真紘side
ホテルの最上階に位置する創作フレンチレストランの個室からは、キラキラとネオン輝く街並みが見える。眼下に見えるネオン街のどこかに鈴香がいると思うだけで胸が切ないほどに高鳴る。
さっさと、面倒事を終わらせて鈴香を迎えに行きたい。しかし、焦りは禁物だ。
目の前でカトラリーを操り上品に食事を口に運ぶ女の狡猾さは嫌というほど知っている。
鈴香との未来のためにも失敗することは許されない。
「どうしたの? 真紘。好みじゃなかったかしら?」
「いいえ、そんなことありませんよ。美沙江とこうしてデート出来るなんて夢にも思わなかったのでね。柄にもなく神に感謝していたんです」
復讐する機会を与えてくれた神にね。
真っ白な皿に盛られたテリーヌを真っ二つにナイフで切り口に運ぶ。ほんのりと口に広がった酸味が、昂った心をわずかにほぐしてくれるような気がして口元に笑みが浮かぶ。
美沙江からの誘いにのったのは、ある資料を手に入れるのが目的だった。
入江物産の田ノ上部長、強引なやり口で今の地位を得た男だ。しかし、敵も多いからこそ弱味を見せない狡猾な男でもある。美沙江が、田ノ上部長を伴い営業部へとやって来た時から、何か仕掛けてくるとは思っていた。でも、周りを巻き込まなければ静観するつもりだった。しかし、彼女は鈴香を陥れようと策を図ったのだ。それも、最悪な方法で。
鈴香の元彼に情報を流し奴の嫉妬心を利用して、鈴香を精神的に追い込んだ。自分の手は汚さず、蹴落としたい相手を陥れる。実に、美沙江らしい手口に、呆れを通り越して感心すらしてしまった。
汚いやり口には、汚いやり口で。
美沙江を油断させるため、彼女の誘いにのる振りをしつつ、裏で慎重に計画を実行に移していった。
美沙江と別れてから集め出した情報が、やっと実を結ぶときが来た。それも最高な形で。
美沙江の悔しがる姿を想像するだけで、笑いが込み上げそうになる。鈴香との未来のためにも、この女には、俺の人生の中から退場してもらう。
「それで、美沙江……、例の資料は用意してくれたの?」
「もちろんよ。私と真紘の未来のためだもの。田ノ上部長の弱味よね。ずっと昔から疑っていたけど、まさか横領しているなんて……、もうあの男もお終いね」
残忍な笑みをこぼし、美沙江がクスクスと笑う。彼女も田ノ上部長に思うところがあるのだろう。
他人の不幸は蜜の味と言ったところか、実に楽しそうに笑っている。
「じゃあ、近々、リークされるんだね」
「えぇ、内部告発としてマスコミに情報を送ったから、近々発表されるはずよ」
嬉々として渡された茶封筒を開け、中に入っていた資料にザッと目を通す。そこには、田ノ上部長の横領を決定付ける証拠と、その金がどこに送金されたかの記載もなされていた。
よくこんな裏帳簿、引っ張ってこれたよな。その点だけは美沙江をほめてやってもいい。
これで鈴香の元彼もお終いだ。田ノ上部長ともども、堕ちていくさまを想像しさらに笑みが深くなる。
「美沙江、ありがとう。これで、田ノ上部長の娘からのアプローチもなくなるよ」
「本当、親子そろってしつこいんだから。大人しく須藤課長との婚約話に乗っておけばいいのに、私の真紘に目をつけるなんて」
「あぁ、クラブで知り合っただけなのに、しつこく付きまとわれてさ。本当、助かったよ」
目の前で悪態をつく美沙江へと、笑みを浮かべて見せる。田ノ上部長の娘との出会いが、全て仕組まれていたことを美沙江は知らない。そして、目の前で上機嫌に食事を運ぶ女を陥れるための布石だということも。
「ふふ、これで私たちを引き離す障害はなくなったわ。ねぇ……、真紘。がんばった私にご褒美をちょうだい。下に部屋を取ってあるの」
妖艶な笑みを浮かべ、スッとカードキーを出す美沙江を見ても心は動かない。
鈴香と出会う前だったなら、美沙江との再会に胸が熱くなったかもしれない。しかし、今は彼女に対する嫌悪しかない。
苦い想い出が去来し、消えていく。
