第28話 魔王、文化祭の出し物に就任させられる
1年2組の出し物会議が始まった。
私は教室の端の席で、できる限り空気になっていた。こういう場では発言しない。手を挙げない。目立たない。気配を殺す。それが私の文化祭生存戦略だった。
「お化け屋敷にしたいんだけど、どう?」
山崎さんが言った。クラスの反応はすぐに「それだ」という方向に傾いた。
私は静かに安堵した。お化け屋敷は裏方作業が中心だ。受付、装飾、案内。どれも私のような日陰の雑草が黙々と働くには最適なポジションがある。今年の文化祭も、静かに生き延びられる。
そのはずだった。
「のぞみ様に魔王役をお願いしたい……!」
田中さんが言った。
(……は)
「それだ……!」
クラスが唱和した。
(……ちょっと待ってほしい。魔王役とは。私が。魔王を)
「……少し聞いていいですか?」
気づけば、口が勝手に動いていた。
「魔王役というのは、具体的にどういう任務ですか?」
山崎さんが説明してくれた。お化け屋敷の最奥に、黒いローブを着た魔王が椅子に座っている。動かなくていい。声を出さなくていい。ただそこにいるだけでいい。来客者が最後に魔王と対面して終わる、という演出らしかった。
(動かなくていい。声を出さなくていい。ただそこにいるだけでいい。
これは――私の『存在を消す』という目標と『ただ存在するだけでいい』という任務が、完全に一致しているのではないか。魔王というポジションが、意外にも私の石ころ計画と高い親和性を持っている。動かない。喋らない。目立たない。それでいて役割としては成立する。
いや、待て。魔王というのは本来「目立つ」存在ではないか。でも座っているだけなら、むしろ動かない分だけ存在を消せる。動けば人間だとバレる。動かなければ、置物として環境に溶け込める。これは、これはむしろ最適任務なのでは)
「……やります」
言っていた。0.3秒だった。私の人生で、クラスの要請にここまで速く「やります」と答えたのは初めてだった。
教室が、一瞬静まり返った。
「さすが……!」
「深沢さんが即答した……」
「魔王が自ら名乗りを上げた……!」
クラスが震えていた。私の0.3秒が、なぜかそういうことになっていた。
会議が進み、装飾担当、案内担当、受付担当と役割が割り振られていく。私は議事の端で、ぼんやりと自分の肩書きを反芻していた。
魔王。
(……よく考えると、魔王という言葉には「全部を支配している」というニュアンスがある。私のような背景のモブが「裏で全部操っている」など、到底あり得ない。でも実際は座っているだけだ。座っているだけなのに、魔王と呼ばれる。これはある種の詐欺ではないか。文化祭実行委員に自己申告すべき事案かもしれない)
「深沢さん」
星野さんが隣に来た。小声だった。
「今ちょっと嬉しそうだったよ」
「……そんなことないです」
「普通にバレてるよ」
「……座っているだけでいいという点が、私の存在を消す計画と一致していただけです」
「それが嬉しかったってことじゃん」
「……」
言い返せなかった。嬉しかったかどうかを問われると、嬉しくなかったとは言えなかった。言えなかったことが、そのまま答えになっていた。
「まあいいじゃん。深沢さんが即答するの、初めて見たし」
「……不覚でした」
星野さんが笑いながら言った。
「別に不覚じゃないよ」
会議が終わって、帰り際に山崎さんが来た。
「深沢さん、ありがとうね。助かった」
「……座っているだけでいいんですよね」
「そう、座ってるだけでいい」
「……それなら任務を全うします」
「任務」
山崎さんが笑った。馬鹿にしている笑いではなかった。それは今では、考えるまでもなく分かった。0.3秒。今日、この数字を使うのは二度目だった。
(……山崎さんの笑いを判定するのにかかる時間が、最近どんどん短くなっている。これは学習の結果なのか、それとも別の何かなのか?)
「文化祭、楽しみだな」
山崎さんはそう言って、教室を出ていった。
楽しみ。その一言が、座っているだけの役を引き受けた喜びとは、別の場所に静かに残った。残ったことに気づいて、少し困った。
廊下に出ると、桐島さんとすれ違った。
「深沢」
「……なんですか?」
「さっき即答してたな」
「……不覚でした」
桐島さんが少し間を置いた。
「なんで不覚なんだ」
「……私のようなテクスチャ崩れが0.3秒で返事をすると、その速度が何かを示してしまうので」
「何かって」
「……」
「やりたかったってこと、じゃないのか?」
言い返せなかった。桐島さんは追及するでも笑うでもなく、それだけ言って行ってしまった。
田中さんが追いかけてきた。
「のぞみ様……! 引き受けてくださって……!!」
「……座っているだけです」
「そのたたずまいが……! のぞみ様が魔王として鎮座されるお化け屋敷、絶対に最強です……!」
「……最強という評価基準が何を指しているのか分かりません」
「こわいってことです……!」
田中さんが輝きながら去っていった。最強、という言葉を向けられたのも、人生で初めてかもしれなかった。
その日の帰り道、夕方の空を見ながら少し考えた。
やりたかったのかもしれない。「座っているだけでいい」という条件が先にあったのは本当だ。でも、それだけだったかどうかは、今日の0.3秒が、正直に答えを出してしまっていた気がした。




