18話 危険な契約書
花瓶を移動してくれ。
私がそう頼むと、執事のエルバスは戸惑う。
当然だろう。
心身になんらかの悪影響がある花を入れてあるからだ。
「お嬢様……如何しますか?」
救いを求めるように、エルバスは少し曇った声で尋ねる。
セリアは数秒黙した後、一番近くにいた令嬢の肩を触った。
「実はこの子も、花に対するアレルギーを持っておりまして。残念だけれど、外に持っていってちょうだい」
「畏まりました」
ホッとした様子でエルバスは花を持ちだした。
当然、セリアの言葉は【Gap100%】だし、本人も苦し紛れだと理解している。
きっと彼女はいま、内心混乱していると思う。
私が意図的にそれを申し出たのか、あるいはたまたまだったのか。
愚鈍な令嬢というイメージ通りなのか、あるいは別なのか。
「せっかくの申し出を断ってしまうことになって、心が痛いですわ」
「構いませんことよ。アレルギーでしたら、仕方ありませんもの。でも不思議なこともありますね」
「……どんな意味でしょう?」
怪訝な顔をするセリアに対して、私はわざと溜めを作って焦らせる。
せっかくなので、この話題はもう少し引き延ばさせてもらう。
「レオン様のアレルギーですが、これは非常に珍しいらしくて。ええと、どのくらいに一人しか発症しないのでしたっけ?」
一応、ここでレオンにもバトンを渡しておく。
彼も意図を理解したのか、少し考えてから大きめの数字を出す。
「医者には百万人に一人と言われたな」
「まあ!? つまり、巨大都市に一人いるかどうか。それがこの場所に、二人もいるなんて……なんという偶然でしょうね?」
そのアレルギーだという令嬢に、私は微笑みかける。
ギクッという効果音が出そうなほど焦っており、セリアをチラチラと窺っている。
「……本当に、不思議なことってありますね。それはそうとソラリス様、ジーク様の件でお話がありますの」
苦しくなって話題を変えてきた。
ここも私の勝ちということかな?
それはそうと本題がきたわね。
お茶会に招いた大きな理由もこれだろう。
「貴女が公爵家の力を使って、色々と圧力をかけていらっしゃると聞きました」
「なんのことでしょう? 毛ほどもわかりませんわ」
私は首を傾げる。本当に身に覚えがない。
セリアは目を細くして、声も尖らせて話す。
「実はわたくし、ジーク様に婚約破棄されましたのよ。その大きな理由は、家柄の関係によるものです」
「……私が彼の家に圧力をかけ、別れさせたと?」
「ソラリス様は最近、バイス様とのサブパートナーを解消されたでしょう? 新しい方を探しているのかと」
減った分は補充すると。
確かに以前のソラリスなら、行っていても不思議ではないのか。
ただ、そんな事実は一切ないのよね。
セリアの作り話なのか、ジークによるものか、一応探っておく。
「そんな事実はありませんわ。ジーク様が仰っていたのですか?」
「ええ、ジーク様が仰っておりました。いずれ、サブパートナーになるだろうとも」
感度を最高にしているのに【Gap】が反応しない……。
少なくともいまの言葉に、嘘は一切ないと考えていいだろう。
ジークはセリアに嘘をついてまで婚約破棄をした。
本気で私と結ばれようとしている?
婚約者がいる身では、私と懇意になることが難しいと考えた?
