第二十一話:『楽園都市《ノア・コード》』
荒野を歩くこと数日。
眼前には、灰色の岩山に抱かれた巨大な城壁都市が、蜃気楼のように浮かび上がっていた。
外壁には青白い光のラインが幾何学模様を描いている。それは装飾ではない。仮想空間と現実を同期させる、巨大な演算回路そのものだった。
「……ここが、人間と悪魔が共存している街、《ノア・コード》」
ルエリアは街を見回したまま、小さく眉を寄せる。
「……おかしい」
「何がだ?」とレグナスが振り返る。
「同期率が高すぎるの。普通なら、これほど大規模に現実を書き換えれば、住民の精神にも大量のノイズが返るはずよ。でも、この街にはそれがほとんどない」
「つまり?」
「“快適すぎる”のよ。この街」
ルエリアは呆然と呟いた。
街の入り口をくぐった瞬間、ルエリアの視界に色鮮やかなホログラムの案内板がいくつも浮かび上がる。
酒場の宣伝。義体改造の広告。仮想娯楽施設の案内。
その下を、人間と悪魔が何事もないように行き交っている。
角を生やした悪魔の少女が、屋台で果実をかじりながら笑う。
全身機械化した男が、煙草を吹かしながら歩いていく。
獣耳のアバターを纏った子供たちが、通りを駆け回っていた。
屋台の店主は客の脳内端末を読み取り、注文される前に飲み物を差し出した。
「はいよ、いつもの」
「ありがとう」
誰も、それを不自然だと思っていない。
管理都市とは違う。雑多で、騒がしく、統一性がない。だが、妙に活気があった。
「おお! ついに着いたか!」
レグナスが大きく腕を広げる。
「実に良いではないか! 混沌! 欲望! 騒音! これぞ都市というものよ!」
「あなたはもう少し警戒というものを覚えなさい……」
ルエリアが呆れた、その瞬間だった。
『【警告】未登録のアバターコードを検知。スキャンを開始します』
突如、街の防衛ゲートから電子音声が響き、赤い光の輪がルエリアの身体を包み込んだ。
「きゃっ……!?」
『【照合】高位天使と確認。ようこそ、第十四管理特区へ。調和の光が、あなたと共にありますように』
視界の端で、幾重もの認証ウィンドウが高速で開いていく。
街全体に張り巡らされた管理システムが、彼女の存在を検知したのだ。
「な、なんで……!? この街、《管理コード》が生きてる……!?」
ルエリアは信じられないものを見るように周囲を見渡した。悪魔は管理を嫌う存在だ。
天使のシステムなど、本来なら最も忌み嫌うはず。
なのに、この街は違う。
空気の振動、電子広告の投影、人々のアバター制御。
その全てが、天使側の高度な管理技術によって支えられている。
防衛ゲートの光が青へと変わり、警告音が止まる。
周囲の人間や悪魔たちが、一斉にルエリアへと視線を向けた。その目は恐怖や敵意ではなく、どこか「希少な高性能アバター」でも見るような、純粋な好奇心と羨望に満ちていた。
「おいルエリア、何か騒がしいぞ。余の輝きに恐れおののいているのなら良いのだが」
レグナスが剣の柄に手をかける。
ルエリアは慌てて自分の脳内端末の『盲目ナビゲーター』を起動した。過剰な街のデータリンクを遮断し、ふぅ、と深い息を吐く。
「……大丈夫よ。ただ、この街には天使の管理システムが導入されているみたい。……信じられない。悪魔は管理を嫌うはずなのに、なんでこんなに大人しくシステムに従っているの……?」
──誰も、すぐには答えなかった。
喧騒の中、綺麗に整列した警備アバターが、規則正しい機械足音を響かせて通り過ぎていく。
「おいおい、嬢ちゃん。観光客か?」
門の脇にいた悪魔の門兵が、ニヤニヤ笑いながら話しかけてきた。額に小さな黒角を生やした、中年の男だった。
「ここじゃ珍しくねえぞ? 天使のシステム使うのなんざ」
「……え?」
「便利だからな」
あっけらかんと男は笑った。
「悪魔だからって、別に不便を愛してるわけじゃねえ。使えるもんは使う。それだけだ」
ルエリアは言葉を失う。天使は秩序を守り、悪魔は秩序を壊す。そう教えられてきた。
だが、この街の悪魔たちは、必要なら平然と管理システムすら利用している。
「……悪魔なのに、必要なら管理すら受け入れるのね」
