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第十話:運命への誓い

 静かな夜だった。


 リオナは自室の窓から見える白い月を見上げていた。シオンから『刻印(ボンディング)』契約を申し込まれて三日。その申し出を受け入れるかどうか悩み続けてきた。リオナが答えを出せない間も、シオンは変わることなく、彼女を尊重し、労り、優しく接し続けてくれた。


「もう決めてしまっていいのかもしれない……」


 シオンを相棒(パートナー)にすれば、これまでのように苦しむことがなくなるだろう。彼はきっとこれまで通りにリオナを優しく包み込み、守ってくれるに違いない。


 それなのに……。


 プラチナブロンドの髪と鋼色の瞳を持つ男の顔が頭の隅にこびりついていた。高慢で人を見下し、リオナの精神を傷つけてきた運命の絆(パーフェクトマッチ)。運命の相手と言うにはあまりに酷な仕打ちをし続けるカイルはどう思っているだろう。


 コンコンコン――


 扉からどこかためらうかのようなノックの音がした。


(こんな夜更けになんだろう?)


 リオナが扉を開けると、今さっき頭に思い描いていた男が立っていた。


「カイル――?」


 俯いているせいで表情は見えなかった。肩を小刻みに震わせ、両の拳を固く結んでいる。


「……夜分遅くにすまない……話をさせてくれないだろうか?」


 初めて見る憔悴しきった様子にリオナは困惑したが、断る理由もなく、そのままカイルを部屋に入れた。


「……」


 部屋に入れてくれと言ったきり、カイルは何も言わず、立ち尽くしていた。


「そんなところにつっ立ってないで、座ったらどう?」


「いや……いい」


「そう……」


 断られ、リオナは小さくため息をつく。時計の音だけが聞こえる。奇妙な緊張感が場を支配し、居心地の悪い時間が流れていった。


「……シオンから、君に『刻印(ボンディング)』契約を申し込んだと聞いた」


 カイルが沈黙を破った。


「リオナ、……君はそれを受け入れる……つもりなのだろうか?」


 いつもとは違う弱々しい口調にリオナは驚く。彼女を見つめる薄い水色の瞳は揺れ動き、カイルの心が乱れていることを表していた。


「そう、ね……シオン様の申し出を受けてもいいと思ってるわ」


 正直な気持ちを口に出す。


「シオン様は優しいし、いつも私を気遣ってくれる。私のことが大切だって言ってくれるのよ。――カイル、あなたといるのが辛いの。あなたが私を運命の絆(パーフェクトマッチ)だと言うけれど、あなたに卑しまれ、見下されて傷ついてきたわ。このままだと、私の精神が壊れてしまうと思う」


 カイルの心に優しさがないわけではなかった。共鳴の儀式(ガイディング)で流れ込んでくる力にはリオナを思う気持ちが感じられた。それは心地よいものであったが、彼の発する言葉や態度は常にリオナを傷つけてきた。決して的外れではなかったから、それを受け入れてきたが、それもそろそろ限界だった。


 カイルは震える拳をゆっくりと開き、顔を上げた。その瞳は、もはや傲慢な鋼の光ではなく、純粋な絶望の光を宿していた。


「すまない……俺自身の弱さが君をここまで追い込んでしまったんだ」


「カイル……?」


「こんな謝罪の言葉で許されるとは思わない……俺が弱すぎるんだ」


 カイルは、一歩、リオナに向かって踏み出した。彼の唇から、これまで絶対に出ることのなかった、魂の真実が吐き出された。


「君を欠陥品だと罵ったのは、俺自身が欠陥品だからだ。俺は、ガイドとして、一度、運命の絆(パーフェクトマッチ)ではないが、刻印(ボンディング)を交わした相棒(パートナー)をゾーンアウトで失っている」


 リオナは息を飲んだ。彼の瞳に、過去の失敗の影が深く落ちているのが見えた。


「俺の共鳴の儀式(ガイディング)は完璧ではなかった。大切な者を、俺の傲慢な指導で壊してしまった。だから、君が『一般人(ミュート)だ』と、俺を拒絶したとき……俺の魂は、生涯最後の希望である君まで失うのだと、激しく絶望した」


 彼の声は、もはや貴族のそれではなく、見捨てられることを恐れる、孤独な少年の声だった。


「だから、俺は、『傲慢な指導』という鎧を着て、君を『支配』しようとした。傲慢で、支配的でなければ、俺はまた、君を失う恐怖に耐えられなかった。君を罵倒することで、俺がどれほど君を必要としているか、俺自身が認めたくなかったんだ、リオナ」