当時、俺にとって美沙江だけが全てだった。歳の離れた幼馴染、物心ついた時からいつも一緒にいた彼女だけが特別だった。
面倒見の良い、優しい姉のような存在。そんな美沙江との関係が変わったのは、彼女が大学生になった時だった。まだ、中学生だった俺に離れていく彼女を引き留める術などなく別れを意識した時、自分の恋心に気づいた。
あれから数年、何度振られようと追いすがり、高校入学と同時に、やっと長年の想いが実った。しかし、幸せは長くは続かず、その数年後、突然の別れが俺を襲った。
知らない男の手を取り、去って行く彼女を見つめ、引きとめることも、その男から美沙江を奪うことも出来ない。自分の不甲斐なさに憤り、やり場のない怒りはいつしか、美沙江を恨み、女という生き物を恨むまでに成長していた。
しかし、そんな感情はいつの間にか消え去り、気づいた時には心の中の美沙江という存在が小さくなっていた。鈴香との出会いがなければ、今でも美沙江を恨んでいたことだろう。
意地っ張りで、不器用な鈴香。バリバリ仕事をこなす癖に、変な所で抜けている七つ歳上の彼女を思い出すだけで心が震える。
恋には疎くて、男女の機微には鈍感なくせに、男慣れした年上女の振りをする。深く付き合えば付き合う程、鈴香が纏った仮面をぶち壊し、本当の姿が見たくなる。あの仮面の下に隠された弱い彼女が見たくなる。
俺の前でだけは、ありのままの姿を見せて欲しいと叫ぶエゴのまま、だいぶ苛めてしまった自覚はある。
鈴香との最後の夜を思い出し胸がズキリと痛む。
もう、嫌われてしまったのかもしれない。鈴香が言うように、始めから俺に対する好意などなかったのかもしれない。しかし、鈴香の本心がどうであれ、もうあきらめない。格好悪くたって、徹底的に追いすがり、手に入れると決めた。
――鈴香……
彼女のことを想うだけで、こんなにも心がふるえる。だからこそ、目の前の女だけは排除しておかなければならない。
くくく、こんな形で日の目をみることになるなんてな。
「カードキーはお返ししますよ」
テーブルの上のカードキーを指先で押し戻せば、真正面から怪訝な視線が突き刺さる。
まさか、断られるとは思っていなかったのだろう。
「証拠の資料さえ手に入れば、あなたは用済みなんですよ」
「ちょっと……、待って。どういうことなの!? じゃあ、田ノ上部長の娘に言い寄られているって言っていたのも、思わせぶりな態度を取っていたのも、すべて嘘だったの!?」
「おかしな話ですね。俺は別にあなたと寄りを戻したいなんて一言も言っていない。まぁ、あの部長の娘が煩わしかったのは確かだけどね。それに、既婚者と不倫するなんて馬鹿、俺がする訳ないだろう」
「……嘘よ。私が夫と上手く行っていないって話したら慰めてくれたじゃない。俺がいるから大丈夫って。支えるって」
目の前で涙を浮かべ肩を震わす美沙江の様子にも心動かされることはない。
「ははっ、そんな陳腐な言葉に引っかかるなんて、数多の男をたぶらかして来たあなたらしくない」
「ひどい、ひどいわ。騙すなんて、ひどいわ!!」
ワッと泣き伏した美沙江の姿を見つめ、白けた気持ちが心の中に広がっていく。今や美沙江への執着とも呼べる恋心は跡形もなく消えていた。
「ひどいのは、どちらでしょうね。姑息な手段で鈴香を精神的に追い込んだあげく、ストーカーと化した元彼をけしかけたのが、あなただってことはわかっています。責任を認めて鈴香に謝罪してください」
「そ、そんなの言いがかりよ!! 勝手にあの女が自爆しただけじゃない!」
「ただ、そのきっかけをつくったのは、美沙江、あなたですよね」
黙りを決め込み、そっぽを向く美沙江の姿から反省の色は見えない。どこまでいっても、身勝手で自分本位な女の態度に怒りを通り越して呆れてしまう。しかし、このまま曖昧に話を終わらせれば、後々報復に出る可能性が残る。
心の奥底に残っていた温情ですら消えた今、遠慮はいらない。徹底的に潰すのみ。
「きっと、昔も今もあなたに良心はないのでしょうね。自分本位で己の欲望さえ満たされれば、親しい人でさえ簡単に切り捨てる。昔の俺にしたようにね」
