第三十五話:『陰陽師の街へ』
広げられた世界地図。
そこに浮かび上がるいくつかの候補地の中から、ルエリアは迷うことなく、霧深き領域を指し示していた。
『流れ者が多く住む、特殊な能力を持つ人間の街』
その選択を見たクロードが、面白そうに目を細めた。
「おや。そこを選ぶかい?」
クロードは、ルエリアが指した領域へ視線を落とした。
「いいだろう。その街には――『陰陽師』と呼ばれる人間たちが住んでいる」
「陰陽師……?」
「血筋によって特別な同期を受け継ぎ、独自の呪術を操る者たちさ」
クロードは、わずかに口元を上げた。
「そのトップクラスともなれば、上級の天使や悪魔にも引けを取らない」
「天使や悪魔にも匹敵する、か……!」
レグナスの瞳に、武人としての強烈な期待が宿る。
クロードからルートの記された地図を受け取り、三人は立ち上がった。
「色々と教えてくれてありがとう、クロード!」
「良い旅を。……またいつでも来てください。私はいつでもここにいますから」
丁寧な一礼に見送られ、三人はクロードの家を後にした。
クロードは窓辺で三人を見送っていた。
小さくなっていく背中。
迷いながら進む者たち。
彼は胸元の壊れた羅針盤を握る。
針は動かない。
だが三人は違う。
針がなくても進んでいく。
それでも自ら選ぶ。
クロードは小さく笑った。
その時だった。
ルエリアが振り返り、大きく手を振った。
クロードも思わず手を振り返す。
彼の羅針盤は沈黙したままだった。
だが彼の胸の中では、確かに何かが少しだけ動いた気がした。
宿へ戻る途中。
「あーっ! 見つけましたよ皆さん! 例の『お高くとまってる偽聖女一行』でーす!」
魔導端末を掲げた男が、道の前へ飛び出してきた。
以前、ルエリアに執拗に絡んできた配信者だった。
「またこやつか……」
レグナスが眉をひそめる。
だがルエリアは、男の目をまっすぐに見返した。
「まだ続けていたのね」
「はあ? 怖くて何も言えねぇのか、偽聖女!」
「いいえ」
ルエリアは、静かに微笑んだ。
「あなたの言葉を、私が気にする必要はないと分かっただけ」
男の表情が固まる。
「好きに言えばいいわ。でも、私はもう立ち止まらないから」
「な、なんだと!」
「哀れね……好きでやってるなら止めないわ。でも、それを素敵だと思う人は少ないんじゃないかしら。じゃあ、私たちは急いでいるので。さようなら」
そう告げると、ルエリアは男の横を通り過ぎた。
後ろでレグナスが堪えきれずに吹き出し、ゼンも小さく笑う。
男の顔が真っ赤に染まる。同時に、男の端末の画面には
【配信主、押されてないか?】
【今のは天使の方がまともだろ】
【顔色が変わったぞ】
【もうやめておけ】
と、男への批判的なコメントが、怒涛の勢いで流れ始めた。
ルエリアはすっきりとした顔で、地団駄を踏む配信者を置いてスタスタと歩き去っていった。
一方、クロードは静かな部屋に一人残され、窓の外を見つめていた。
「私は正解を選び続けた」
失敗しない道。間違えない道。最も効率的な道。そう信じて歩いてきた。
「だが……なぜでしょうね」
小さく呟く。
「彼らが羨ましい」
自分で選び、迷い、失敗し、それでも前へ進む。そんな三人の姿が。
そして、姿も知らぬあの人が、彼らの『可能性』を認めて選択を委ねたことが――。
クロードは静かに胸元へ手を伸ばし、衣服の奥から古びたペンダントを取り出した。
その中央には、魔力を失い、今はただ静かに佇む『壊れた羅針盤』が嵌め込まれている。
「母よ……」
「なぜ彼らには新しい羅針盤を渡し、私にはこの壊れた答えだけを残したのですか。……私の正解は、一体どこにあったのでしょうか」
手の中の羅針盤が答えることはない。