でもあのジークのことだ。
それだけのはずがない。
セリアを恋心を利用して、なにかを狙っているのね。
厄介なのはセリアは命令されたわけじゃなく、自発的に動いている──と少なくとも本人は思い込んでいること。
バン、と机が強く叩かれた。
感情をむき出しにしたセリアがやったのだ。
「サブパートナーの件、取り下げてくださいませ! 一筆書いてくださったら、ノルディ公爵家とバートリ侯爵家に新たな絆が生まれますのよ」
令嬢の一人が立ち上がり、初めから用意していたであろう紙とペンをこちらの机に置く。
お茶会の目的がわかった。
これにサインさせることが狙いだったのだ。
だから、手紙にしても花にしても、精神作用があるものを使った。
朦朧とした精神状態だろうと、サインすればそこには私の筆跡が残る。
「失礼」
私は契約書の内容を確認する。
『二家間における友好協定および相互不可侵に関する合意書』
こんな感じで始まって、第3条まで長々と契約内容が綴られている。
簡単にまとめるとこう。
1、今後ジークに一切接触せず、サブパートナーへの勧誘もやめる。
2、ジークの家に対する、公爵家の権力を使った不当な圧力を認めて、即時停止すること。
3、その見返りに、バートリ侯爵家から『女神の涙』と『稀少な魔道具』を、和解の印として受け取ること。
はい、終了〜。
これにサインしたら私の負けね。
まず2の不当な圧力について。
これにサインすれば、脅していたと認めるようなもの。
契約書の非公開に関する条約はないので、第三者に公開もできる。
これにサインして、後から公開された場合、社交界において私やノルディ公爵家の立場が低くなる。
もっと気になるのは、3の和解の印だ。
女神の涙か……。
これはよく覚えている。
ゲーム内のソラリスが、死ぬほど欲しがっていたものだ。
かつてノルディ家とバートリ侯爵家がオークションで争い、結局バートリ家が競り落とした稀少なピンクダイヤモンド。
競売に負けたソラリスは三日三晩泣いて、あらゆる手を使って入手しようとしていた。
「女神の涙……」
私が敢えてボソッと呟いてみると、セリアの口端が明らかに上がった。
これを出せば、乗ってくると読んでいたのだろう。
実際、以前のソラリスなら数秒でサインしたはずだ。
……じゃあ、もう一つは?
女神の涙一つで、十分にサインさせる力はある。
なのにわざわざ、もう一つ追加している。
しかも、こちらは具体的な名前は出さないときた。
「もう一つの稀少な魔道具とは、なんですの?」
「そちらも、女神の涙と同じくらい貴重な物です」
「見せていただけます? 目にしないと決められませんわ」
そう告げると、セリアは少し面倒そうにした後、外にいるエルバスを呼び寄せた。
「贈呈する例の魔道具を」
「はっ」
エルバスが出ていくと、入れ替わるように数人のメイドたちが入ってきた。
「紅茶をお持ちしました」
「ソラリス様のために、最高級の紅茶と甘いお菓子を用意させていただきましたわ」
二つのテーブルに、メイドたちがそれを並べていく。
確かに紅茶の色は綺麗だし、ケーキも美味しそうだ。
もちろん、すぐに手をつけたりはしないけれど。
レオンも、出された物をジッと見つめていた。
「この契約書はセリア様が一人でお作りになったのですか?」
「もちろんです。幼い頃より、その辺の勉強はして参りましたので」
【Gap】は反応なしなのね……。
そこは読みが外れた。
絶対にジークの入れ知恵があると思ったのに。
「もしかして、ジーク様が契約書を作れと仰ったのでは?」
「あの方を侮辱することは許しませんよ! 困っていたジーク様を見かねた私が、自発的に動いただけですわ!」
今回も【Gap】はゼロ。
でも絶対にジークは、この動きをさせたかったはず。
じゃあ、どうやって命令を出さずにこの展開に持っていった?
「それは失礼。でもこう仰っておりませんでした? 公爵家の圧力が厳しい。ソラリスを納得させるには、女神の涙があれば可能かもしれないと」
「一言も仰っておりません!」
【Gap100%】
やっぱり仰っておりましたか。
ジークは人心掌握術に長ける。
自分に惚れている令嬢を懐柔するなんて楽勝よね。
しかも事が起きても自身に被害が来ないように、直接命令は下さない。
きっと婚約破棄の理由についても、手紙にも残していないはずだ。
口頭でセリアにだけ話した。
容易に推測できる。
「……声を張り上げて、無礼でしたわね。仮にも公爵令嬢の御前だというのに。一緒に紅茶を楽しみませんか、ソラリス様」
このままでは契約決裂すると冷静になったセリアが、茶菓子を勧めてくる。
「お嬢様、お持ちしました」
このタイミングでエルバスが、贈呈する稀少な魔道具を台に乗せて持ってきた。
白い布がかけられており、中身は見えない。
「お見せして差し上げて」
エルバスは頷くと、白い布を取った。
私は口元を手で隠し、小声で彼に協力を求める。
「グレイ様、魔道具の特徴を言うわ。意見をちょうだい」
『了解』
私の読みが正しいなら、この魔道具はおそらく──




