第十八話:『最も自由な種族』
彼らが目指す次の土地へと続く荒野。
その過酷な大地へと足を踏み入れる前に、三人は山々に囲まれた、ひっそりと佇む平穏な農村『アインドルフ』へと立ち寄っていた。
レンガ造りの古い街並みに、穏やかな陽光が降り注ぐ。
石造りの水路が畑の間を縫うように走り、大きな風車がゆっくりと回っている。
水車の唸りと、小川のせせらぎが同時に聞こえる、不思議な静けさに満ちた村だった。
畑には青々とした作物が実り、羊型のアバターや、現地の人間たちが談笑しながら行き交っている。
「……へえ。こんな場所に、人間とアバターが共生しているコミュニティがあるなんてね」
ルエリアが感心したように周囲を見渡す。
レグナスは腕を組み、満足げに頷いた。
「うむ。なかなか良い村ではないか。人も機械も、互いに無駄に威張っておらぬ。余の故郷の領地を思い出すな」
ゼンは大きな欠伸をし、背負い袋を肩から下ろした。
「宿とまともな飯があるなら、俺は何でもいい」
「おや、旅人かね。ようこそ、アインドルフへ」
村の入り口、一本の大きな柳の木の影から、白髭の老人が穏やかな声で三人を迎えた。
老人の片目には古びた機械式のレンズが埋め込まれており、背筋は少し曲がっているが、その瞳の奥には深い知性が宿っているように見えた。
「私はエドガー。ここでしがない農家をやっている老人です」
「農家?」
ルエリアが怪訝そうに細い眉を上げる。すかさず彼女の鑑定が老人の数値を弾き出した。
──同期率_理論値超過(上限突破、または偽装の可能性)
ルエリアの息が止まる。
「農家にしては……あなた、妙ね。同期率が高いのか低いのか、解析がバグるんだけど?」
エドガーは、ただ目尻を下げて満足げに笑った。
「ハハ、お嬢さんには敵わん。大昔、まだ私が若かった頃はね、仮想空間と現実の同期システムを研究しておりました。まあ、今はただの隠居の身ですがね」
エドガーがそう言った直後、その背後から「おじいちゃん!」と一人の少年が元気よく駆け寄ってきた。
「おじいちゃん、見て見て! できたよ!」
少年の手には、河原の小石が握られている。
少年がそれを地面に置くと、ぎゅっと目を閉じた。
少年の小さな身体を中心に、大気がかすかに震える。キィィィン、と鼓膜の奥を揺さぶるような電子音が響き、小石の輪郭が青い幾何学的な光の粒子へと分解された。
ザザッ、とバグのようなノイズ。
次の瞬間、光の粒子が瞬時に再構成され、泥の中から一輪の真っ赤な大輪の薔薇が、まるで最初からそこに咲いていたかのように姿を現した。
「……!」
ルエリアが言葉を失い、薔薇を見つめる。
質量保存の法則すら無視したように見える、オブジェクトの完全な置換。
それも、ただの子供がやってのけたのだ。
「すごいじゃないか、レオ。もうこんな精密なイメージができるようになったのかい」
エドガーが目尻を下げてレオの頭を撫でる。
「まだ不安定だけどね!」
レオは得意げに胸を張った。
エドガーはそんな孫を微笑ましそうに見つめ、それから三人へ振り返った。
「人間というのは不思議な種族でしてな。奇跡を生むのは、才能だけではありません。……信じ続けた者だけが、辿り着ける景色もあるのですよ。もっとも、何でも生み出せるわけではありませんがね。現実から離れた想像ほど、世界の側が強く拒むのです」
ルエリアが薔薇を見つめたまま沈黙する。
「……どういう意味?」
ルエリアが興味深そうに目を細めると、エドガーは「まあ、立ち話もなんです。村をご案内しましょう」と穏やかに微笑み、歩き出した。
村の中へと進むにつれ、のどかな「日常」の風景が三人の視界に広がっていった。
水路の側では、数人の子供たちが集まって笑い声を上げている。
一人の少女が宙に指で円を描くと、そこから小さな光の蝶が生まれ、子供たちの間をひらひらと舞った。
「あ、捕まえた!」
男の子が手を伸ばすと、蝶は淡い粒子となって消える。高度な同期技術が、ここでは子供たちの無邪気な玩具になっていた。
