第四章 世界最強の女、そして……至高評議会への無理なお願い
ヴァレンフォートの蜂蜜酒の二日酔いには三段階ある。
一段階目、自分が死ぬと思う。
二段階目、死にたくなる。
三段階目、誰かが炭で眉毛を描き足したことに気づく。曲がってる。しかもその顔で人と会わなきゃいけない。
「タラ」
タラは宿屋のベッドの足元に、休暇を取った彫像みたいに座ってた。
壁みたいな無垢な顔であたしを見た。
「あたしの眉毛、描いたでしょ」
彼女は自分の手の炭を指さした。次にあたしの顔を指さした。それから肩をすくめた。
「焼けたよりマシでしょ」って顔だった。
技術的には正しかった。左の眉毛は昨日、丸焼きになった。今は炭で描かれた太くてちょっと傾いた眉毛がある。素人劇団の悪役みたいな面だ。
モチは枕の上で、メルラが「温度調節用」って売りつけた燻り石に巻きついて寝てた。
手を伸ばして取ろうとしたら、起きて、石を丸ごと一口でパクッと飲み込んで、この上なく満足そうな顔をした。
「あれがメシなのね」
呟いた。
ゲプッ。
青い火花が一つ出て、空気中で消えた。
立ち上がって、髪をどうにか整えて、新しい炭の眉毛を運命として受け入れて、今日は昨日よりマシになるって決めた。
今週二つ目のミスだった。一つ目は、平和に飲めると思ったことだ。
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ガルドレンが契約の間のドアの前で待ってた。
一晩中鏡の前でセリフを練習して、それでも後悔してる顔だった。
「ハザエ。良い知らせと、お前が悪いと判断する知らせがある」
「良い方から。いつも良い方から」
「至高ギルド評議会が、戦災の被害登録と災厄竜の死の確認のために書記をヴァレンフォートに送ってきた」
耳が勝手に立った。
「至高評議会の書記が」
「ああ」
「ここに。今日。この建物に」
「ああ。そして悪い知らせは、お前が今、取り返しのつかないヤバいことをしそうな顔をしてることだ」
「笑ってるだけだよ!」
「それが問題なんだ。お前がそう笑うたびに、誰かが橋を失うんだよ」
ジロが腕を引っ張って、廊下の隅に連れて行った。密談モードだ。
「ハザエ、聞け。お前の為にスピーチ書いてきた。外交的なやつ」
「あんた字書けんの?」
「書けるわ! 聞け。『謙虚なる王国のしもべ、謹んで至高なる御身に静穏の法の即時承認を要求す。さもなくば髭を引き抜きマフラーにする』」
「あいつ髭ないよ、ジロ」
「じゃあ眉毛だ。臨機応変に」
「ジロ」
「何?」
「次あたしにアドバイスしたら、あんたの人生最後のアドバイスになるから」
「これは恋愛じゃなくて外交だぞ! 違う!」
「余計タチ悪いわ。あんたが作る外交なんて」
スピーチなしで入った。その方がマシだ。
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至高評議会の書記は、オルウェンって言った。
痩せて、指は第二関節までインクで染まって、首から擦り切れた紐で読書用のレンズを下げて、寒い山の朝でも額に汗をかいてる。
あたしを見た途端、インク壺を落とした。次に羽根ペン。次に書類の束全部。絨毯みたいに床に散らばった。
タラが全部落ちる前に拾った。インク壺も、ペンも、束も、尊厳も。無表情で返した。
オルウェンは机に額をぶつけるくらいの深いお辞儀で礼を言った。二回。
「イ、イシザキ様……光栄です……そして恐怖です。光栄な恐怖です」
「ハザエでいい」
「はい、ハザエ様」
「ハザエだけでいい」
「はい、ハザエ様」
ため息をついて座った。カダヴァルが椅子にチリンって当たって存在を主張して、オルウェンは唾を飲み込む音が聞こえるくらいデカく飲み込んだ。
「オルウェン師、評議会にお願いがあって来た」
「お願い、ですか?」
彼は、初めて聞く言葉みたいに繰り返した。
「静穏の法を承認してほしい」
読書レンズが首から落ちて机に当たった。
「せ、静穏の法……?」
「みんながあたしの顔と名前と戦いを忘れる魔法。誰も気絶しないで酒場に入れるようにしてほしい。ガラスも割れない、子供に竜の帽子って呼ばれないように」