 カイルは、彼のプライドの全てを叩き壊す、最も弱い言葉で、リオナに懇願した。


「俺は、君なしでは、もう、まともなガイドでいられない。君の共鳴の儀式(ガイディング)、存在なしでは、俺の魂は孤独に耐えられない。シオンの共鳴の儀式(ガイディング)は優しいだろう。だが……頼む、リオナ。俺から、君を奪わないでくれ」


 彼の瞳から、一筋の雫が、煤で汚れた頬を伝って落ちた。それは、カイルが傲慢さという鎧を完全に脱ぎ捨てた、魂の涙だった。


 その光景に、リオナの胸は締め付けられた。この男が、S級ガイドとしてのプライドを粉々に砕き、最も見せたくなかった弱さを晒している。彼の魂から流れ込む波動は、もはや傲慢な濁流ではなく、見捨てられることへの、激しく、純粋な悲鳴だった。


 リオナは、シオンの清浄で献身的な愛と、カイルの激しく醜い、しかし魂を焦がす運命の愛の間に立たされていた。


(シオン様と一緒なら、私は安寧を得られる。でも……この人は、私がいなければ本当に壊れてしまう。そして、私も、この人とでなければ、魂の奥底まで震えるような、究極の領域には到達できない)


 リオナは、ゆっくりと一歩、カイルに向かって踏み出した。


「顔を上げなさい、カイル」


 リオナの声は、穏やかだったが、その奥底には、揺るぎない女王の意志が宿っていた。


 カイルは恐る恐る顔を上げた。リオナは、彼の涙で濡れた頬にそっと手を添えた。


「あなたの共鳴の儀式(ガイディング)が私を傷つけたことは、事実です。あなたの魂の怖れと支配欲が、私の魂を汚染しました。ですが、同時に……あなたの共鳴の儀式(ガイディング)だけが、私の精霊力を根源から揺さぶり、力を引き出したのも、また事実です」


 リオナは、優しく、しかし真剣な瞳でカイルを見つめた。


「シオン様の献身には心から感謝します。彼の道を選べば、私の命は安寧に守られるでしょう。ですが、カイル。私は安寧のために私自身の可能性を捨てるつもりはありません」


 リオナの瞳に宿る光は、もはや怯える少女のそれではない。それは、運命と自分の能力を支配することを選んだ、未来の女王の光だった。


「私は、あなたを選びます。あなたという名の激しい運命を選びます」


 カイルの瞳に、絶望から狂喜の光が灯った。


「リオナ……! ああ、愛し――」


「しかし、条件があります」リオナは、カイルの歓喜の言葉を遮った。


 リオナは、カイルの顔を両手で包み込み、優しく、しかし有無を言わせぬ圧を込めて告げた。


「カイル。あなたの支配欲は、私の魂にとって無用の長物です。あなたは今後、私のために、感情の暴走を完全に制御し、献身的なガイドとなることを命じます」


「あなたの傲慢さも、嫉妬も、そしてその涙も含めて、全て受け入れます。だから、私を最高の精霊の守り手(ガーディアン)に導きなさい。」


「私は、あなたという最高のツールを、手放すつもりはありません。私の命令に従うなら、あなたは私の唯一無二の相棒(パートナー)であり続けられます。これが、シオン様への答えであり、あなたとの新しい契約です」


 リオナは、カイルの命綱を握りしめたまま、「愛」という名の絶対的な服従を命じた。


 カイルは、屈辱よりも遥かに大きな、「リオナを失わなかった」という安堵と歓喜に支配された。彼は、リオナの手を握りしめ、まるで生涯の忠誠を誓う従僕のように、熱い誓いの言葉を口にした。


「……承知した。リオナ。私の全てを、あなたの最高の精霊の守り手(ガーディアン)としての覚醒に捧げよう。この命は、あなたの命令のためにのみ存在する」


 その瞬間、リオナの身体から、これまでになく安定し、力強い波動が溢れ出した。シオンの共鳴の儀式(ガイディング)で整えられた魂が、カイルの「服従と献身」という新しい共鳴の儀式(ガイディング)を受け入れたことで、S級覚醒への最終リミッターが完全に解除されたのだ。


 二人の運命の絆は、「女王と従僕」という形で強固に結ばれた。


 その夜、拠点から放たれた「安定した、最高にパワフルなS級覚醒寸前の波動」は、遠く離れた場所で、リオナを狙う者たちの監視網に、明確に捕捉されていた。

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