第23話 図書室で「そういう顔もするんだ」と言われた件
放課後の図書室、いつもの奥の書架の陰。
私はスマホの画面を隠すように傾けながら、燈くんの切り抜き編集作業をしていた。今週の配信から、特に良かった数秒間を抜き出して、テロップを付ける。地味な作業だけれど、この時間だけは誰にも邪魔されない。フォントの太さを何度も調整し、色味を微調整し、テロップの表示タイミングをコンマ一秒単位で詰める。この一連の作業に費やす集中力は、たぶん期末テストの比ではなかった。
はずだった。
「深沢」
顔を上げると、桐島さんが立っていた。参考書を一冊、脇に抱えている。
「……なんですか?」
「これ、返却期限延びるらしい」
差し出されたのは、貸出のお知らせのプリントだった。特に用件と呼べるほどのものではなかった。それでも、桐島さんはすぐには立ち去らず、少し離れた椅子に腰かけた。
何をするでもなく、参考書を開いている。何か話しかけてくるでもなく、ただそこにいる。この距離感の意味を考えようとして、やめた。考える材料が足りなかった。
数分後、足音がもう一つ増えた。
「あれ、深沢さんと蓮、一緒にいるんだ」
山崎さんだった。今日はなぜか図書室に来ていた。
「珍しいな、山崎が図書室来るの?」
桐島さんが言った。
「委員会の資料探しに来ただけだって。……あれ、資料どこだっけ?」
きょろきょろと本棚を見回している。結局、目的の資料はすぐには見つからなかったらしい。
「まあいいや。少し休憩」
そう言って、山崎さんはそのまま私の隣の椅子に腰を下ろした。距離感の詰め方が、いつも通り無防備だった。
私はとっさにスマホを画面ごと机に伏せようとした。動きが速すぎて、指が滑る。画面が一瞬、山崎さんの視界を横切った。
(見られた。今の一瞬で、何がどこまで見られた。角度的に、動画のサムネイルだけなら見えていない可能性がある。いや、サムネイルが見えていなくても、コメント欄の「尊い」の文字列だけは視界に入ったかもしれない。最悪のパターンだ。最悪から二番目のパターンも大体最悪だ。とにかく今すぐ、この画面をこの世から消し去る必要がある)
「何見てたの?」
「なんでもないです」
急いで動画アプリを閉じた。指がもつれて、二度タップし直す羽目になった。心臓が、ものすごい速さで動いていた。
山崎さんは、私の手元をじっと見ていた。
でも、その視線は、スマホの画面に向いていなかった。
私の顔を見ていた。
「……深沢さんって、そういう顔もするんだ」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。理解が追いついた瞬間、頭の中で警報が鳴った。
(今の発言の意図を解析中。
パターンA、罠。パターンB、罰ゲーム。パターンC、純粋な発見。パターンD――)
(該当なし)
(なぜ「該当なし」が出るんだ。私のパターン認識に、未知のカテゴリが発生している。エラー。エラー)
何も言えないまま、私はスマホを握りしめて固まっていた。
「そういう顔って、どういう顔ですか?」
ようやく絞り出した声は、自分でも驚くくらい掠れていた。
「なんか、こう」
山崎さんが自分の顔を指差しながら、うまく言葉を探しているようだった。
「必死な顔、みたいな」
「……それは」
反論の言葉が出てこなかった。事実だったからだ。
「別に悪いことじゃないよ」
山崎さんが付け加えるように言った。フォローのつもりらしかったが、フォローになっているかどうかは怪しかった。
「むしろ、なんか意外だった」
「……何がですか?」
「深沢さんも、そんな必死になるものがあるんだなって」
その一言に、うまく反応できなかった。褒められているのか、観察されているのか、判断がつかなかった。
少し離れた席で、桐島さんが黙って参考書のページをめくっていた。ページをめくる手が、さっきから一度も進んでいないことに、私は気づいていなかった。
(山崎の、深沢を見る目つきが、最近なんか変わった気がする。深沢も、山崎に対してだけ、なんとなく反応が遅い気がする。……何かあったのか、この二人)
桐島さんがそんなことを考えていたとは、私は知らない。
図書室の窓から差し込む光が、いつもより長く床に伸びていた。私はまだ、握りしめたスマホを机の上に戻せずにいた。
結局、その日はもう作業を再開できなかった。編集途中の動画は、後で家に帰ってから続きをやることにした。今この状況で続きを開けば、また同じことが起きる気がした。二度目は、心臓が持たないかもしれなかった。




