おまけ:軽薄な男と、お姫様
涙で滲む視界のまま走る私の腕を、背後から伸びた手が強い力で引き止めた。
「待てよ、楓!」
「嫌っ……! 離してよ!」
「どしたんだよ一体。ほら、ちゃんと話聞くからさ?」
困り果てた顔で覗き込んでくる男を、私は必死に睨みつけた。
胸の奥に押し込めていた古い傷口が、激しい熱を持って疼いている。
「……昔、貴方みたいなヒモ男に裏切られたの! だから……っ!」
「そっか……。そりゃ、その元カレだか何だかの男が百パー悪いわ」
「貴方も同じじゃないのよ!!」
声を荒らげる私に、男は心外そうに眉を下げた。
「俺なら、そんなこと絶対しねぇのに」
「現にしてるじゃないの! さっきの女の子とヘラヘラして……っ!」
「あー……いや、違うって! 俺はただ、これに行きたかっただけでさ」
男はポケットをごそごそと探ると、くしゃくしゃになった紙の束を差し出してきた。
「……えっ? これって……」
「ハワイ旅行のパンフレット。楓、前に『一度でいいから南の島でゆっくり寝てみたい』って言ってただろ? だから、短期間で効率よく稼げるバイト探したら……なんかホスト? みたいなのがあってさ」
あまりにもピュアで的外れな動機に、私の頭は一瞬真っ白になった。
「じゃ、じゃあ……さっきのあの子は?」
「ただのお客様」
「……じゃあ、私は?」
「俺の嫁」
「つまり……?」
「楓の盛大な勘違い。……でも、楓が嫌がるならホストなんて今すぐ辞めるよ」
きょとんとした顔で言い切る男に、張り詰めていた私の感情が一気に崩壊した。
安堵と気恥ずかしさと愛しさがぐちゃぐちゃに混ざり合って、視界がまた涙で滲む。
私は自分から男の胸元へと飛び込み、そのシャツをぎゅっと握りしめた。
「……ええ、辞めて。お願いだから……ずっと、私と一緒にいて?」
「はいはい。仰せの通りにしますよ、お姫様」
呆れたように、けれどたまらなく愛おしそうに笑いながら、男の大きな腕が私の背中を包み込んだ。
街灯の下、冷え切っていたはずの身体が、彼の体温でじんわりと温められていった。