ただ夕暮れの光だけが、独りきりの部屋を寂しげに照らしていた。
宿の一室に戻った三人は、荷物を下ろして一息ついていた。
レグナスが、ニヤニヤとした笑みを浮かべながらルエリアを見る。
「いやぁ、先ほどのルエリアは最高であった。『哀れ』だなんて、まるでゼンの真似のようじゃの」
「う、うう……。ちょっと言い過ぎちゃったかしら。ソディウス(天界の法)なら一発で逮捕案件の暴言だったわ……」
ルエリアはベッドに倒れ込み、枕に顔を埋めて悶絶する。
「完全にゼンの悪い影響だわ。私の清純な心が汚染されていく……」
「元々のお前の性格だろ。俺のせいにするな」
ゼンは呆れたように言いながらも、どこか満足げだった。
「無視できるようになったなら上出来だ」
「余も賞賛する。自分の意志でハッキリ物言うお主は、とても清々しい」
「もう、二人して煽らないでよ……」
翌朝。
眩しい朝日のなか、三人は新しい街へ向けて出発した。
「訪れる街ごとに、新しい目的ができる。なんだか、本当に旅をしてるって実感が湧いてきて楽しいわね!」
「そうだな。我々の旅は、今とても良い方向を指している気がするぞ」
歩きながら、ルエリアはふと、ポケットからルナにもらった包帯を取り出した。
「これを見てると、ルナともまた会う約束ができたみたいで、嬉しくなっちゃうな」
「ふむ、せっかくだから、今巻いてみたらどうだ?」
レグナスが軽い調子で提案する。
「ええ? 怪我なんてしてないわよ?」
「よいではないか、魔除けのお守り代わりに。悪魔の娘からのプレゼントだろ?」
「うーん……じゃあ、ちょっとだけね」
渋々ながらも、ルエリアはルナの顔を思い浮かべて嬉しそうに、手首に包帯を巻き付けた。
「よし、これで――」
――ガクッ!!
「きゃああっ!?」
何もない平坦な道で、ルエリアは突如として足をもつれさせ、派手にすっ転んだ。
「おっと!? 大丈夫かルエリア? 自分の煽りスキルの高さに足元をすくわれたのか?」
「な、何でもないわよ! ちょっと不注意だっただけ……痛たた」
ルエリアは服の砂を払い、バツの悪そうな顔で立ち上がる。
「さあ、行きましょ――」
――ズサァッ!!!
「ふぎゃああっ!?」
一歩踏み出した瞬間、今度は漫画のように綺麗に足を滑らせ、再び地面に激突するルエリア。
「おい……。いくら何でもドジが過ぎるだろ、天使」
「ち、違う……! いくら私でも、何もないところで二回も連続で転ぶわけ……っ」
起き上がりながら、ルエリアの視線が手首の包帯に留まった。
何かがおかしい。天使としての直感が、この布切れから、微かな『呪い』の気配を感じ取っていた。
ルエリアは魔力を集中し、その包帯を【鑑定】する。
知識が脳内に流れ込んできた。
――【ルナ特製・すっ転びの包帯:付与効果『歩くたびに盛大に転ぶ呪い』。可愛いあの子へのちょっとした嫌がらせに最適!】
「…………」
沈黙。ルエリアの顔から、スーッと血の気が引いていく。
「……あいつ、最初からこれが目的で……っ! 怪我したら使えって、怪我させるための包帯じゃないのよこれえええええ!!」
「ははははは! やるではないか、あの悪魔の娘! 最高の手土産だ!」
腹を抱えて大爆笑するレグナス。
ゼンは、転がったまま激怒しているルエリアを見下ろし、ぽつりと呟いた。
「……戻る理由が一つ増えたな」
「そんな理由で戻りたくないわよおおお!!」
青空の下、ルエリアの絶叫が響き渡る。
新たな呪い(お土産)を引っ提げて、三人の次なる境界の旅は、賑やかに幕を開けるのだった――。
その頃、遥か東方では――。
霧に覆われた山脈の上空を、巨大な式神の影が横切っていた。
(第三十五話 終)




