142話 奔流と、顕現する神
これまで一度として魔力を使ったことがない。
身体の芯を駆け巡るこの奔流を、どうコントロールすればいいのか皆目見当もつかなかった。
「陽向先輩! 魔力ってどうやって使うんですか!?」
「全身に纏うんだよ〜! お洋服を着るみたいに、ふんわり広げるの〜!」
「えっと……こう、ですか!?」
言われた通り、皮膚の表面を覆うイメージを強く意識する。
瞬間、体表を這う青白い光の膜がぐんと密度を増した。
「うん! いい感じ〜! ……でも、目がまだ慣れてないからね? 右だよ、後輩くん!」
「ッッッ……!」
先輩の警告とほぼ同時に、右側から空気を裂く鋭い風切り音が響く。
紙一重で身を捻ると、空振った男がチッと深く舌打ちした。
「はぁ〜……厄介だな。だが、身体能力が上がっても目が追いついてねぇようだな」
防戦一方ではいずれ捌ききれなくなる。
俺は制服のベルトの奥に隠していた護身用の短刀を引き抜いた。
(こっちからも仕掛けないと、確実に殺される……!)
魔力を足裏に込めて強く地面を蹴る。
暗殺者の懐へ突っ込もうとした——はずだった。
「——あれ?」
景色が激しく横に流れたかと思うと、一瞬で屋上の隅、金網フェンスの目前まで移動していた。
あまりの加速に身体が追いつかず、危うく壁に激突しそうになる。
「まだ、扱いには全く慣れてねぇようだな……ガフッ!?」
嘲笑を浮かべた男の言葉は、最後まで続かなかった。
死角から音もなく回り込んだ陽向先輩の鋭い回し蹴りが、男の横腹へ深々とめり込んでいた。
ドゴォッ!!
「が、はっ……!?」
コンクリートの上を激しくバウンドしながら吹き飛んでいく暗殺者。
先輩はくるりと軽やかに着地し、目を丸くして立ち尽くす俺の元へと駆け寄ってきた。
「大丈夫〜? う〜ん、やっぱり魔力だけでも難しかったかなぁ? 今はね、私の力と後輩くん自身の魔力が混ざっちゃって、身体が上手く扱いきれてないよ〜」
「魔力って……こんなにヤバいものなのか……」
自分の手のひらを見つめながら、全身に漲る規格外の出力に戦慄する。
数十メートル先で瓦礫を押し退け、血反吐を吐きながら男がよろよろと立ち上がった。
その目は完全にプロの暗殺者としての冷徹さを捨て、憎悪に染まりきっている。
「はぁ……はぁっ……クソが。……殺す」
「う〜ん……後輩くん、ちょっと休んでいてね? 少しだけ、本気出しちゃうからね〜」
先輩がふわりと微笑み、両腕を広げた。
その瞬間、纏っていた学校の制服が光の粒子となって解けていく。
光の帯が幾重にも先輩の身体を包み込み、織り上げられていくのは——金糸と銀糸で精緻な神紋が刺繍された最高級の絹の着物。
その背後には、重力を無視して美しく棚引く純白の羽衣。
先ほどまでの能天気な女子高生の面影は消え失せ、そこに現れたのは、息を呑むほどに神聖で、底知れぬ威圧感を放つ正真正銘の「神」の姿だった。
「陽向先輩……その姿……」
神々しいまでの変貌に圧倒され、言葉を失う。
その時、屋上の冷たい風に混じって、どこからともなく鈴を転がすような嘲笑が響き渡った。
「くすくす……貴方らしくもありませんね?」
空間が陽炎のように歪み、紅蓮の炎が渦を巻いて収束する。
現れたのは——忍に首を刎ねられたはずのアリエッタだった。
男の表情にわずかな安堵が走り、苦々しくその名を呼ぶ。
「……レクシア」




