表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

22/30

第二十話:『悩める自由』

アインドルフを発ち、悪魔と人間が共生する街へと続く過酷な荒野。

夜の帳が下り、三人は岩陰で野営をしていた。


パチパチと、燃え盛る焚き火が三人の顔を照らす。

ルエリアは膝を抱え、火の粉が夜空へ消えていくのをじっと見つめていた。


指先で火の粉を追いながら、その不規則な軌道を脳内端末でトレースしようとするが、自然の揺らぎは管理都市の数式では完璧に予測できない。


「……ねえ。エドガーさんの言っていたこと、少し分かってきた気がする」


ルエリアが静かに口を開く。


「天使や悪魔は決められた力を使う。でも人間は……不完全だからこそ、自分のイメージ次第で、力そのものを新しい形に変えられる。システムから見ればただのバグだけど、それって本当に『自由』ってことなのかもしれないって」


──誰も、すぐには返さなかった。


ただ、夜の荒野を吹き抜ける冷たい風の音と、薪が爆ぜる音だけが、三人の間に長く響き渡る。


ゼンは岩壁に背を預けたまま目を閉じ、レグナスは黙って自分の錆びついた鉄の剣を、じっと見つめていた。


静寂を引き裂いたのは、ゼンの低く冷めた声だった。


「……自由ね。聞こえはいいが、その不完全さのせいで、人間は簡単に壊れる。天使あいつらの作ったルールの中で大人しく歯車になってる方が、よっぽど長生きできるさ」


「ゼン……、あなたはいつもそうやって──」


ルエリアが言いかけた、その瞬間だった。


ガルルル、と闇の奥から、無数の不気味な駆動音が響いた。

暗闇の中に浮かび上がる、血のように赤い無数の電子の瞳。

荒野の野良アバター──集団で旅人を狩る『狂狼』の群れだった。その数、優に30体を超える。


「ルエリア、余の背後に隠れよ!」


レグナスが瞬時に立ち上がり、剣を構えてルエリアの前に立ちはだかる。


しかし、狼アバターたちの動きは速い。統率された動きで、全方位から一斉に跳躍し、鋭い牙を剥いて襲いかかってきた。


「おおおおおッ!」


レグナスが叫び、一体の首を激しく斬り飛ばす。

しかし、二体、三体と影が重なり、圧倒的な物量が彼を襲う。


ガシュッ! と狂狼の鋭い牙がレグナスの肩を深く抉った。


「くっ……あぁぁッ!」


「レグナス!?」


ルエリアが悲鳴を上げる。


「下がっていろと言ったはずだ! 余は、最強の、騎士──!」


レグナスは血を流しながら、がむしゃらに剣を振り回した。

まだだ、余は負けぬ、もう一度、と心の中で叫びながら、肉体に鞭打って跳躍する。

しかし、錆びついた鉄の剣は狼の硬質な装甲に弾かれ、火花を散らすだけだった。


限界だった。

背後から飛びかかった大型の狂狼に、レグナスはまともに押しつぶされ、地面に叩きつけられる。

剣が手から滑り落ち、硬い岩肌に高い音を立てて転がった。


「しまっ──」


レグナスを完全に組み伏せると、残る狂狼たちがその脇をすり抜け、ルエリアへと一斉に牙を剥く。

鋭い爪が、恐怖に身をすくませたルエリアの目の前に迫った。


「下がってろ、バカ騎士」


その絶望を切り裂くように、だるそうな声が響いた。

ゼンが、静かに一歩前へ踏み出す。


その瞬間、ゼンの瞳に、冷徹な黄金の光が灯った。


リツ


「我に足枷と法を刻め」


キィィィン! と、脳を突き刺すような絶対的なシステム音が響き渡る。

ゼンを中心に、巨大な幾何学紋章が地面を覆った。


【裁定領域】

この範囲では、ゼンの定めた法が現実となる。


襲いかかろうとした数十体の狼たちの首に、光り輝く法輪リングがガチリ、と嵌め込まれる。

ルエリアの鼻先数センチで、狂狼の動きが完全に停止した。


「これより、この領域に第一法案を定義する」


ゼンは感情の消えた声で、淡々と告げた。


「『敵意を持って、一歩でも動くこと』を禁ずる。破った者には、等しく法槌を」


一瞬、すべての狼の動きが止まった。

しかし、野生のバグアバターに理性が通じるはずもない。

飢えた本能のままに、数体の狼がルールを無視して、ゼンに向かって地面を蹴った。


──第一法案違反を確認。裁定を執行します。


ゴオォォォン!!!