オルウェンはしばらくあたしを見つめた。それから書類束を、思ったよりしっかりした指で探った。恐怖が別のものに変わってた。好奇心だ。
「ご存知なのですか、静穏の法を?」
「あると思ってた。楽観的なの」
「あります。四百年前の提案で、一度も採決されてない。臣下に頼み事ばかりされて疲れた王が書いて、馬鹿げてるし危険だし……」
彼は余白のメモを読んだ。
「『怠けすぎて真面目に取り合うに値しない』って理由で評議会に却下され、保管庫行きになったものです」
「じゃあ出してくればいい。埃払ってハンコ押して」
「そう簡単には……」
彼は咳払いして、もっと公式な声になった。法律を読む声だ。
「全王国の記憶に干渉する法は、全王国を統べる者にしか発布できない。巻物には色彩の証明が求められています」
「何それ?」
オルウェンは喉を払って、一時停止しながら読んだ。
「『ウー・ライの記憶に掟を下さんとする者は、七つの原初の魔獣を統べた証として、それぞれの血を己の色のまま、死者の手では染まらぬ刃に刻まねばならぬ』」
沈黙。
ジロが小声で言った。
「高そう」
「じゃあ七匹殺せばいいんでしょ」
あたしの頭では全部そうなるから、言った。
「殺すのではない。刻むのです。血は刃に染みて残らねばならない。普通の鋼では色は定着しない。乾けば粉になる。無になる。だから誰も成し遂げられなかった。誰も」
背中のカダヴァルの重さを感じた。
それと同時に、久しぶりに別のものも感じた。
恐怖じゃない。小さな震えだ。
自分の名前を、聞くはずのない場所で聞いた動物みたいな、認識の震えだった。
「誰も、半透明の黒曜石の刃で試した者はいない」
オルウェンは、あたしの剣を日食でも見るみたいに見ながら呟いた。
「プトロルの魔剣で。クルオルの脈を持つ剣で」
サイは沈黙を利用してポケットから巻物を出して、猛烈な勢いで書き始めていた。
「七匹の化け物。八つの国。旅費、食料、船賃、ガイド、衛兵への賄賂、橋の修理費……ハザエ、予算わかってるの?」
「わかんない」
「あたしはわかるわ。泣いて吐いてリサンダーで隠居したくなるわ」
「でも結局計算するんでしょ」
「もちろん。誰かがこの馬鹿騒ぎで儲けて、あなたが切った橋を払わなきゃいけないもの」
オルウェンは、もう私達にではなく自分自身に言い聞かせるように説明を続けた。額にはまだ汗をかいてたけど、目は不可能な手続きが大好きな書記特有の輝き方をしてた。
「七つの魔獣は年代記に名がある。溶岩の巨人、アクラ火山の奥、ヴァレンフォートにて。原初の嵐鳥、アストラガルドの吊り橋にて。原初の海蛇、リサンダーの渦中にて。擬態の森獣、シルソーンの深い森にて。記念碑の石獅子、アイゼンクローネの要塞にて。氷のベヒーモス、ボレアリスの果てにて。そして霧を喰らう者、ノクターンの廃墟にて」
彼は一拍置いて、判決を渡すみたいにあたしを見た。
「そして全てが終われば、クライダートにて、集いし至高評議会の前で、その刻まれた刃を掲げねばならない。七色が残っていれば、法はあなたのものだ。正当な権利として」
「じゃあ可能ってことじゃん」
「理論上は」
彼は言った。
「理論上は昨日よりマシだよ。昨日は理論ゼロで眉毛焼けてたんだから」
オルウェンはあたしを見つめた。入ってから初めて、ただ怯えてるだけじゃない顔をしてた。
「一つ、聞いても? ハザエ様、いや……ハザエ?」
「ハザエだけでいい。聞いて」
「なぜ、あなたはそれを望むのですか? あなたは大陸で最も強力な女だ。世界中があなたを愛してる。王は城を、将軍は軍を、吟遊詩人はひどい歌をあなたに捧げるのに」
部屋が静かになった。ジロが馬鹿なことを言おうとして口を開けて、タラが肩に手を置いて重力で黙らせた。
自分の手を見た。タコを。カダヴァルの柄の跡を。
「あたし十七歳だから」
言ったら、思ったより声が小さくなった。
「誰とも二人きりになれたことないの。あたしを怖がらずに。酒場に入るたびに、静寂があたしの前に入ってくる。昨日ヴァレンフォート救ったのに、クソみたいな蜂蜜酒一杯、平和に飲めなかった。ただ普通の夜が欲しかった。普通の会話が。ガラス割れない普通のキスが」
