134話 保健室の病床と、帰らぬ恩師
ガラガラと勢いよく保健室の引き戸を開けると、消毒液の冷たい匂いとともに、ベッドの上に腰掛けていた忍が目を丸くしてこちらを見た。
「忍!」
「に、兄さん……? どうかしましたか、息を切らして……」
「大丈夫か!? お前、お腹痛くて倒れたって聞いて……」
肩で息をしながらベッドへ駆け寄ると、忍は一瞬だけ「しまった」というように瞳を泳がせたが、すぐに眉を八の字にして弱々しくお腹を押さえてみせた。
「は、はい……あっ!急にまたお腹がシクシクと……っ」
「……」
痛がる演技が若干わざとらしい気がしないでもないが、無理をしているのかもしれない。
忍は申し訳なさそうに視線を落とし、小さく頭を下げた。
「ごめんなさい兄さん……せっかくのお昼休みなのに、お弁当を持っていけなくて」
「いや、そんなの全然いいよ。お前の身体が一番大事だろ」
頭を撫でてやると、忍は嬉しそうに目を細めた。
その時、カーテンの奥から白衣の擦れる音が響き、ゆっくりと足音が近づいてきた。
「あらぁ〜? 誰か来てますかぁ〜?」
「はい、え〜と……」
ひょっこりと顔を出したのは、柔らかな笑みを浮かべた見慣れない女性教諭だった。
どこか焦点の合わないとろんとした目で、俺たちを眺めている。
「早乙女先生がお留守の間にねぇ、しばらく保健医を担当することになった大沢です〜! よろしくねぇ〜?」
「あ、西条章です。よろしくお願いします」
礼儀正しく一礼しつつ、俺は胸の奥に引っかかっていた疑問を口にした。
「あの、大沢先生。静香先生は……いつ頃帰ってきそうですか?」
その問いが出た瞬間、忍の身体がピクリと強張ったのを俺は見逃さなかった。
大沢先生は人差し指を顎に当て、ふわふわとした調子で小首を傾げる。
「う〜ん……少し、所用が長引いているみたいでねぇ〜。いつ戻れるかは、ちょっと分からないのよぉ〜」
「……そうですか」
新学期になっても姿を見せない静香先生。
ただの出張にしては長すぎるし、引き継ぎもどこか不自然だ。
胸の奥に違和感が溜まっていく。
沈黙を破るように、忍が俺の制服の裾をくいっと引っ張った。
「兄さん? 早く教室に行きましょうか? 私のことはもう平気ですから。このままじゃ兄さんのお昼休み、なくなっちゃいますよ?」
「あ、そうだな。今行くよ、忍」
立ち上がった忍の背中を支えながら、俺たちは保健室を後にした。
けれど、静香先生のことを尋ねた瞬間、忍が見せたあの反応だけは、妙に頭から離れなかった。




