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加速する想い

 ありきたりな日常が過ぎていく。

 キーボードを打つタイプ音もガサガサと鳴る書類の音も、ひっきりなしに掛かってくる電話の音やガヤガヤと忙しなく響くフロア内の騒めきも全てが普段通り。何も変わらない仕事風景が流れていく社内で私の心の変化に気づく者などいないだろう。

 そして、『橘真紘』と私の関係が終わった事に気づく者も誰もいない。

 会社内で関係を隠すように強要したのは私だ。それが今となっては自分を苦しめる。

 営業部内で広まりつつある噂が私の胸の傷をジクジクと傷ませる。


『橘君と吉瀬さん、どうやら付き合っているらしいよ』


 吉瀬さんが営業部へと出向して来て一ヶ月。彼女は持ち前の社交能力を発揮し、営業部内でも一目置かれる存在となっていた。人当たりもよく、役職問わずフランクに接する姿に、男女問わず憧れを抱く者も多い。

 そして不慣れな吉瀬さんのサポート役となった橘は、社内でも彼女と行動することが多い。美男美女のカップルとして、二人はあっという間に噂の的になった。

 橘の手を離したのは自分なのに、二人の噂を耳にするたび思い知らされる彼への想いと嫉妬心。そんなドス黒い感情を自覚する度に、自分が嫌いになっていく。本当の私は嫉妬深くて女々しい女なのだ。

 仲睦まじい二人を見ているのも嫌で、席を立つと、足早にフロア内から退室した。





「鈴香さん! こんばんわ。昨夜ぶりですねぇ。今夜は何にしますか?」


 カウンターの一番奥の席に腰掛け、目の前に立ち人懐っこい笑みを浮かべるバーテンダーに視線を投げる。黒のカマーベストにスラックスを着て、蝶ネクタイをつけた目の前の彼の格好は、初対面を知っているだけに大人っぽく映る。

 人って変わるものよね。

 金髪に片耳にズラッとピアスをつけ何処ぞのチンピラみたいな格好をしていた彼とは別人のようだ。

 まぁ、人好きのする笑顔は変わらないけど。

 目の前でシェイカーを振る彼こと『ゆう』との再会は偶然だった。あのクリスマスイブの夜に橘と過ごしたBARへ入ろうと思ったのはほんの気まぐれだったのだろう。一人誰もいない部屋に帰るのも寂しくて、フラフラと街を歩いていたらBARの前にいた。橘と吉瀬さんの噂が営業部内で流れ始めた頃で、自分の感情に振り回され自棄になっていたのかもしれない。

 良い意味でも悪い意味でも私にとっては謂くつきのBARだ。そんな所で飲もうだなんて、あの日の精神状態は最悪だったのだろう。

 橘との接点を捨てきれず、こんな所に通ってしまうなんて、本当ばかよね。

 自嘲的な笑みがひとつ溢れ、暗澹たる気持ちを振り払うように目の前の彼に話かける。


「そうね。今日は何にしようかな? オススメはある?」

「オススメですか? じゃあ、メリィ・ウィドーなんてどうですか?」

「メリィ・ウィドーって貴方……、カクテル言葉知って言ってるのよね?」

「もちろんそうですよ。もう一度恋を。鈴香さん、最近落ち込んでいるみたいだし、失恋でもしたのかなって。女性がヤケ酒するのは大抵失恋した時ってね。俺なんてどうですか? 優良物件ですよ。顔良し、性格良し、あと家事全般こなせるんでヒモに如何でしょうか?」


 目の前でニッと笑う優を見て、あからさまなため息をついてやる。


「はぁぁ、初対面の女を酔わせて襲おうとしていた奴と付き合う訳ないでしょ。クラブでの事、忘れてないわよ!」

「ははっ、冗談ですよ。真紘さんがいるのに貴方に手なんて出せませんよ。で、真紘さんと何があったんですか? そろそろ教えてくれてもいいでしょ」


 優の口から出た橘の名に、心臓が大きく跳ねる。


「た、橘君は関係ないでしょ。別に彼とは何でもないのよ。何でもない……」

「そうですか? 俺にはそう見えなかったけどなぁ。女のことで怒った真紘さんなんて初めて見たもん。あの時は、マジで殺されると思いましたよ。目で人を射殺すっていうのか、今思い出しても冷や汗が出る。基本、あの人女の事はどうでもいいと思っている節があるし、あの見た目でしょ、寄ってくる女は後をたたず、より取り見取りのくせに今までどんな女にも執着しなかったんですよ。まぁ誘われれば相手もするし、ワンナイトラブなんてザラで、来る者拒まず、去る者追わずの態度だったから、連んでいた奴等ですら、今まで誰かに執着する真紘さんなんて見た事ないと思う。それにあの日以来、クラブにも来なくなったし、俺はてっきり鈴香さんが本命かと思っていたけど、違うの?」

