86話 直哉の実家の話
「なぁ……いいのか?」
「なにがだ?」
「なにがって……あの肉だよ。百万円だぞ?」
未だに額の冷や汗が引ききらない俺は、お腹をさする直哉に向かって尋ねた。直哉は一瞬ぽかんとした後、ニカッと豪快に笑い飛ばした。
「ああ、そんなことか! 心配すんなって。俺の実家、精肉店やりながら牛と魔物を交配させて『魔牛』を育ててんだよ。今回の肉はその試作肉だからな。親父に『西条の誕生日祝いに持ってく』って言ったら、『一番いいとこ持っていけ!』って持たされたんだ」
「そうだったのかよ……! 初めて聞いたぞ?」
「うん? 言っ……てなかったか?」
「聞いてない」
「そっか! ガハハッ!」
直哉の規格外すぎる実家の事情に呆れていると、玄関からカチャリと鍵の開く音が響いた。
「ただいま帰りました」
「お、忍帰ってきたみたいだぞ?」
靴を脱ぐ音のあと、いつもと違う早足で廊下を歩いてくる足音が近づいてくる。
スタスタスタスタ……バンッ!
リビングのドアが勢いよく開くと、忍が少し息を荒らげて仁王立ちしていた。その瞳が、卓上コンロと肉の脂の匂い、そして直哉の姿を捉える。
「……兄さん! ご飯、食べちゃいましたね!?」
「おう……すまん」
「せっかく……せっかく今日は、私が特製の晩ご飯を作ろうと思って急いで帰ってきたのに……!」
「悪いな、忍。急に決まったんだ」
本気で悔しがる忍をなだめていると、直哉が頭を掻きながら笑って助け舟を出した。
「まあまあ忍ちゃん、怒るなって。昨日が西条の誕生日だったって聞いてさ、プレゼントにいい肉を持ってきたんだよ」
「……そうだったのですか?」
「おう。じゃ、俺はもう帰るから、そんなに睨むなよ? ニカッ!」
「……別に、睨んでなんていませんよ?」
忍はすんっと表情を消し、冷ややかな声でそっぽを向いた。直哉は慣れた様子で苦笑いしながら荷物をまとめ、玄関へと向かう。
「そっか! じゃあな西条、また明日!」
「葛西、今日は本当にありがとうな。肉、めちゃくちゃ美味かった」
「おう! じゃあな!」
直哉の元気な足音が遠ざかり、玄関のドアが閉まる。
男同士のバカ騒ぎが去ったリビングに、再び忍と二人の静かな時間が戻ってきたのだった。




