第30話 恐怖の魔王役、その正体は推しの新曲でした
文化祭当日、私はお化け屋敷の最奥で、黒いローブを羽織って椅子に座っていた。
任務は単純だった。動かない。声を出さない。ただ座っている。この三つさえ守れば、任務は完璧に遂行できる。数か月ぶりに、自信を持って挑める役割だった。
朝、装飾担当のクラスメイトに黒いローブを手渡されたとき、思わず気合が入った。フードを深く被り、うつむき加減で椅子に座る。これなら顔もほとんど見えない。理想的な布陣だった。
暗幕の外から、来客者の足音や悲鳴が漏れ聞こえてくる。装飾担当が仕込んだ仕掛けが、順調に機能しているらしかった。
頭の中では、燈くんの新曲がエンドレスで再生されていた。今朝から片時も止まっていない。イントロのあの部分の、リズムの取り方が絶妙で、意識しないと勝手に体が反応してしまう。
意識していなかった。
来客の気配がした。カーテンの向こうから、懐中電灯の光がゆっくり近づいてくる。私はいつも通り、微動だにせず座っていた。座っていたつもりだった。
「……動いた」
か細い声だった。
「今、動いた……!」
悲鳴が上がった。逃げ出す足音が、暗幕の外へ遠ざかっていく。
(動いた……? 私が……?)
自分では、まったく心当たりがなかった。少なくとも、意図的には何もしていない。していないはずだった。
次の来客も、その次の来客も、同じような反応を見せた。「動いた」「まばたきした」「息をしてた気がする」。動くはずのない魔王が、来客のたびに何かしらの気配を見せているらしかった。
中には、私の前で数秒立ち尽くしたまま動けなくなる来客もいた。何か言おうとして、結局何も言えずに逃げるように去っていく。理由は分かっている。分かっているのに、止められなかった。
昼過ぎには、廊下に長い行列ができていた。
「最後の魔王が怖すぎるらしい」
「絶対リアルだって、あれ」
「一瞬だけ動くのがマジで怖い」
「バイトの人雇ってるんじゃないかって噂もある」
そんな噂が、廊下を通じて教室中に広がっているようだった。バイトどころか、この学校の一年二組の生徒だということすら、来客者には伝わっていないらしい。
私は暗幕の奥で、静かに頭を抱えていた。
(私はただ燈くんの曲を聴いていただけなのに。推しの力が、意図せず人を恐怖に陥れる兵器として機能してしまっている。燈くんに謝りたい。燈くんは何も悪くない。悪いのは、リズムを我慢できない私の体の方だ。
いや、待て。よく考えれば、燈くんの新曲がここまでの恐怖演出に貢献しているという事実は、ある意味で彼の楽曲の完成度を証明しているとも言える。悲鳴の一つ一つが、間接的な称賛として積み重なっているのではないか。いや、それは詭弁だ。恐怖と感動は似て非なるものだ。混同してはいけない。混同してはいけないが、少しだけ誇らしい気持ちがあることも否定できない)
微かなリズムの正体を、来客の誰も知らない。知らないまま、恐怖として処理されている。この事実が、申し訳なさを一段と重くしていた。
交代の時間になって、暗幕がめくれた。星野さんだった。委員会の腕章をつけたまま、様子を見に来たらしい。
「大丈夫?」
小声だった。
「……存在を消せてるから大丈夫です」
「消せてないけどね」
星野さんが笑いを堪えるような声で言った。
「むしろ今、学校で一番目立ってるよ、深沢さん」
「……そんなはずは」
「廊下、行列できてるの見た? みんな『魔王の一瞬の動き』を見るために並んでるんだよ」
信じられなかった。信じたくなかった。
「……存在を消すつもりが、逆に伝説になっているということですか?」
「うん。完全に」
「……なぜこうなるんですか?」
「深沢さんが聞きたいの、それ」
「……聞きたいです」
「さあ」
星野さんは笑いを隠しきれない様子で、暗幕の隙間から次の来客の準備を確認していた。
私は椅子に座り直しながら、頭の中の新曲をもう一度確認した。イントロのあの部分。やはり、あそこで肩が動いてしまう気がする。今度は意識して止めるべきなのか、それとも今のまま続けるべきなのか。判断がつかないまま、次の来客の足音が近づいてきた。




