第八話:聖なる怒り
リオナの不調によりその日の訓練は中断された。カイルはリオナの部屋へ駆け込もうとしたが、シオンがその行く手を阻んだ。
「カイル隊長。総隊長の命令を忘れたのですか? 『精神の安定』は私の役割だ。リオナ様の魂をこれ以上乱すことは許しません」
カイルは、シオンの「役割分担」という論理の盾に、激情を抑え込まれた。シオンの予想通りなら、今のリオナにカイルが接触するのは最悪手のはずだった。リオナの魂は、カイルの感情の濁流を二度と受け入れられない状態にあるとシオンは確信していた。
シオンは自分の考えが杞憂であることを祈りながら、魔法石を手に持ち、共鳴の儀式を行うためにリオナの部屋を訪れた。魔法石は、共鳴の儀式の力を増幅し、外部の干渉を遮断する効果を持つ、高価な道具だった。
「リオナ様、入ってもよろしいですか?」
静かに声を掛けると、しばらくして扉が開けられる。少し休んだことで動けるようになったようだが、顔色は悪いままだった。
「共鳴の儀式を行ったほうが良さそうですが、どうですか?」
シオンの提案にリオナは瞳を泳がす。カイルの過剰な感情が再び流れ込んでくるのではないかという恐怖が、その瞳に見て取れた。
その理由に思い当たり、シオンは小さくため息をついた。
「大丈夫です。カイルの干渉を受けないようにしますから」
シオンはそう告げると、持っていた「魔法石」を口に含んで噛み割った。微細な粒が口内に広がり、シオン自身の共鳴の儀式の波動が一気に増幅される。それは、自分のものではない「精霊の力」を飲み込んで、一時的に能力を強化する荒業だった。
「どうぞ、お手を」
リオナは意を決し、震える手を差し出した。シオンはその手を優しく握り、共鳴の儀式を開始した。
リオナの魂に触れた瞬間、シオンの表情が凍り付いた。彼の穏やかな瞳に、激しい怒りが宿る。
リオナの魂の奥深くには、カイルの強引な共鳴の儀式によってできた、いくつもの黒い拒絶と自己否定の傷が明確にあった。さらに、魂の表面には、他者の感情(嫉妬、恐怖、支配欲)の残滓が、まるで毒のように付着している。これは、リオナの能力の覚醒どころか、魂の生命力すら奪いかねない状態だった。
「なんてことを……!」
シオンは、カイルの愛という名の無自覚な虐待に、初めて声に出して怒りを露わにした。
共鳴の儀式を終えると、シオンは立ち上がり、リオナの目にまっすぐ視線を合わせた。彼の琥珀色の瞳は、真実の怒りで燃えているようだった。
「リオナ様。貴女様の魂は、ひどく疲弊し、傷つけられています。貴女様をここまで追い詰めたのは、他でもない、カイルです」
シオンは、一歩も引かず、ガイドとしての最も重要な倫理を語り始めた。
「守り手の魂は、支配するものではありません。 我々ガイドは、一次覚醒者の命を守るために献身し、その能力を開花させる補助をするために存在します。カイルは、その最も重要な倫理観を破り、貴女様の魂を己の依存とエゴで汚しました」
シオンの言葉には、一片の迷いもなかった。
「貴女様の能力の停滞は、トラウマではなく、カイルの支配による魂の拒絶です」
シオンは、深く頭を下げた。
「これ以上、彼の傲慢さに貴女様の命を委ねるわけにはいきません。カイルがこれ以上、貴女の魂を傷つけるようなら、私は総隊長に進言し、指導の全責任を私が負います。そして、そのために……」
シオンは、決意を込めた眼差しでリオナを見つめた。「貴女の魂を守るため」という、究極の愛の言葉を携えて、彼は、次の言葉を口にしようとしていた。
「リオナと共感することが出来ない……」
カイルは私室の床に膝をつき、頭を抱えていた。焦燥感が、彼の全身の毛細血管を駆け巡り、意識を遠のかせようとする。
ここに来てから初めて、リオナの魂の気配が、カイルから完全に遮断されたのだ。意識を失っているのか、シオンが何らかの魔法石や共鳴の儀式技術で遮断の手段を講じたのか、カイルには判別がつかない。
しかし、この事実は、カイルにとって生命の危機を意味していた。
パーフェクトマッチの波動を感じられないという、感じたことのない喪失感に、カイルは気が遠くなりそうだった。彼の魂は、魔物化寸前の、激しい振動を始めていた。
(俺のせい、だ――)
カイルは、硬い床に額を押しつけ、呻いた。
リオナの不調の原因が、シオンの介入ではなく、自分の過剰な感情汚染にあることに、カイルは薄々気づいていた。シオンが指導法でなく精神安定の役割を担い、総隊長が彼を派遣してきた時点で、彼の傲慢さがリオナの魂を蝕んでいることは、論理的に推察できることだった。
――わかっていたのに、わからないふりをしてきた。
「リオナが私から離れるなど、ありえない」という傲慢なプライドと、「リオナなしでは生きていけない」という激しい喪失恐怖が、カイルの理性を完全に覆い隠していた。
彼は、リオナを失う恐怖と、「指導者としての無能さ」をシオンに突きつけられた屈辱に、身を震わせた。
もし、このままリオナの波動が戻らなければ、自分は完全に魔物化し、世界から存在を抹消される。だが、それよりも恐ろしいのは、リオナが自分を拒絶し、別のガイドの元へ行ってしまうことだった。
カイルは、自らの不器用で支配的な愛が、リオナを苦しめているという事実と、魂の孤独感という、二重の地獄に苛まれていた。
「リオナ……頼む……」
彼は、何に対してかわからない、弱々しい懇願を、ただ虚空に漏らすことしかできなかった。彼のS級ガイドとしての絶対的な能力は、この「愛と孤独」という人間的な問題の前では、全くの無力だった。




