137話 灰燼の神霊と、捕食される妹
「……っ」
右肩に突き刺さる牙の熱さに、忍の喉から息が詰まった。
自害の手を止め、忍の首筋に甘えるように唇を寄せたアリエッタが、喉を鳴らして嗤う。
「……なぜ? と思っていますか? ふふ、忍はご存じないのですね? 私は炎を司る神……精神を蝕む穢れなど、瞬時に焼き尽くし、浄化できるのですよ」
薄暗い非常階段の空気が、ゆらりと陽炎のように揺らめいた。
アリエッタの全身から炎の粒子が吹き出し、忍の術を灰へと変えていく。
それだけにとどまらず、炎は瞬く間に四つに分裂し、全く同じ姿をしたアリエッタの分身たちが忍を取り囲んだ。
カプッ、カプ……ッ
首筋、鎖骨、両腕、背中。
それぞれの分身が容赦なく忍の肌へと牙を立て、深々と噛みついていく。
「ッッッ……! あ……っ!」
「五人で噛みつけば、あっという間に終わるでしょう? さてと……貴方の能力は、私には通用しませんので」
抵抗しようとする、忍の四肢から、急激に力が抜けていく。
噛みつかれた傷口から、忍の濃密な魔力がごうごうと音を立ててアリエッタへと吸い上げられていく。
「な……何が、目的ですか……っ!」
激痛と脱力感に膝を震わせながら、忍は血の気の引いた唇を震わせた。
正面のアリエッタが、忍の濡れた瞳を覗き込み、愛おしそうに頬を撫でる。
「貴方の足止めですね。……それと、貴方の契約者の暗殺」
「あ……っ!」
喉の奥から漏れた悲鳴に、アリエッタは恍惚とした笑みを深めた。
「ふふ、初めてですか? 神に喰われる感覚は」
「やめ……吸わないで……っ!」
「安心してください。貴方を殺す気はありませんよ? 私の精神と貴方の残滓が混ざるのは少々不便ですから」
「あっ……ごめんなさい……許して、ください……兄さんを……兄さんだけは……っ」
ぽろぽろと零れ落ちる涙。
か弱く許しを乞う妹の姿に、毒気を抜かれるはず
だが、アリエッタは冷ややかに目を細めただけだった。
「ふふ、貴方の策ですね? そうやって自分を弱く見せ、隙を突くおつもりでしょう。私にはそんな小細工、効きませんよ?忍?」
「…………っ」
(——早く、兄さんのところに行かないといけないのに……!)
演技を看破され、内心で焦燥と絶望の炎が狂い咲く。
忍は、唇を噛み切りながら、掠れた声で懇願を重ねた。
「お願いします……っ、やめて、ください……!」
「ふふ、嘘の涙を流しているようですが、駄目ですよ? もっと私にくれませんか?……その甘美な魔力を」
ジュルッ……と、芯を削り取るような吸引音が階段の踊り場に響き渡る。
忍の視界が急速に明滅し、屋上への階段を見上げる意識が、灰色の暗闇へと引きずり込まれようとしていた。