空間の割れ目から、教会の巨大な鐘の音のような、重苦しい衝撃音が響いた。


ルールを破って跳躍した狼たちの頭上へ、白銀の巨大な【法槌】が出現する。

逃げ場を塞がれ、地面へ叩き潰された狼たちは、悲鳴を上げる暇さえなく、一瞬で電子の塵へと変わった。


「……嘘。領域内のシステムコードを、完全に書き換えて支配した……!?」


ルエリアがその圧倒的な『法の力』に息を呑む。


残された狼たちは、首のリングに縛られたまま、恐怖に震えていた。

だが、飢えた本能は止まらない。一体がリングへ逆らうように前脚を踏み出す。

それを合図に、残る狼たちも牙を剥き、次々と地面を蹴った。


──第一法案違反を確認。裁定を執行します。


再び、厳かな鐘の音が響いた。

狼アバターたちの頭上へ一斉に法槌が振り下ろされ、数十体の群れは、わずか数秒で荒野の塵へと還っていった。


静寂が戻った荒野。

ゼンは何事もなかったかのように瞳の色を戻し、再び岩壁に背を預けて目を閉じた。


ルエリアは無事だった。怪我一つない。

だが、そのルエリアの前に立ちはだかっていたレグナスは、地面に倒れたまま、ガタガタと震えていた。


恐怖からではない。自分への、圧倒的な『苛立ち』と『絶望』からだった。


「……クソ」


レグナスから、いつもの芝居がかった口調が完全に消えていた。

起き上がり、泥と血にまみれた拳を地面の岩に叩きつける。革の手袋が破れ、血がにじむ。


自分はルエリアを守るどころか、前に立つだけで精一杯で、挙句の果てに足手まといになった。

ゼンの超常的な力を見せつけられ、己の無力さが、ひび割れたプライドを容赦なく抉る。


「レグナス……」


ルエリアがそっと歩み寄り、彼の前にしゃがみ込んだ。


「……笑うがいい、ルエリア」


レグナスは顔を伏せたまま、自嘲気味に呟いた。


「最強の騎士などと大口を叩いておきながら、余は、何一つまともにできん」


長く、重い沈黙が、二人の間に流れる。

焚き火の炎が、レグナスの悔しげな横顔を静かに照らし出していた。


ルエリアはしばらく無言で彼を見つめていたが、やがて、はぁ、といつもの呆れたような溜息を一つ漏らした。


「そうね。私は最初から、あなたのことシステムエラーのバグだと思ってるわ」


レグナスがビクリと肩を揺らす。しかし、ルエリアの言葉はそこで終わらなかった。

彼女はレグナスの傷ついた拳を、そっと自分のハンカチで包み込む。


「でも、あなたの頭の悪さと無鉄砲さは、管理都市のどんなスーパーコンピュータにも計算不能エラーよ。普通なら立ち止まる場面でも、あなたは自分を疑わずに前へ出る。そこだけは、本物だと思う」


レグナスが驚いたように顔を上げる。


ルエリアは少しだけ誇らしげに、自分の胸に手を当てた。


「あなたの力がどれほどのものかは知らない。だったら、私が隣であなたの『取扱説明書データ』を、これから作ってあげる。あなたなりの同期の仕方を、一緒に探してあげる。だから──そんな頼りない顔、二度としないで。バカ騎士」


「ルエリア……」


レグナスは呆然と少女を見つめ、それから──フッ、と、いつもの不敵な笑みをその唇に戻した。


「がっはっは! なるほど、余の専属軍師ナビゲーターになりたいというわけだな! よかろう、その殊勝な心がけに免じて、余の背中を預けてやる!」


「あ、調子に乗った。やっぱり今のナシ。ハンカチ返しなさい」


「待て待て待て! 冗談だ! 感謝している、ルエリア!」


ルエリアが怒ったふりをして焚き火の片付けに戻っていく。

再び、焚き火の周りに静けさが戻った。


レグナスはしばらく、自分の血のにじんだ拳を見つめていたが、意を決したように立ち上がると、岩壁に背を預けているゼンの前へと歩み寄った。


ゼンは目を閉じたままだ。

レグナスはその場にドサリとあぐらをかき、ふんぞり返ることもなく、まっすぐにゼンを見据えた。


「……ゼン」


夜風が通り抜ける音だけが響く。レグナスは構わず、少し声を落として続けた。


「余には、貴様が何を考えているのかさっぱり分からん。だが……先ほどの『力』は見事だった。余の錆びついた感覚が、あれを見て微かに跳ね上がったのだ。……今の余の身体は、本来の余の魂と『同期』していない。どうすれば、強くなれる?」


プライドの高いレグナスが、他人に対して明確に教えを請うた瞬間だった。


長い沈黙が落ちた。

ゼンはゆっくりと目を開け、光の残滓を宿した瞳で、レグナスをじっと見つめた。

そして大きくため息をつき、だるそうに頭を後ろの岩に打ち付けた。


「……知るかよ。俺はお前みたいに、『本来の自分』なんてもんに囚われちゃいない」


ゼンは視線を焚き火の炎へと移す。


「だが、エドガーのじいさんが言ってただろ。理屈を知るほど『できない理由』が増えるってな」


「……どういう意味だ?」


「お前は『本来の自分ならできるはずだ』って理屈に囚われすぎてんだよ。昔の自分のデータなんざ捨てろ。今ある身体と、その安物の鉄の剣で何ができるかだけを考えろ」


ゼンは焚き火からレグナスへ視線を戻した。


「自分を疑わない奴が最強なんだろ。だったら、昔のお前じゃなく、今のお前を信じろ」


レグナスは目を見開いた。

ゼンの言葉は乱暴で、具体的な技術の解説など何一つない。

しかしそれは、過去の栄光ではなく、今の自分で騎士としての誇りを築き直せという、何よりの助言だった。


レグナスは静かに拳を握り込み、やがて、その口元に、獰猛な笑みを浮かべた。


「がっはっは! なるほどな! 貴様、口の悪さに反して、なかなかに良い師の素質があるではないか!」


レグナスはゼンの肩をバシバシと豪快に叩いた。


「よかろう! 今日から貴様を、余の『筆頭指南役しなんやく』に任命してやる! 誇りに思うがよいぞ、ゼン!」


「……おい、叩くな。鬱陶しい。あと誰が指南役だ」


ゼンは本気で嫌そうな顔をして、レグナスの手を叩き落とした。


「照れるな照れるな! さあ、我が友よ、明日の行軍に備えて肉をもう一枚──」


「話を聞けバカ騎士。あと肉はもうねえよ」


遠くでルエリアが「もう、二人ともうるさい! さっさと寝なさい!」と怒鳴り声を上げる。


騒がしくなった焚き火の横で、ゼンはやれやれと首を振りながら、今度こそ本当に眠りにつくように目を閉じた。

しかし、その口元だけは、居心地の悪さをごまかすように、ほんの少し緩んでいた。


──第二十話・終。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