90話 妹が帰って来ない
時計の針がカチリと音を立て、あれから丸一時間が経過したことを告げていた。
温め直した夕食の湯気も、とうに消え失せている。
「……? 忍のやつ、どうしたんだ? 用事にしては遅すぎる……」
いつもなら「兄さんをお待たせするわけにはいきません!」と、数分と経たずに息を切らして駆け戻ってくるはずの妹だ。
胸の奥で、経験したことのない嫌なざわめきが急速に広がっていく。ドクドクと早鐘を打つ心臓。
言葉にできない胸騒ぎが、俺の背筋を冷たく撫で上げた。
(まさか……何かに巻き込まれたのか……!?)
俺はスマートフォンの画面を叩き、あるアプリを起動した。
以前、忍から「もしもの時のためです! 絶対に消さないでくださいね!」と半ば強引に押し付けられた、相互GPSの追跡アプリだ。
画面上の地図が読み込まれ、赤いピンが点滅する。
「……っ!? どうして、こんな所に……!?」
表示されたのは、住宅街とはまるで正反対の、街外れにある薄暗い工業地帯の廃倉庫だった。
普段の忍が立ち寄る理由など微塵もない場所。
「まさか……!」
最悪の予感が脳裏をよぎり、俺はすぐさま通話履歴のトップにあった番号をタップした。
プルルル……ガチャッ!
『よお西条! どうした?』
「葛西!」
『……? どうしたんだよ西条、切羽詰まった声出して』
「忍が……攫われたかもしれない」
『なにッ!?』
電話越しの葛西の声色が、一瞬で緊迫したものへと跳ね上がる。
「今からGPSの位置情報を送る。頼む、そこに来てくれ!」
『おう、分かった! すぐ準備して向かう! ……西条、それと——』
「すまん、先に行く!」
ピ、と一方的に通話を切り、俺は壁に立てかけてあった愛刀『小虎』の柄を強く握りしめた。
玄関の扉を蹴破らんばかりの勢いで飛び出し、夜の冷気を切り裂いて全力で走り出す。
「忍……っ! 頼むから、無事でいてくれよ……!」
夜の闇の中、俺はただひたすらに、画面上で点滅する妹の光を追って疾走した。




