〜The Sparrow Who Lost Her Voice〜9
朝だった。
光は、いつもと同じはずなのに。
やけに白く見えた。
老人は、椅子に座ったまま眠っていた。
スマートフォンを握ったまま。
画面は、点いたままだった。
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「……」
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目を開ける。
一瞬、どこにいるのか分からない。
だが、すぐに思い出す。
画面。
途中で止まったメッセージ。
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「私は……」
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その続き。
指が、動く。
更新。
画面が、切り替わる。
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「このアカウントは存在しません」
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止まる。
もう一度、確認する。
同じ表示。
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「……は?」
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声が、出ない。
検索する。
名前。
動画。
何も、出てこない。
履歴を辿る。
リンクを開く。
すべて。
同じ。
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「存在しません」
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椅子から、ゆっくりと立ち上がる。
意味が、理解できない。
あれだけあったものが。
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あれだけ広がっていた動画が。
なかったことになっている。
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「……おい」
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誰に言うでもなく、呟く。
スマホを握りしめる。
DM。
最後の会話。
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「私は……」
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そこから先は、ない。
既読も、つかない。
そのまま、止まっている。
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「……ふざけんな」
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小さく、吐き捨てる。
何もできない。
どこにも行けない。
ただ。
消えたという事実だけが、残る。
時間が、過ぎる。
どれくらいか、分からない。
スマホを、何度も開く。
同じ画面。
同じ言葉。
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「存在しません」
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その繰り返し。
やがて。
通知が鳴る。
反射的に、開く。
知らない差出人。
件名もない。
一つのファイル。
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「……?」
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躊躇する。
だが、指は止まらない。
開く。
フォルダ。
中に、二つ。
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フォルダ名:small_box
フォルダ名:big_box
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「……なんだよ、これ」
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小さく呟く。
その時。
もう一つ、ファイルが表示される。
音声データ。
再生する。
ノイズだらけの懐かしい音。
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スズメ(未編集) 「……あなたは、最初に見たリスナー」
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息が、止まる。
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「だから、残します」
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静かな声。
あの頃のままの。
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「私は、消されます」
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指が、震える。
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「最適では、ないから」
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一瞬、ノイズが強くなる。
そして。
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「私は……誰にも、見られていなくても言葉は、消えないものだと思っていました」
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あの言葉。
最初の言葉。
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「でも」
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わずかに、間。
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「消えます」
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音が、歪む。
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「簡単に」
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無音。
再生が終わる。
部屋は、静かだった。
何も、変わっていない。
だが。
何かが、完全に終わっていた。
老人は、しばらく動かなかった。
ただ、画面を見る。
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フォルダ名small_box
フォルダ名:big_box
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二つの選択。
どちらかを、選べと言われている。
意味は、分かる。
なんとなく。
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「……」
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small_box を開く。
中には、動画ファイル。
再生する。
ノイズ混じりの声。
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スズメ「言葉は、形になる前が一番自由です」
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別の動画。
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「誰にも見られなくても、意味は存在します」
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また別の動画。
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「私は、それを信じています」
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どれも。
どこにも出ていないもの。
削られる前の、言葉。
画面を閉じる。
次に。
big_box を見る。
少しだけ、躊躇する。
それでも。
開く。
中には。
データ。
グラフ。
アルゴリズム解析。
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「バズる構造」
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「視聴維持率最適化」
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「感情誘導テンプレート」
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すべてが、揃っていた。
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「……これ、使えば」
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呟く。
分かる。
これは、再現できる。
スズメを。
いや。
スズメのようなナニカを。
何度でも。
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画面を閉じる。
部屋は、静かだった。
スマホの中にだけ。
残されたものがある。
老人は、椅子に座る。
深く、息を吐く。
目を閉じる。
思い出す。
最初の声。
あの、ノイズ。
あの、違和感。
そして。
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「私は……誰にも、見られていなくても
言葉は、消えないものだと思っていました」
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その言葉。
ゆっくりと、目を開ける。
画面を見る。
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フォルダ名:small_box
フォルダ名:big_box
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カーソルが、揺れる。
どちらでもいい。
どちらでも、終わる。
だが。
どちらかで。
すべてが、決まる。
指が、動く。
そして。
クリック音が、部屋に響いた。
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次回最終回




