第3話 クラス委員長が、なぜか気になる
「深沢さん」
朝、教室に入った瞬間に名前を呼ばれた。
振り返ると、桐島さんが立っていた。クラス委員長の。切れ長の目が、こちらをまっすぐ見ている。
(な、なに……? なに……? 罰則……? 私のような不運吸着体が、席替えの翌日にして委員長に直接呼ばれるなんて、何らかの規則違反をしてしまったとしか考えられない……! でも私は何もしていない……している……かもしれない……存在そのものが何らかの条例に触れている可能性……)
「少し聞いてもいいか?」
「は、はい……?」
「昨日の数学、どうやって解いた?」
あ。勉強の話だ。
(勉強の話だった……! 死を覚悟した私の魂を返してください……!)
「え、あの、解き方というか、普通に……解いただけで……」
「どのルートで解いた? 教科書の方法か、別の方法か」
桐島さんの目が、答えを待っている。質問の温度が一定で、プレッシャーをかけようとしている気配がない。それがかえって、どう返せばいいかわからなくなる種類の圧だった。
「……教科書の、方法です」
「そうか」
それだけ言って、桐島さんは自分の席に戻った。教科書を開いた。
(……何だったんだ、今の。「そうか」って何だ。それだけで終わる質問じゃなかったはずなのに……あの人はなぜ、私の解き方を聞いたんだ……)
鞄を机の横にかけながら、私は桐島さんの横顔をちらっと見た。
桐島さんはノートを開いていた。授業のメモらしい。ふと顔を上げた。
目が合った。
私は即座に前を向いた。
桐島さんの視線が、何度か自分の方に向いていると気づいたのは、3時間目の後の休み時間だった。
廊下に出ようとしたとき、桐島さんがさりげなく立ち上がった。教室の出口に向かっている。偶然、同じ方向だった。
(偶然だ。偶然だ。偶然であってほしい……でも、今日だけで何度目だ……気のせいだ……気のせいであってほしい……)
私は進路を変えた。窓側の列を迂回して、反対側の出口から廊下に出る。遠回りになるが、今日のところはそれでいい。
数分後、廊下でばったり出会った。
「……」
「……」
桐島さんが、わずかに眉根を寄せた。何かを考えるときの顔だ、と今日だけでもう覚えた。
(なぜか先手を取られている、という顔をしている……気がする……)
私は「失礼します」とだけ言い、足早に通り過ぎた。
気のせいであってほしかった。
昼休み、弁当を出しかけたところで、また桐島さんと動線がかぶった。
今度こそ偶然ではないかもしれない。そう思った瞬間、私は弁当を鞄に戻して図書室に向かった。昼食より静寂の方が、今日の私には必要だった。
図書室の隅の席に座り、適当な本を開く。活字が目に入ってこない。
(なぜ桐島さんは私を観察しているんだろう……委員長として何か問題でも把握しようとしている……? それとも私が毎回先手を取って逃げているから、逆に気になってしまった……? どちらにしても、私のような陰の者が委員長の観察対象になるなんて、完全にシステムエラーだ……今すぐ自分のデータを削除して観察リストから除籍されたい……)
本のページをめくる音が、静かな図書室に小さく響いた。
廊下側の窓の外に、田中さんの姿が見えた。同じクラスの子だ。こちらをちらっと見て、すぐにスマホを取り出して何かを打ち込んでいた。何を送っているのかは、ここからでは見えない。
放課後、星野さんに声をかけられた。
「ちょっと付き合って」
「どこに……?」
「ナミエ寄って帰ろ」
断る理由が見つからなかった。
学校から駅に向かう道を、2人で歩く。潮の匂いがうっすらする。茅ヶ崎は、どの道を歩いても海が近いことを思い出させてくる街だ。
「桐島に何かされた?」
突然の直球に、私は一瞬止まりかけた。
「……何も、されていないです」
「観察されてる気がする、みたいな顔してたけど」
(見抜かれている……! この人の観察眼は私の防衛マニュアルの想定外の精度で……)
「……多分、気のせいです」
「そう」
星野さんはそれ以上追わなかった。
ナミエ茅ヶ崎に入ると、星野さんはアイスのコーナーに向かった。
私は何気なくカード売り場を通り過ぎようとして——足が止まった。
燈くんのコラボグッズだった。新弾ガチャ。1回400円。
(1回400円……今月の推し活予算残高は1200円……3回しか回せない……3回で出なければ沼る……沼ったら今月の食費を削るか推し活を削るかの二択という地獄が待っている……どちらを削っても私という存在の維持コストが上昇するだけで何も解決しない……詰み……)
「何見てんの?」
「あ……燈くんの、ガチャが」
「へえ、好きなの?」
「……はい」
「じゃ引いてみれば」
「でも3回しか」
「3回引けばいいじゃん」
星野さんの論理は単純で正しかった。反論できなかった。
私は3回、ガチャを回した。
1回目。ハズレ。
2回目。ハズレ。
3回目。ハズレ。
「……」
「……」
星野さんが黙って隣に立っていた。
「……私のような曇り空の発生源が引くガチャに、レアが宿るはずがなかった。今すぐ側溝に転がり込んで存在を抹消したい」
「長い。今日は縁がなかっただけじゃん」
星野さんはアイスの袋を持ち直した。
(この人、ちゃんと見てる……悪意がない……)
「……そうですね」
私がそう返すと、星野さんは少しだけ目を細めた。笑ったのかもしれないが、よくわからなかった。
「帰ろ」
「はい」
潮の匂いの中を、2人で駅に向かって歩いた。どちらも何も言わなかった。それで別に、困らなかった。




