第4話 グループチャットというものは恐ろしい
教室に入った瞬間、何かがいつもと違うことに気づいた。
視線の数ではない。視線の質でもない。強いて言うなら、誰も彼もが、私の存在をあらかじめ知っていたかのような顔をしている。それが気持ち悪かった。
前の席の山崎さんが振り返った。
「深沢さん、グループチャット見た?」
「……見ていません」
「あー、まだか。時間あるとき見てみて」
それだけ言って前を向いた。何が書いてあるのか、教えてくれる気はないらしい。予告だけされて中身を渡されない。この状態で午前の授業をまるごと過ごせというのは、拷問に近い。
(見た方がいいのか、見ない方がいいのか。見ないという選択肢を選べるほど、私の好奇心は強くない。むしろ最悪だ。知らないまま午前中を過ごすくらいなら、今すぐ確認して絶望を前倒ししたい)
休み時間、覚悟を決めてスマホを開いた。
クラスのグループチャットは、入学した週に追加されて以来、一度も自分から発言したことがない。既読をつけて読むだけの機能として使ってきた。
山崎さんの投稿は昨日の深夜のものだった。
「深沢さんって実は裏で色々やってる人なんじゃないかって思うんだよな なんか説明できないんだけど あの人普通じゃないと思う」
返信が積み重なっている。
「わかる気がする」
「昨日も桐島のこと華麗にかわしてたし(?)」
「鬼頭先生の件から気になってた」
指を止められないまま下へ送ると、見覚えのない名前がいくつか混じっていることに気づいた。クラスメイトの誰かをフォローしている、他クラスの生徒たちだった。「気になる」「見てみたい」というスタンプだけが、顔の見えないまま押されている。
(私という一存在が、SNSというインフラに乗って、会ったこともない人間の網膜にまで送りつけられている……電気信号に変換された迷惑データが、知らない誰かのスマートフォンの中で再生され続けているということであり、今すぐ全アカウントに謝罪文を送りたい……いや、謝罪文自体がさらなる公害になる……詰んだ……)
画面を閉じ、スマホを両手で包み込むように伏せた。指先が冷えていた。
「見た?」
顔を上げると、星野さんが隣の机に腰かけていた。
「……見ました」
「山崎、深い意味はないんだけどね」
「わかっています」
「消そうか、って言おうか。深沢さんが嫌なら」
考える前に、口が動いた。
「消さなくて大丈夫です」
「え、いいの?」
「消すと、消したこと自体が話題になる気がして」
星野さんはしばらく黙って私を見ていた。何かを見極めるときの間だ、と最近になって分かるようになった。
「……まあ、それはそう」
そう言って、自分の席へ戻っていった。
昼休み、廊下側の窓際に桐島さんが立っていた。ノートを片手に、窓の外を見ている。
私が前を通ると、視線がこちらへ動いた。すぐにノートへ戻る。二歩進んだところで、また来た。何度目だろう、と数えかけて、数えるのをやめた。数えたところで何も解決しない。
何を書いているのか、今日もわからないままだった。
5時間目が終わった後、教室の端で田中さんの視線に気づいた。
目が合うと、田中さんは慌ててスマホを机の下に隠した。隠しきれなかった画面の端に、見覚えのある吹き出しの並びが見えた。あのグループチャットだった。
家に着くなり、玄関先で力が抜けて、制服のまま廊下にしゃがみ込んだ。
「姉ちゃん、どうしたの?」
リビングからこうきの声がした。ゲームのBGMが小さく続いている。
「……SNSに流出した」
「え、何が」
「私が」
「あー」
短い沈黙のあと、コントローラーのボタン音だけが続いた。
「大丈夫なやつ?」
「たぶん」
「そっか」
それで会話は終わった。こうきは「たぶん」を「大丈夫」の方に受け取ったらしい。今日はそれで十分だった。
21時、いつも通りイヤホンをつけて画面を開いた。
燈くんは雑談配信をしていた。今日1日のことなど知る由もない、いつも通りの明るさで喋っている。私はコメント欄に打ち込んだ。
「SNSに流出しました」
少し遅れて、燈くんがそれを拾った。
「あ、なずなさん。……流出? SNSデビューってことですか。おめでとうございます」
笑いながら、そう言った。
(違います。自分でデビューしたわけではなく、私という存在が誰かのタイムラインに勝手に放流されただけで、祝われるような出来事ではまったくないのですが)
それでも、おめでとう、と言われた。
(この人はいつもそうだ。私が投げ込むどんな話も、なぜか明るい方向に着地させてしまう。今日1日、画面を見るたびに息が詰まりそうだったのに、この画面の中でだけは、私という存在がちゃんと保護されている気がする)
燈くんの話題はすぐに別のコメントへ移っていった。私はその声を聞きながら、今日1日を振り返った。
山崎さんに悪気はなかった。星野さんは消すかと聞いてくれた。桐島さんは何かを書いていた。田中さんはスマホを隠した。誰も、私を傷つけようとしたわけではない。
それでも、疲れた。
コメント欄に「www」と打ち込んだ。今日、迷わずそれができたのは、これが最初だった。




