79話 先輩、距離感がおかしいです
リビングのソファに移動したものの、空気の緊張感は増す一方だった。
「後輩く〜ん!」
「ちょっ! 兄さんから離れてくださいって言ってるでしょう!?」
ソファに座るやいなや、陽向先輩が俺のとなりに身を寄せ、腕にすがりついてくる。
対角線上の椅子からは、忍が漆黒の殺気を撒き散らしながら睨みつけていた。
「えへへ〜……あむ」
「ビクッ……!?」
不意に、耳元で吐息を感じたかと思うと、陽向先輩が俺の耳たぶを口に含んできた。
(ハ、ハムハム……美味しい……)
「っ……あ……」
耳元をくすぐる吐息と柔らかな感触に、思わず身体が強張る。
抵抗して振り払わなければいけないのに、なぜか全身の力がすーっと抜けていく。
「……陽向先輩? そこまでにしておかないと、どうなるか分かりますよね?」
忍の声が、完全に氷点下まで下がりきる。
部屋の中の空気が凍りつくような沈黙の中、陽向先輩はさらに深く——。
ハム、ハム……ガブッ!
「ッッッ……!? 先輩!?」
鋭い痛みが走り、俺は思わず声をあげた。耳たぶからツーッと一筋の血が垂れ、俺の首筋を濡らす。
「あっ! ごめんなさい! 今治すからね、後輩くん!」
正気に戻った様子の陽向先輩が慌てて手元の魔力を光らせ、傷口に触れた。
温かな光が包み込み、痛みと血が一瞬で引き、傷跡すら残さず綺麗に塞がっていく。
「うぅ……ごめんねぇ〜? 痛かったよね……?」
「……大丈夫ですけど、もう二度としないでくださいね?」
「は〜い! 抱きつくだけにするよ〜?」
「できればそれもやめて欲しいんですが……」
「うん……?」
首をかしげて「聞こえないふり」を決め込む陽向先輩と、笑顔のまま額に青筋を浮かべる忍。
俺は早くも、この数日間を無事に生き延びられるかどうかの不安でいっぱいになっていた。




