第21話 魔王、期末テストで新たな伝説を残す
期末テスト初日の朝、私はほとんど眠っていなかった。
理由は分かっている。昨夜の燈くんの深夜配信だ。終わりが午前2時だった。テスト前日に深夜配信をスケジュールに入れてくる燈くんの采配については諸説あるが、私が見に行くことをやめられないという事実の前では、すべての議論が無意味だった。
問題は今だった。
(……眠い……目が開いている状態を維持するだけで全リソースを消費している……テスト用紙の文字が滲んでいる……滲んでいるのは涙ではなく単純な眼精疲労だが、もし先生に見られたら「テストで涙を流すほど真剣に……」という方向に誤読されかねない……いや今はそれより眠い……とにかく眠い……)
作戦を立てた。
消しゴムを右手に持ち、机の角に当てて固定する。もし眠りに落ちた瞬間、手から消しゴムが落ちる衝撃で目が覚める。中学時代に開発した「落下式覚醒システム」だ。精度は完璧ではないが、今使える唯一の手段だった。
(……燈くん……あなたの配信を最後まで見た結果、私は今こうして落下式覚醒システムに命を預けている……これがオタクの業というやつか……)
そのまま、最後まで机に向かっていた。
テストが終わった。
廊下に出たところで山崎さんが来た。
「深沢さん、さっきのテストどうだった?」
「……なんとか」
「なんとか、って」
「……落下式覚醒システムが機能しました」
山崎さんが一瞬止まった。
「……何それ」
「……消しゴムを持ったまま寝落ちしないようにするやつです」
山崎さんが私を見た。何かを考えている顔だった。
「つまり……寝ないために、ずっと集中を維持してたってこと?」
「……語弊があります」
「すごい……そこまでしてテストに向き合うって……」
「……語弊があると言いました」
そこに星野さんが来た。
「二人とも終わった? 私もう帰りたい」
「深沢さん、テスト中ずっと消しゴム持って集中してたらしくて」
「落下式覚醒システムの話をしただけです」
星野さんが私を見た。
「……何それ」
「寝落ち防止です」
星野さんが少しの間、黙った。
「要するに眠かったってこと?」
「……そうです」
「ねえ今の聞いた? ただ眠かっただけだよ」
「いや待って」山崎さんが言った。「眠いのに最後まで向き合い続けたってことじゃん。それって——」
「違う」
「気迫だと思う」
「違います」
「本人が気迫と思ってないところが本物だよな……」
「私にはもう対処のしようがない」
星野さんが空を見上げた。
放課後、星野さんが駅前のコンビニに寄っていこうと言った。
アイスを買った。私はソーダ味を選んだ。星野さんはいちごを選んだ。
「何味にしたの?」
「……ソーダです」
「大人っぽいね」
「……安かったので」
星野さんが少し笑って、歩き出した。駅の方向ではなく、海の方へ向かっていた。自然にそちらへ向かうので、私もついていった。
しばらく黙って歩いた。アイスが少しずつ溶けていく。
海沿いの道に出た。夕方より少し早い時間だった。人が少なかった。波の音がした。水平線がはっきり見えた。
砂浜に座って、二人でアイスを食べた。
「体育祭からしばらく経ったね」
「……そうですね」
「なんか変わった?」
変わったか。
考えた。変わっていないと言いたかった。でも変わっていないと断言するのも、何か違う気がした。
「……分かりません」
「正直だね」
「……分からないものを分かったとは言えないので」
星野さんが小さく笑った。
「深沢さんってさ、正直だよね、変なところで」
「……変なところで、という限定条件が気になります」
「普通のところでは正直じゃないじゃん」
「……それは」
言い返せなかった。
星野さんがアイスの最後の一口を食べた。波の音が続いていた。
「また来ようね、海」
「……うん」
言ってから、気づいた。ため口が出ていた。
星野さんが横を向いた。何も言わなかった。でも少し嬉しそうな顔をしていた。
「……海は」
声が出た。
「……好きかも」
星野さんが少し間を置いた。
「うん。知ってた」
「……知ってたんですか?」
「なんとなく」
なんとなく、で言っていた。根拠がなかった。でも否定できなかった。
波が来た。引いた。また来た。
「帰ろっか?」
「……うん」
今度は最初からため口だった。気づいていたが、直さなかった。
直さなくていい、と思った。