門兵は肩をすくめた。
「そりゃあ、“自由”ってのは、拒絶する権利だけじゃねえからな」
その言葉に、ルエリアは小さく息を呑んだ。
隣でゼンが鼻で笑う。
「だから言っただろ。現実は、お前らの理屈通りには動かない」
「……」
ルエリアは反論できなかった。
今までは、悪魔というだけで、全員が同じ考えを持つと決めつけていた。
やがて三人は簡易検問を通過し、街の内部へと足を踏み入れる。
そこはまるで、巨大な夢の市場だった。空中を泳ぐ電子魚。路地裏に投影される仮想看板。現実には存在しないネオンの雨。仮想空間と現実世界の境界線が、曖昧に溶け合っている。
「うわぁ……」
ルエリアが思わず声を漏らす。管理都市の同期技術は、もっと正確で、無機質で、完璧だった。だがこの街は違う。不完全で、雑で、ノイズだらけ。なのに、人々は楽しそうに笑っていた。
ゼンはただ、その光景を冷めた目で見つめていた。
「……腹が減った。飯と宿、それから滞在許可証が先だろ。エドガーのじいさんの用件はその後だ」
レグナスが胸を張る。
「余は柔らかいベッドを要求するぞ!」
「どうせ床でも寝れるでしょ、あなた」
「寝れるのと寝たいのは別問題だ!」
騒がしく言い合いながら、三人は街を歩いていく。
「ゼン? どうしたの?」
ルエリアが振り返る。
ゼンは街のネオンを見上げたまま、鬱陶しそうに眉をしかめていた。
「……この街、うるせぇ」
「え?」
「音も、光も、情報も多すぎる。頭の中まで触られてるみてぇで気持ち悪い」
ルエリアは一瞬、言葉を失った。自分には“快適”に見えていたシステムを、ゼンは本能的に拒絶している。
三人はひとまず、ゲートの案内所で街の『一時滞在許可証』を発行してもらい、近くの小綺麗な宿屋に荷物を預けた。
滞在許可証には、氏名や滞在期間だけでなく、心拍、感情変動、同期履歴まで自動で記録されていた。
それから、エドガーから預かったチップを届けるため、メモの場所へと向かった。
途中、レンガ造りの大きな建物の前を通りかかる。
「同期率固定! イメージ維持!」
通りの向こうから聞き慣れない掛け声が響き、ルエリアが足を止めた。
白い柵で囲まれたその場所の看板には、『聖天使守護孤児院』と書かれていた。
中庭では、小さな子供たちが奇妙な訓練をしていた。空中に浮かぶ半透明の立方体──同期キューブに触れ、必死に形を変えようとしている。
「同期率固定! イメージ維持!」
「うぅ……ぐらぐらする……!」
「集中しろー!」
一人の少年が、誇らしげに同期キューブを持ち上げる。
「僕、同期適正A判定なんだ!」
子供たちが歓声を上げる。だがその隣で、小さな少女が一人だけ俯いていた。
手元のキューブは何度やっても崩れてしまう。
すると、教師役のアバターが静かに告げた。
『適正値不足を確認。基礎教育プログラムへ移行します』
少女は、慣れたように小さく笑った。
「……また補習だ」
ルエリアは驚いたように目を見開く。
「子供たちが……同期訓練を?」
管理都市では、同期技術は厳格な適正管理のもとでしか扱えない。それを孤児たちが学んでいる。
「あ、見て! 天使様だ!」
一人の少年がルエリアの姿を見つけ、目を輝かせて駆け寄ってきた。他の子供たちも、一斉に柵の近くまで集まってくる。
「こんにちは、可愛い子たち。同期の練習をしていたの?」
ルエリアが優しく微笑みかけると、子供たちは嬉しそうに頷いた。
「うん! 天使様たちが作ってくれたシステムのおかげで、僕たち、毎日安全に暮らせるんだ。お腹が空くこともないし、悪い人たちに襲われることもないんだよ!」
「ねえねえ! 管理都市って空飛ぶ車あるの!?」
「天使って毎日甘いもの食べてるって本当!?」
「誰がそんな情報を……!?」
ルエリアが戸惑っていると、子供たちはじっと彼女の頭上を見つめ、感嘆の声を上げた。
「……すごいや。本物の天使様のコード、ノイズが一個も混じってない」
「本当だ……。僕たちみたいに頑張って形を作らなくても、そこにいるだけで世界に溶け込んでる……!」
子供たちは、畏敬の念が混ざった眼差しでルエリアを見上げていた。
