↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
24/32

第24話 魂の個人情報

 週末、燈くんの新グッズ発売日だった。


 地元・辻堂のマリノアまでは、自転車で十分もかからない。とはいえ油断はできない。休日のショッピングモールは、クラスメイトとの遭遇確率が平日の比ではない魔境だ。


 万全の対策を講じることにした。


 フードを目深に被る。前髪を隠す。眼鏡の位置を通常より二ミリ下げる。鏡の前で最終チェックをする。よし、完璧な一般人だ。誰も私がこれから何をしに行くのか、気づく者はいない。


 念のため、想定問答も用意しておいた。「深沢さんじゃない?」と聞かれた場合の返答は「人違いです」。それでも食い下がられた場合は「双子の姉です」。それも突破された場合の最終手段は「記憶にございません」。国会中継で見た台詞だが、この際なんでも使える手札は多いに越したことはない。


 そう思っていた。


 ルミナリアSTORE前には、すでに長い行列ができていた。開店前から並ぶ人、限定カラーを求める人、みんな殺気立った目でスマホの整理券アプリを確認している。私もその一員として列に並んだ。フードの中で、静かに闘志を燃やしていた。


(この行列に並んでいる限り、私は無敵だ。ここにいるのは全員、同じ熱量を共有する同志であり、誰も他人の変装の甘さを咎めたりしない。この空間においてだけは、私は道端の小枝ではなく、正当な権利を持つ一人の消費者として堂々と存在できる。あとは無事にレアカラーを引き当てるだけだ)


 準備した想定問答の出番は、来ないはずだった。


「……深沢さん?」


 背後から声がした。


「こんなとこで会うとは。何の行列?」


 振り返らなくても、誰の声かはすぐに分かった。山崎さんだった。


(終わった。ルミナリアSTORE前の行列という、全世界に向けて『私はオタクです』と自己申告しているようなポジションに、山崎さんが出現した。今すぐフードをさらに深く被って、別の一般人として認識してもらうことはできないか。


 いや、無理だ。一般人は行列に並ばない。行列に並んでいる時点で、もう一般人という肩書きは成立しない。ならば、いっそ「これは統計調査です」とでも言って場を切り抜けられないか。統計調査という単語には、なぜか一定の説得力がある。いや、この行列の先にあるのがVTuberグッズの物販である以上、統計調査という言い訳は初手で崩壊する。


 もう遅い。すでに声をかけられた。詰み)


 長い逃避思考の果てに、私が絞り出せたのは、たった一言だった。


「……修行です」


 山崎さんが、少し笑った。


「また来た」


 いつもの、私の意味不明な返答を面白がる笑い方だった。腹を立てている様子は、少なくとも見当たらなかった。


「VTuberのショップか。誰推し?」


 その質問に、私は0.3秒だけ沈黙した。


「……言えません」


「なんで」


 即答できない自分に、少し驚いた。理由なら、いくらでも用意できるはずだった。それなのに、言葉が喉のあたりで渋滞していた。


 深呼吸をひとつ。ようやく、言葉が出てきた。


「……推しは、魂の個人情報です。みだりに開示することは、自分の魂の設計図を相手に渡すようなものであり、開示した瞬間に私の感情の脆弱な部分がすべて露わになるリスクがあるので……」


 山崎さんは、少しの間、目を丸くしていた。それから、また笑った。


「わかった、聞かない」


 それだけ言うと、山崎さんは意外にもあっさり引き下がった。深追いする様子はまったくなかった。


「頑張れよ、修行」


 軽く手を振って、山崎さんは人混みの中へ消えていった。


 私はしばらく、その背中が見えなくなった方向を見つめたまま、列の中で立ち尽くしていた。


 グッズを無事にゲットして、袋を抱えながら帰り道を歩く間も、頭の中はさっきのやり取りでいっぱいだった。


(……なんで笑って終わったんだろう。馬鹿にする笑いじゃなかった……気がする……なんでそう思うんだ私は……エラーが止まらない……)


 帰宅後、部屋でこうきに今日の出来事を報告した。


「……山崎に遭遇した」


「で、どうなった」


「……修行と言ったら笑って帰った」


 こうきが、少しの間だけ黙った。


「……姉ちゃん、そのやりとりちょっといい感じじゃない?」


「違う」


「早っ」


 こうきは笑いながら、それ以上は追及せずに部屋を出ていった。


(違うと言った。断言した。断言したのに、なぜかさっきから「いい感じ」という単語だけが頭から離れない。統計的に考えれば、これはただの雑談における弟の思いつきの発言であり、根拠は皆無に等しい。皆無に等しいはずなのに、なぜ再生回数が伸びているんだ、この単語だけ)


 夜、燈くんの配信があった。


「なずなさん、今日グッズ買えた?」


「買えました」


 チャット欄に打ち込むと、すぐに反応があった。


「よかった〜! なずなさんが持ってくれると思うと嬉しい」


 燈くんの声が、少し照れたように揺れていた。


 その一言だけで、今日一日分の疲れが全部どこかに消えていった。私はそのまま、机に突っ伏すように崩れ落ちた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。