オルウェンは何も言わなかった。長い時間が経ってから、床からレンズを拾って、インクで染まった袖でゆっくり拭いた。
「三十年、評議会への請願を書いてきましたが」
彼は、ほとんど独り言みたいに小さく言った。
「これが初めての正直な請願だと思います。皆、金や称号や赦免を求める。あなたは、忘れられることを求める」
真っ白な、評議会の印のある紙を開いて、一番上にあたしの名前を書いた。ハザエ・イシザキ。しっかりした字。滲んでない。
馬鹿げた捺印と署名の儀式が終わった時、オルウェンは笑えるくらい落ち着いてて、あたしは彼の家族に危害を加える約束をしないくらい落ち着いてた。あたしにとっては外交的進化だ。
「最後に一つ、オルウェン師。どこから始めればいい?」
「溶岩の巨人でしょうね。一番近い。アクラ火山の下で眠っている。頂上に登った者は少なく、中がどうなってるか語って帰ってきた者はいない。地図には『ここに火と後悔あり』って書いてあります」
止まった。名前が違って響いた。
「アクラ」
「はい。吟遊詩人があなたが……」
「知ってる場所だよ」
「行かれたのですか?」
「子供の頃、落ちた」
オルウェンは、指のインクが全部顔に逃げたみたいに、見事なまでに青ざめた。
「アクラに……活火山の中に……落ちた……?」
「事故だよ。探検してた。っていうか、親の言うこと聞かなかっただけ」
「巨人は見なかったのですか?」
「剣しか見なかった」
カダヴァルは何も言わなかった。
それが変だった。すごく変だった。
髪型にも、蜂蜜酒にも、イケメンの前で赤くなる癖にも、豆の食いすぎにも、何にでも意見があるくせに。
オルウェンが火山の名前を言ってから、一言も、皮肉も、ため息もなかった。
ただ背中で重くて静かな重さがあるだけだった。
『ねえ。いるの?』
沈黙が、気になるくらい長く続いた。
『いるわ』
『黙ってた。珍しいじゃん』
『考えてたの』
『何を?』
『今は重要じゃないこと。後で』
一瞬、もっと何か言いそうな気がした。刃が一度だけ、強く脈打った。心臓の鼓動みたいに背骨に響くやつだった。そして黙った。
嫌な感じがした。でも後回しにした。
大事なことはいつも後回しにして、後で顔の前で爆発するまで放置する。ほとんど伝統だ。
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ギルドを出た時、手には評議会の署名入りの巻物があった。一行目にあたしの名前。二行目に七つの魔獣のリスト。三行目に、小さな字で読めば半分の橋の借金が書いてある。
サイは前を歩いて、数字とリサンダー訛りの呪いをぶつぶつ言ってた。
ジロはウー・ライで最も役に立たない軍歌になりそうなメロディを鼻歌で歌ってた。蜂蜜酒と悪い決断についてのサビ付きで。
レンは外の壁に寄りかかって、遠くの火山を見つめてた。青空を背景に細い黒い煙を上げてる。もう知ってるみたいに。
タラが隣で止まった。でかくて。頑丈に。
「うん」
聞かれる前に答えた。
「アクラに行くよ」
彼女は頷いた。
「初めての魔獣で、危険なのはわかってる。あそこで何が待ってるか、またわかってないのもわかってる」
タラは見続けた。
「でもやるよ。蜂蜜酒一樽飲んで勇気出す必要があっても。終わった後に祝うために一樽飲む必要があっても」
モチが肩の上で満足げに小さくゴロゴロ言って、青い煙を吐いて、炭の眉毛をまた焦げ臭くした。
「出発する前に、でも」
優先順位は明確だって顔で付け加えた。
「酒場が必要。座っても壊れないテーブルがあるやつ」
「ハザエ」
サイが巻物から目も上げずに言った。
「あと一枚でも銅貨を酒に使ったら、あたしがあんたを火山に投げ込むわ。入場料取るわよ」
「度胸ないくせに」
「古い川の橋の支払いがあるの。度胸なら世界一あるわ。ついでに経理の怒りもね」
カダヴァルが背中で軽く一度だけ脈打った。冗談じゃなかった。警告だった。あるいは記憶。あるいは両方。
そしてあたしは、肩に竜を、背中に黙った剣を、ポケットに不可能な法を入れて、アクラに向かって歩き始めた。
第四章・終




