、私に頭を撫でられるのは不満? それとも嫌なのかしら?」
「……もう、お嬢様は意地悪です」
「けど、そんな私のことも……好きでしょう?」
外の騒がしさをよそに、馬車の中ではリゼと私の静かな笑い声が響く。
「もちろん、当然じゃないですか。私はオフィーリアお嬢様のことが大好きですよ?」
「あら……素直に言われると照れるわね」
「ふふ、お嬢様に慰めてもらったおかげで、すごい元気が出てきました! 私……がんばっちゃいますよ! 名付けて……庶民体験パート2です!」
「あら、1はまだ……始まってないわよ?」
「な、なら……新庶民体験です!」
リゼが祈るように両手を胸の前で組み、馬車の中で立ち上がると同時に、外が静かになる。
「——君はオーランだったね。それにあなたはフローラ、隣の君はローワンだね。仲良くしてくれて嬉しいよ」
一人ひとり、親しみを込めて名前を呼んでいくレクトールの周りには人が集まっていた。
けど……逆に、アルフォンスは穏やかな雰囲気の中で孤立していて、まるで……彼だけが世界から切り抜かれてしまったように感じる。
「……アルフォンス」
「お嬢様、アルフォンス殿下が……心配なので、外に出ませんか?」
「……そうね。それに、周囲の視線がレクトールに集まっている今が、ちょうど良いわね」
このままだと、レクトールに馬車の中にいる私まで紹介されて、やっと落ち着いてきたのに、さらにややこしいことになってしまう。
彼の演出に組み込まれるくらいなら、今のうちに外に出てアルフォンスと合流したほうが、庶民体験としても上手くいくはずだ。
「ねぇ、リゼ。……周りに気づかれないように、静かに出ることってできる?」
「もちろん、お任せください。私はお嬢様の専属ですから」
「ふふ、ありがとう」
リゼが先に馬車から降りると、両腕を広げて私を見上げる。
「受け止めますから、飛び降りちゃってください」
「……え、えぇ」
言われるがままに、馬車から身を投げだすと、優しく抱きしめるようにリゼが私を受け止めて、地面へと降ろす。
「け、結構……重い、ですね」
「……次、それを言ったら怒るわよ?」
「は、はいぃ」
腰を押さえながら後に続くリゼと共に、驚いた表情で私たちを見ているアルフォンスの元へと小走りで向かう。
(……あなたも、そんな顔ができるのね)
アルフォンスの隣まで来た時……視界の隅で、レクトールが静かに、穏やかな笑みを浮かべながら氷のように冷たい目で私を見ていた。




