第二十一話:すべての始まり
翌朝。
窓から差し込む陽光は眩しいほどだったが、マダム・ローズの部屋の空気は、それとは対照的に張り詰めていた。
リオナが部屋に入ると、ローズは窓辺の椅子に腰掛け、湯気の立つ紅茶を静かに見つめていた。
その横顔には、いつもの女王のような傲慢さはなく、どこか深い悔恨の影が落ちていた。
「マダム・ローズ、おはようございます」
リオナが声をかけると、ローズはゆっくりと顔を上げた。
そのアメジストの瞳が、リオナの全身を――満ち溢れるS級の波動と、艶めいた肌の血色を――観察するように巡る。
「ええ、おはよう、リオナ。……顔色は良いようね。シオンの『共鳴の儀式』は、貴女の魂に馴染んだようだし」
「はい。おかげさまで、体の芯から力が満ちているのを感じます。もう、魔力の揺らぎもありません」
リオナは深く頭を下げた。昨夜のシオンの情熱的で、少し過剰とも言える献身を思い出し、頬が微かに熱くなるのを悟られないように。
「そう。……なら、話しても好さそうね」
ローズはカップをソーサーに戻すと、向かいの席を手で示した。
リオナが座るのを待ち、彼女は重い口を開いた。
「今回の誘拐事件、そして貴女の両親に起きた悲劇の真相について、すべて話しましょう」
リオナの背筋が伸びる。ついに、自分が隠遁生活を送らざるを得なかった理由、両親の死の真実が明かされるのだ。
「まず最初に……わたくしが神官長を引責辞任し、長年自宅で監視を受けていたことは知っているわね?」
「はい。とある事故の責任を取られたと聞いています」
「ええ。その『事故』の原因となった、ある非人道的な実験の存在を知りながら……わたくしはそれを黙認し、止めることができなかった。それがわたくしの罪よ」
ローズは自身を嘲るように目を伏せた。
「その非人道的な実験というのが――貴女の両親、アルテミスとアウローラに行われたものだったの」
「……っ!」
予想はしていた。だが、改めて告げられる事実に、リオナは息を呑む。
「貴女の両親は、S級ガーディアンとガイドで『刻印』契約した夫婦でした。けれど、二人には決定的な障壁があった。身分差よ」
ローズは遠い日を思い出すように語り始めた。
「お父様であるアルテミス・ヴァレンティンは、アルテミス公国の公子。対して、お母様であるアウローラ・セレネは平民の出でした。 アルテミスは神殿に籍を置いていたけれど、その稀有なS級の才能ゆえに、大国との外交の道具、あるいは政略結婚の駒として利用されそうになっていたの」
「父が……公子……」
「ええ。当時、彼はすでにアウローラと『刻印』を交わしていた。けれど、周囲の権力者たちはそれを認めなかった。彼らが恐れ、そして利用しようとしたのが『運命の絆』のシステムよ」
ローズの声音が硬くなる。
「『刻印』といえど、魂の深淵で結ばれる『運命の絆』の絶対的な引力には抗えないとされているわ。もし、アルテミスに『運命の絆』の相手が現れれば、彼はアウローラを捨て、あるいは精神の均衡を崩して暴走するかもしれない……。権力者たちはそう脅し、二人の愛を引き裂こうとした」
リオナは拳を握りしめた。愛し合う二人を引き裂く理不尽な理屈。それは、かつてカイルが「運命の絆」を盾に自分を縛ろうとしたことと重なる。
「そこに、ルーク・カイラスたちが付け入ったの。『運命の絆』の支配力を人為的に制御し、無力化する研究がある、と」
「まさか……」
「そう。二人は、自分たちの愛を守るために……何者にも邪魔されない絆を証明するために、その実験体となることを選んでしまった」
ローズは苦しげに眉を寄せた。
「けれど、それは罠だった。ルークたちの目的は、愛を守ることなんかじゃない。S級能力者を意のままに操る『洗脳』と『強制支配』のデータを取ることだったのよ。 そして、最悪なことにその実験は失敗した。無理な精神干渉はS級能力者の暴走を誘発し……二人は『魔物化』を起こし、命を落とした」
部屋に沈黙が落ちた。 リオナの脳裏に、会ったこともない両親の、無念の叫びが聞こえた気がした。愛し合っていただけなのに。ただ一緒にいたかっただけなのに。
「……その実験を、裏で糸を引いていたのが、ヴァレンティン公よ」
「ヴァレンティン公……」
「アルテミスの叔父にあたる人物。王位継承権を狙う旧勢力の筆頭よ。
彼はルークに資金提供し、実験を行わせた。そして今、彼は貴女を狙っている。亡きアルテミスの娘であり、S級の力を持つ貴女を『傀儡の女王』として公国に迎え入れ、その力を軍事利用するために」
リオナの中で、悲しみは熱い怒りへと変わっていった。
自分の人生が、両親の死が、そんな卑劣な欲望のために弄ばれていたなんて。
「……許せない」
リオナの瞳に、S級の強烈な魔力の光が宿る。
「私の両親を殺し、私を誘拐し、カイルやシオンまで傷つけた……。そんな身勝手な理由、絶対に許しません」
ローズは立ち上がり、リオナの前で深く頭を下げた。それは、かつての神官長としての、最大限の謝罪だった。
「リオナ。貴女にどれほど謝っても謝りきれない罪を、わたくしは背負っているわ。あの時、わたくしがもっと早く動いていれば……」
後悔に満ちた言葉をローズは口にした。
「だから、約束するわ。この件に関して、貴女が望む形で決着をつけると。わたくしの全ての能力、人脈、そして命にかけて、貴女の復讐を完遂させると」
リオナは立ち上がり、ローズの手を取った。
その手は震えていなかった。
「顔を上げてください、マダム・ローズ。貴女がいたから、私は今まで生き延びることができた。……私たちがやるべきことは、謝罪ではありません」
リオナは窓の外、遠くアルテミス公国の方角を見据えた。
「『断罪』です。私たちの未来を奪おうとする者たちに、相応の報いを与えに行きましょう」
その声は、もはや守られるだけの少女のものではなかった。
ローズは顔を上げ、美しく成長した「女王」の瞳を見て、ふっと口元を緩めた。
「ええ……そうね。行きましょう、リオナ。わたくしたちの弔い合戦よ」