いまだに突っ伏す美沙江を見下ろし、テーブルの上へと写真を並べていく。肌も露わな美沙江と男が抱き合っている写真や、情事の後を色濃く残し眠る写真、そして男とのキスシーンを激写した写真まで、様々な浮気現場を捉えた写真が並ぶ。
「ここに並んでいる写真は、すべて美沙江の浮気をとらえた写真です」
俺の言葉に顔をあげた美沙江の目が見開かれる。思いもよらなかったのだろう。用心に用心を重ね、浮気相手を厳選していたのだから、そんな男達に裏切られるとは考えてもいなかったのだ。彼女にとっては、寝耳に水の話。
「な、な、なに、よ、これ!?」
「あなたの浮気写真ですね。うまく隠していたようですけど、夜の世界は案外狭いんですよ。あなたに捨てられてから遊びまくった経験と交友関係が役に立ちました。この写真が、あなたの旦那さん、ないしは親族に渡ったらどうなるでしょうか? 頭のいい美沙江なら、わかりますよね」
写真を握り潰した手が震えている。
美沙江もわかっているのだ。この写真が出回れば、離婚は免れない。しかし、夫への愛がなくとも権力欲の強い美沙江は、社長夫人という地位を捨てることも出来ない。
「あなたの旦那さん。跡取りですが、微妙な立ち位置にいますよね。今、妻の浮気なんていうスキャンダルが発覚したら、その座から引きずり降ろされるかもしれませんね。それか、さっさとあなたと縁を切って保身に走るか」
「何が……、望みよ」
「望みですか。そうですね……、今後一切、俺と鈴香の前に現れない。それが、写真のデーターを渡す条件です」
握り潰した写真を俺に投げつけた美沙江がキッと睨み立ち上がる。
「わかったわよ! 今後一切、あんた達には関わらないわ! つまらない男になったもんね。お子さま女とままごとみたいな恋愛でもしていればいいわ」
ふんっと怒りもあらわに鞄を引っつかんだ美沙江が、扉へと歩きだす。
「あぁ、そうそう。写真のデーターは渡してやるよ。でも、報復を考えるなら今度こそ潰す」
俺の言葉に一瞬足を止めた美沙江だったが、振り返ることなく部屋を出ていく。こころなしか落ちた肩が彼女の本心を現しているようで、わずかに胸の痛みを覚える。以前には、感じたことすらなかった心の痛みに、改めて鈴香の存在の大きさを思い知った。鈴香と出会っていなければ、今でも美沙江への執着とも呼べる恨みを捨てることは出来なかっただろう。
鈴香は、今頃何をしているのだろうか……
最近の動向は、全て把握しているつもりだ。まぁ、仕事帰りは、ほぼあのBARに立ち寄っているようだ。優の話では、ヤケ酒のつもりか無茶な飲み方をしていると。
鈴香にとっては、けっして良い想い出などない場所に入り浸っている事実が俺にわずかな希望を与えてくれる。
まだ、望みはあると……
静けさに包まれた部屋の中、張りつめた緊張が溶けていく。大仕事を終えた満足感に、大きく息を吐き出した時だった。突然鳴り出したスマホのバイブ音に電話へと出れば、慌てた様子の第一声に心がざわつき出した。
「どうした?」
「ま、真紘さん! すみません、突然電話して。例のストーカーですが、どうやら鈴香さん、奴と待ち合わせをしているみたいです。鈴香さんの様子も何だか変で。入店した時から思いつめた様子なんです。あのストーカー相手にひとりで暴走するかもしれません。このまま様子見ますか? 俺に何か出来る事があれば」
「そのまま二人の監視、続けてくれるか? 何かあったらメールくれ。あと頼みがある......」
優にある指示を出し、その足で店を出る。
BARでの様子を優に報告させていると鈴香が知ったら、彼女は俺を軽蔑するだろうか?
ある意味、俺も鈴香のストーカーだな。
あのストーカー男が今だに彼女の心を支配しているかと思うと腹わたが煮え繰り返る。ただ、奴を追いつめる手札はそろっている。あとは、上手く立ち回るだけだ。
鈴香がヤケを起こさないことだけを願い、レストランを後にした俺は足早にBARへと向かった。




