第13話 魔王、休日のマリノア辻堂で遭遇する
フードを目深に被り、鏡の前で角度を確認した。前髪が隠れる。目元も隠れる。これで完璧な一般人が完成する。
今日は燈くんの新グッズ発売日だった。地元・辻堂のマリノアまでは自転車で十分もかからない。とはいえ、クラスメイトに遭遇する確率をゼロにはできない。休日のショッピングモールという場所は、陽キャの生態系がもっとも濃縮される危険地帯でもある。
万全の変装で家を出た。
ゲームセンターの一角、ガチャガチャコーナーで、私は先週から狙っていた燈くんのラバーマスコットに向けて硬貨を投入し続けていた。ガコン、ガコン、と重い音が鳴るたびに、心臓も一緒に跳ねる。開けてはハズレ、開けてはハズレ。手のひらの上にノーマル背景バッジが三つ積み上がっていた。
「あ、深沢さんじゃん。何してんの?」
背後から声がした。振り返るまでもなく、誰の声かわかってしまった。
(休日という完全なプライベート空間に、クラスメイトが出現した。フード装備で完璧に一般人を装っていたはずなのに、なぜ看破されたのか。私の陰の者オーラが、フードの繊維を貫通してしまったのだろうか。あるいは変装のクオリティそのものが根本的に不足していたのか。原因究明よりも先に、目の前に積まれたハズレの山をどう説明するかが問題であり、この状況を切り抜ける論理的な回答は存在しない。)
振り向くと、私服姿の星野さんが立っていた。カラコンもピアスもいつも通りだが、制服のときより肩の力が抜けて見える。
私は手のひらのバッジを見て、それから星野さんを見て、また手のひらを見た。
「……私のような道端の小枝が引くガチャに、レアが宿るはずがなかったんです。今すぐ側溝に転がり込んで、石ころとして踏まれずに生きていきたい」
「一緒に回そうよ」
長いと言われる前に、星野さんはもう財布を取り出していた。
隣に並んで硬貨を入れる星野さんの横顔を、少しだけ見た。付き合ってくれる理由は分からなかったけれど、断る理由もなかった。
結局、二人で回してもレアは出なかった。それでもハズレの山は、一人で見るよりずっと軽く見えた。
ガチャガチャコーナーを出て、私は当初の目的地であるルミナリアSTOREへ向かった。星野さんも、当然のようについてきた。
グッズ売り場の棚を前にした瞬間、私は変装のことも星野さんの視線のことも忘れて、燈くんの新しいアクリルスタンドに手を伸ばしていた。気づけば両手に持てるだけの商品を抱えていた。
「すごい量のグッズ……」
星野さんが呟いた。
咄嗟に弁明の言葉を探したけれど、非難しているようには聞こえなかった。純粋な驚きだけがそこにあった。
私は少しだけ迷ってから、口を開いた。
「……この新色のアクスタ、右目の光の入り方が今までのと違うんです。今回のイラストレーターさんが、燈くんの目の色を海の反射光をイメージして描いたって言っていて」
「へえ」
「ラバーストラップの方は限定カラーで、初回特典のアクリルキーホルダーとは別絵柄で……」
気づけば早口でしゃべっていた。星野さんは相槌を打ちながら、ただ聞いていた。
「なんか……楽しそうだね、そういう話するとき」
言われて、言葉が止まった。
(え……私が……楽しそう……?)
そんなことを言われたのは初めてだった。誰かに推しの話をして、笑われも引かれもせず、ただ「楽しそう」とだけ返された経験がなかった。
駐輪場に停めていた自転車を引きながら、モールを出た。星野さんは駅の方向へ歩きながら、隣についてきた。夕方の風が、ハンドルに提げた紙袋をカサカサと鳴らす。中には今日買ったグッズがぎっしり詰まっていた。
駅までの道を、自転車を押しながら並んで歩いた。夕方の街が、ゆっくり後ろに流れていく。
駅の改札が見えてきたところで、私は隣を向いた。
「……今日、ありがとう」
言ってから、敬語じゃなかったことに気づいた。
星野さんは一瞬だけ目を見開いて、それからいつもの顔に戻った。
「普通にいいよ」
前を見たまま、そう言っただけだった。それ以上、何も言わなかった。
改札の前で、星野さんは片手を上げて茅ヶ崎行きのホームへ歩いていった。私は自転車にまたがって、それを見送った。振り返らないまま、星野さんの背中が改札の向こうに消えていく。
ペダルを踏みながら、さっきまで隣にいた気配だけが、まだ少し残っている気がした。