ルエリアの頭上には、高位天使の証明である、淡い純白色の幾何学的な光のリングが静かに明滅している。
不完全な人間が必死にイメージを維持して行う「同期」とは違う。天使という存在は、生まれながらにして世界のシステムそのものと完璧に噛み合っている。人間には決して到達できない「完成されたコードの美しさ」は、この街の子供たちにとって、神聖な“憧れ”そのものだった。
先ほどの小柄な少女が、はにかみながら言った。
「天使様、いつも街を守ってくれてありがとう!」
「……え?」
「この街、安全だから。天使のシステムのおかげで、暴走アバターも減ったし、変な病気も少なくなったんだって! だから、みんな天使様のこと大好きなんだよ!」
無邪気な笑顔。ルエリアは言葉を失った。
管理都市では、“天使は人類を導く存在”として教えられていた。だが今、初めて、誰かに直接“感謝”された。
それは温かく、けれど、何故だかひどく冷たかった。
ルエリアは小さく目を伏せる。
「……そっか」
その横で、ゼンは黙ったまま、孤児院の奥をじっと見つめていた。
子供たちを指導する教師アバターの、一切の感情が削ぎ落とされた電子の瞳。
それが、ルエリアたち三人の一挙手一投足を、冷徹に「記録」し続けている。
ゼンはその視線の裏にある、街全体から向けられる、無機質な監視の気配を敏感に察知していた。
「……みんな、勉強頑張ってね」
ルエリアは胸の奥に生じた奇妙な違和感を隠すように、少しだけ引きつった笑みを浮かべ、子供たちと別れた。
メモの場所へと向かう道中、ルエリアは沈んだ声で呟いた。
「……変よ。みんな幸せそうなのに、何かが息苦しい。まるで、世界全体が薄いガラスの箱に入れられているみたい」
レグナスは腕を組み、真剣な顔で周囲を見渡す。
先ほど見た赤い魚の看板が、再び三人の頭上を泳いでいった。
「うむ。余の直感が告げている。この街の空気は、戦場よりも歪だ。……というか、そもそも道がおかしくないか? 先ほどから、同じ場所をぐるぐると回っている気がするぞ」
「え?」
ルエリアが慌てて脳内の地図を確認する。
その瞬間、彼女の視界がバチバチと激しく明滅した。
「嘘……さっき通ったはずの角が、行き止まりになってる……!? 空間コードが書き換わってるわ。システムが、私たちの進行を『妨害』している……!?」
完全に迷路と化した路地裏。
管理都市製の高精度な地図データすらバグを起こし、激しい白いノイズを発し始める。
さっき通ったはずの時計塔。同じ落書き。同じネオン。
まるで、無限に続く電子の回廊に閉じ込められたかのように、景色がループしていく。
「空間コードがリアルタイムで書き換わっている……? そんなの、管理都市の中枢じゃなきゃあり得ないはずなのに……っ!」
ジジ……、とルエリアの脳内端末に、出所不明の不快な高周波ノイズが混ざる。
その瞬間、ルエリアの背筋を、強烈な悪寒が走り抜けた。
バグを起こした地図データをリセットしようと、ルエリアは何度も視界のウィンドウを瞬きで切り替えた。だが、目の前の景色は無情にも繰り返される。
「また、同じ時計塔……。やっぱりシステムのエラーで、空間がループして──」
「違う」
ゼンの低く、冷え切った声がルエリアの言葉を遮った。
ゼンは足を止め、路地裏の隙間から覗く、巨大な街の時計塔を睨みつけていた。
「え……?」
「時計の針を見てみろ。秒針は止まってねえ。時間は確実に進んでる」
ゼンは鬱陶しそうに首の骨を鳴らし、バチバチと青い火花を散らし始めたレンガの壁に、そっと手を触れた。
「……時計がループしてんじゃねえ。街の方が、動いてる」
その言葉が、ルエリアの脳裏に最悪の答えを弾き出した。
「……この街、生きてる」
遠くのネオンが、まるで生物の瞳のように“こちらを見た”気がした。
路地裏の至る所にある監視カメラが一斉に駆動音を立て、三人の動きに合わせて首を振る。
ルエリアの目の前で、現実にあるはずのレンガの壁が、青い電子ノイズと共にぐにゃりと歪み、新しい『壁』を形成していく。
歓迎されているはずの『都市』そのものが、巨大な捕食者のように牙を剥き、三人の行く手を完全に阻んでいた。
──第二十一話・終。