さらに進むと、香ばしい焼き立てのパンの匂いが漂ってきた。麦わら帽子をかぶった農家たちが、羊型のアバターと一緒に大ぶりのカボチャを荷馬車へと積み込んでいる。
「おーい、エドガー先生! そっちの旅人さんはお客かね?」
「ええ、遠方からの珍しいお客様ですよ」
エドガーが手を振り返すと、アバターの一頭が「メェ」と親しげに鳴いた。
レンガ造りの家々のベランダには色鮮やかな洗濯物が揺れ、石畳の上を木靴が小気味よい音を立てて弾む。管理都市の冷徹な鉄と硝子の世界とは正反対の、人間味に溢れた、あまりにも温かい時間がそこには流れていた。
ルエリアはしばらく無言で、先ほどレオが咲かせた薔薇の「コード」の残響を視線で追っていた。風に揺れる花びらは、どこからどう見ても本物の有機物だ。
「……だからなのね。この村、すれ違う人間たちの同期率が妙に高いと思ったわ。システムによる既存の配給品じゃない。自分の想像力だけで、世界を書き換えてる」
ルエリアが納得したように呟く中、レグナスは一人でぐっと胸を張った。
「ふっ。なるほど! つまり余のような、歴史に名を残す英雄を育てる土壌というわけだな!」
ルエリアは呆れたように肩をすくめ、容赦なく現実を突きつける。
「エドガーさんが言っているのは、人間なら理論上は『誰にでも』、想像を世界へ反映できる可能性があるって話よ。あなた限定の話じゃないわ、この馬鹿騎士」
「だ、誰にでも!? 余の輝きが、誰にでもあるだと!?」
あからさまにショックを受けてガタガタと震えだすレグナスを見て、ゼンがぼそりと毒を吐く。
「安心しろ。お前の頭の悪さと、自信の大きさだけは唯一無二だ」
「ゼン! 貴様、褒めているのか貶しているのかどちらだ!」
賑やかに騒ぐ三人を見ながら、エドガーは「まぁまぁ」と笑い、村の中央広場へと一行を誘った。
道すがら、エドガーは静かな声で世界の仕組みについて語りかける。
「旅の御仁。天使は理論によって世界を捉え、悪魔は直感によって世界を捉える。しかし、人間にはそのどちらとも異なる、独自の力があるのをご存知ですか?」
「それは何だ? 物理的な剣技か?」
レグナスが興味津々に身を乗り出す。老人は優しく首を振った。
「いいえ。――『信じる力』です」
「信じる力……?」
レグナスが首を傾げると、横を歩いていたレオが、近くの水路から手のひらで水をすくい上げた。
少年がふっと息を吹きかけると、その水が手から離れ、空中に完全な球体となって浮かび上がる。
「お兄ちゃん、これ、触ってみて!」
「おお、どれどれ!」
レグナスが面白がって指を伸ばした、その瞬間。
パキィィィン!
少年の集中力が途切れたのか、浮かんでいた水球が激しい電子ノイズと共に小さな爆発を起こした。
「うわあああっ!?」
顔面にまともに水を浴び、派手にのけぞるレグナス。
周囲の畑仕事をしていた村人たちから、ドッと笑い声が湧き上がった。
エドガーは、レオの頭をポンと叩きながら言った。
「仮想空間との同期とは、すなわち己の『想像』を『現実』に近づける技術。自分がどれだけ強く、疑いなく思い描けるかで、顕現する強さが変わります。しかし、そこには『想像力の壁』が存在するのです」
「……理屈が邪魔をするのよね」
ルエリアが少年の様子を見つめながら、ぽつりと補足した。
「理屈で考える大人ほど、『できない理由』を脳が勝手に知ってしまうから。知識が想像にブレーキをかけるのよ」
「その通りです、お嬢さん」
エドガーは深く頷いた。
「天使は理論に縛られ、悪魔は制御が粗すぎる。人間はその両方の狭間にいる。……弱い種族だからこそ、一番自由なのですよ」
すると、レグナスが自分の腰の剣を見つめながら、どこか不満げに口を尖らせた。
「しかし、納得がいかぬな。それほど人間が自由であるならば、なぜ余はこのような物理的な鉄の剣しか使えぬのだ? もっと派手な天使の光の術や、悪魔の雷の術が使えても良いはずではないか!」
「今レオがやっているのは、属性能力とは少し違うわ。仮想空間の構成情報へ、自分のイメージを直接同期させているの」
ルエリアは呆れたように首を振ると、人差し指を立ててレグナスの鼻先に突きつけた。