「……ただの同僚よ」


 疑わし気な視線を投げる優に、曖昧な笑みを浮かべ逃げをうつ。


「そうかなぁ? 絶対怪しい……。真紘さんの仲間内では、まだ付き合いが浅いけど、二年以上連んでいる俺の知る限り恋人が居たなんて話も聞いたことなかったし、ましてや女性をお姫さま抱っこして、クラブから連れ出すなんて初めて見たしね。それで、ただの同僚ですって言われてもなぁ。じゃあ、まさかの真紘さんの片想い!?」

「まさかぁ……。もう、これ以上詮索しないの! 私はお客様です!! それより、橘君とは長い付き合いなのね。二年も連んでいるなんて、今時の男の子は普通なの?」

「今時の男の子って、大して鈴香さんと年齢変わらないでしょ。十歳も変わらないでしょうに」

「三十路のオバサンと二十歳はたちそこそこの子じゃ、上る話題すら違うでしょ。貴方は間違いなく今時の男の子ですよぉ」

「そうかなぁ? 年齢なんて関係ないと思うけど。今だって楽しく鈴香さんと会話出来てるし、話題に困る事もない。人好き合いするのに大切なのは、年齢じゃなくて相手とフィーリングが合うかどうかじゃないかな。同世代だって知らない事や合わない話だってある。別々の人間なんだし、興味を持つ分野も人それぞれ。それこそフィーリングが合う人なら老人とだって意気投合出来るでしょ。よく今時の若者は~とか、老害の戯言は~とか言うけど、年齢関係なくない?って俺は思う。人それぞれでしょ」


 橘にも同じような事を諭されたことを思い出し、心に苦い想いが広がっていく。私はいつまで経ってもダメダメね。よっぽど目の前の優の方が大人だ。

 私はあの時から何も変わっていない。周りの目を気にして、『橘真紘』という存在に向き合おうとはしなかった。そして、逃げ出した。橘からも吉瀬さんからも……

 

「こんな話、鈴香さんにして良いのか分からないけど……。真紘さんって、たぶん鈴香さんが思っている以上に優しくて芯のある人だと思うよ。確かに女癖悪いし、性に奔放な態度取るから普通の女性からしたら、クズ男に見えるかもしれないけど、仲間内ではかなり評判良いって言うか、簡単に言うと兄貴肌な所があるんだよ。本気で困っている仲間は見捨てないんだよ、あの人。まぁ、俺も真紘さんに救われた口なんだけどね。馬鹿やったせいで、バイトもクビになって、明日の生活にも困窮していた俺に、ココで働けるように口利きしてくれたのも真紘さんなんだ。当時、知り合って半年も経っていない俺にさ。もちろん中には、真紘さんの顔目当てで寄ってくる女のおこぼれを狙う奴らもいるけど、あの人の周りには、真紘さんの性格や漢気に心酔して側にいる奴らも一定数いるのも事実で……」


 橘の優しさなんて知っている。

 一緒にいる時間が増えれば増える程、変わっていった印象。優しくて芯のある人。

 目の前の彼が語る『橘真紘』が本来の姿だって今なら分かる。


「優しい人……」

「だからこそ不思議なんだよなぁ? 女性に対する扱いが雑というか……。どこか遊び相手の女に向ける視線が冷たいんだよ。たぶん、言い寄ってくる女達を軽蔑していたんじゃないかな。いい雰囲気になった女が、他の男に言い寄られようが、お持ち帰りされようがガン無視だったしね。それが鈴香さんだけは違ったからさ、仲間内では真紘さんの本命現わるって一時大騒ぎになってたんだよ」


 確かに、恋人契約をしていた時の橘の態度は悲惨だった。相手を思いやるなんて事は皆無で、やりたいように振る舞う暴君そのもの。遊び相手の女達も気に入らなければ簡単に切り捨てて来たのだろう。

 全てを諦めたような空虚な瞳から覗く、苛立ちや悲しみを私は確かに感じ取っていたのだ。

『橘真紘』の過去には、女という生き物を軽蔑し恨むほどの何かがあった。その原因が、吉瀬美沙江……


「橘君は、昔から女性にはそんな態度だったの?」

「俺が出会った頃の真紘さんと今の真紘さんはあまり変わらないと思います」

「そう……。昔、何かあったのかしらね?」

「さぁ? たぶん誰も知らないと思う。真紘さん、過去を話したがらないから」


 女という存在を憎むほど心に傷を負った橘が、原因となった女に再会した。それは、果たして彼にとって喜ばしいことなのだろうか……

 空になったグラスの中で溶けた氷がぶつかりカラッと音を立てる。

 そんなこと、今さら私が気にしたって仕方ないわね。


「ご馳走さま。また来るわ」


 席を立つと、目の前の彼に手を振り店を後にした。

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