「いい? 人間の脳は、適性さえあれば、天使か悪魔の能力を一系統だけ『同期』できるの。でも、適性や出力限界には大きな個人差がある。無理に限界を超えれば、脳の神経細胞が焼き切れるわ」
「つまり、あなたに同期の才能がこれっぽっちもないのは、あなたの脳みそのキャパシティが、その大層な自信に追いついてないから。理屈はそれだけ、すごく簡単でしょ?」
ルエリアの専門的な解説を、レグナスは腕を組んでフンと鼻で笑った。
「理屈、理屈とまどろっこしいな! かつて余が召喚された、あの戦場では、そのようなちまちました小細工は通用しなかったぞ。余は最強の騎士として、この世界に呼ばれ、ただ誇りのままに剣を振るった。理屈などという脆い檻を超えた、絶対的な『個の力』こそが世界を制するのだ!」
誇らしげに胸を張り、見えないマントを翻すかのようにポーズを決めるレグナス。
その姿を、エドガーは少しだけ目を細めて見つめた。
老人の脳裏に、遠い昔、戦場で見た「ある奇跡の騎士」の光景が、一瞬だけ重なった気がした。
だが次の瞬間、
「な、何だとぉぉ!」
という大声でその錯覚は見事に吹き飛んだ。ルエリアが完全にジト目になり、はぁ、と深い溜息を漏らしたからだ。
「はいはい。じゃあ、その『理屈を超えた最強の騎士様』が、なんで今、ただの鉄の剣一本でこんな荒野をうろついてるのかしらね? そもそもあなたが言ってる『別世界からの召喚』だって、本当に成功してたのか怪しいじゃない」
「貴様、ルエリア! 余のこれまでの輝かしい武勲を――それどころか余の存在そのものをバグ扱いするかーーッ!?」
「ふふ、気のせいですかな」
老人は小さく苦笑し、首を振って思考の隅へ追いやった。
「ハハハ、賑やかな旅の一行だ。やはり外の世界を知る若者が来ると、この古い村も活気づいて良いな」
エドガーは愛おしそうにレオの頭を撫でた。レオもまた、レグナスの大げさなリアクションに大はしゃぎしながら、ゼンの背負い袋の紐をぐいぐいと引っ張っている。
「ねえねえ、おじいちゃん! 今日の夜、この人たち僕たちの家に泊めてあげようよ! もっとたくさんお話聞きたい!」
「こらこら、旅の方々にも都合というものが――」
「大歓迎だぞ、少年!」
たった今しがたまで半泣きだったレグナスが、ゲンキンにも瞬時に胸を張り直した。
「余のような伝説の英雄の夜咄だ、一晩や二晩では語り尽くせぬからな! なあゼン、美味い飯と頑丈な屋根があるなら文句はあるまい?」
「……俺は最初から、宿と飯さえあればどこでもいいって言ってるだろ」
ゼンは大きな欠伸を噛み殺しながら、心底だるそうに背負い袋を持ち直した。だが、その視線はどこか、村の平穏な空気への居心地の悪さを隠すように、足元の石畳へと落とされている。
ルエリアはそんな男二人を呆れたように見送ってから、少し恐縮したようにエドガーに向き直った。
「すみません、エドガーさん。こんな騒がしい連中(主にバカ騎士)ですけど……もしご迷惑でなければ、お言葉に甘えてもいいかしら? 正直、管理都市を出てからまともなベッドで寝てなくて」
「お安い御用ですよ、お嬢さん」
エドガーは優しく微笑み、持っていた杖でトントンと地面を叩いた。
「大したおもてなしはできませんが、ちょうど今夜は、畑で採れたての新鮮な野菜を使ったシチューを仕込んであるのです。さあ、冷めないうちに我が家へどうぞ」
「シチュー……!」
ルエリアの目が、その言葉にぱあっと輝いた。
「やったぁ! 決まりだね! ほら、レグナスお兄ちゃん、こっちだよ!」
レオが嬉しそうにレグナスの手を引いて走り出す。
夕暮れの村には、家々の窓から温かな灯りが漏れ始めていた。
笑いながら先を走るレオ。
それを追うレグナス。
少し呆れながらも笑うルエリア。
最後尾を歩くゼンだけが、夕日に染まる村を振り返っていた。
家々から漏れる灯り。
遠くで響く子供たちの笑い声。
畑から帰っていく人々の影。
ゼンはしばらくその景色を眺め、やがて目を伏せた。
まるで、その温かな日常を――いつか失われるものとして見つめるように。
──第十八話・終。




