第十二話:『こぼれ落ちる熱』
廃墟の瓦礫の上で、虎柄のペンギン、ケンイチが不安そうに辺りを見回していた。
「……住人は修復も消去もできずに捨てられた。なのに、どうして警備システムだけは生きているの……?」
ルエリアの問いに、ゼンは答えなかった。
ただ、先ほどよりもわずかに重い足取りで、廃墟の奥へ歩き出す。
その歩みが、不意に止まった。
廃墟の空に、引き裂くような赤黒い警告信号が走った。
『【警告】:不法侵入者およびエラー個体を検知。排除プロセスを開始します』
崩れかけた建物の影から、地響きと共に姿を現したのは、管理都市の機械天使とは比較にならないほど巨大な多脚型の兵器だった。
それは旧市街の防衛兵器などではなかった。大戦時、悪魔の軍勢を一夜で壊滅させ、制御不能としてこの場所ごと封印された試作殲滅兵器。侵入者を機械的に消し去る、意志なき処刑機――生ける災害だった。
巨大な機械眼が、一行を「敵」と認識して赤黒く点灯する。
「っ、なにあれ……! 機械天使とはまた別の……!」
「ルエリア、下がっていろ! ここは余が足止めを――!」
レグナスは大剣を構え、処刑機へ駆け出した。
少年の身体には不釣り合いな剣を、両腕で必死に支えながら振りかぶる。
「喰らえぇぇぇッ!」
渾身の一撃が脚部へ叩きつけられた。
キィィィン!
だが、装甲には傷一つつかない。衝撃に耐えきれず、大剣を握るレグナスの腕が大きく跳ね上がった。
レグナスの身体は容易く吹き飛ばされ、瓦礫の上を激しく転がった。
壁際でようやく止まり、口元から細い血の筋が流れる。
「レグナス!!」
ルエリアが悲鳴を上げ、即座に両手を突き出す。
「天の光よ、絶対の盾となれ――『聖壁展開』!!」
彼女は持てる聖力を一気に注ぎ込み、巨大な盾を展開した。
だが、兵器の銃口から放たれた高出力レーザーは、その聖壁を一秒も持たずに貫通した。
ガラスが砕けるような音と共にバリアが霧散する。ルエリアは衝撃波だけで後ろへ跳ね飛ばされ、地面に膝をついた。
(嘘……管理都市の高位天使である私たちの力が、こんな、一瞬で……!?)
ルエリアは荒い息を整えながら立ち上がった。
二人が絶望に呑まれる中、ゼンの目が鋭く細まった。
「おい、ケンイチ」
その言葉に応じるように、ゼンの背後からケンイチが飛び出した。
ケンイチは倒れているレグナスの元へ猛ダッシュすると、短い手足でレグナスの鎧を必死に引っ張り、瓦礫の陰へと引きずり込んで安全な場所に隠した。その直後、足元へレーザーが突き刺さり、ケンイチは短い足を目いっぱい動かして瓦礫の間を駆け回った。
「ちっ、まどろっこしい」
ゼンは不敵に口元を歪めると、凄まじい踏み込みで処刑機の懐へと躍り出た。
両手に、深紅の炎をまとった刃が生まれる。
「消えろ」
ゼンは炎の残像へと変化したかのように不規則に揺らぎ、紙一重ですべてのレーザーを回避していく。防ぎきれない至近距離の熱線は、炎の刃の超高速の払いによってことごとく弾かれ、夜闇に激しい火花を散らした。
ゼンが処刑機の巨体を駆け上がり、装甲の継ぎ目、駆動部の隙間を正確に狙って、目にも止まらぬ炎の斬撃を連続で叩き込む。
ドガガガガァン!
確かに装甲は砕けた。だが次の瞬間、剥がれた装甲が、何事もなかったかのように形を取り戻していく。驚異的な超高速修復。その一瞬の隙を、処刑機は見逃さなかった。
死角から放たれた、予測不能な角度の追撃レーザー。
ジュッ――。
「……っ」
鋭い熱線が、ゼンの肩を掠めた。上衣が焼け焦げ、鋭い痛みが走る。
ゼンはバックステップで距離を取り、小さく肩を回した。
「……痛ぇな。チッ、再生能力持ちかよ。だったら――再生が追いつかなくなるまで斬るだけだ」
ゼンは着地と同時に、炎の出力をさらに引き上げた。
炎の閃光が爆ぜるたび、処刑機の装甲が目に見える速度で削られ、再生のシステムコードが処理落ちを起こして火花を散らす。破壊の速度が、修復の速度を完全に上回っていた。
出力が乱れ、赤黒い輝きが不規則に揺らぐ。周囲への照準も定まらず、銃口が四方へぶれる。
追い詰められた兵器の演算中枢が限界を超え、警告灯が激しく明滅した。
四方八方へレーザーを乱射しながら、中心核の出力を限界まで上昇させる。最後には自らもろとも旧市街を消し飛ばす、自爆の構えだ。
「ちっ! 仕方ねぇ……おい、お前ら全員伏せてろ」
ゼンがさらに一歩、踏み出す。
ゼンの瞳の奥で、深紅の炎と黄金の法則が噛み合った。天使と悪魔。秩序と衝動。本来交わるはずのない二つの力に、周囲の空間が悲鳴を上げる。
「混ざれ――『火』、並びに『律』」
二つの元素武装が、ひとつの形へと組み替わる。
「深紅の炎よ、裁きの法を刻み、世界の余白を削れ」
『律火――タルタロス・コード』
ゼンの両手に、燃え盛る二つの輪刃が現れる。
その中心では、黄金の法輪が静かに回転していた。
ゼンが両手の輪刃を振り抜く。
刃が兵器の脚部を切り裂いた瞬間、輪刃の中心で回転していた黄金の法輪が眩く輝く。
次の瞬間、切り裂かれた脚部へ黄金の紋様が焼き付くように浮かび上がった。
『斬撃を受けるたび、存在定義を喪失する』
新たな法が、兵器そのものへ強制的に刻み込まれる。
チャクラムが装甲を切り裂くたび、出力が落ち、装甲が崩れ、兵器を形作る存在そのものが削れていく。
縦に、横に、斜めに。
無数の炎の軌跡が処刑機の巨体を埋め尽くし、斬撃が重なるたびに、存在を支える定義が連鎖的に崩壊していく。
やがて修復機能そのものが意味を失った。
塞がりかけていた傷口が次々と崩れ、全身を走る亀裂から爆発的な黒炎が噴き上がる。
黒炎は処刑機を内側から焼き尽くし、その巨体を跡形もなく消し去った。
「……片付いたぜ」
圧倒的な破壊をもたらしたその横顔を、ルエリアは立ち尽くしたまま見つめていた。
ルエリアは何かを問いかけようとして、言葉を呑み込んだ。ゼンの横顔が、これ以上触れるなと拒んでいるように見えたからだ。
ゼンは手袋を直すような仕草で、右腕のノイズを隠した。
息一つ乱れていない。だが、その視線は世界のどこにも焦点が合っていないように虚ろだった。
「ゼン! 大丈夫なの!?」
「今の力……凄まじかったな。貴殿に怪我はないか?」
「あー、問題ない」
ゼンがいつもどおり答えたことで、レグナスはひとまず表情を緩めた。
だが、ルエリアの胸には微かな違和感が残った。
「……ひとまず動けるみたいね。なら追跡再開よ! あの少年、ロイを追わないと。あなたの袋の中に、何か『大切な物』が入ってたんでしょ!」
ルエリアが必死に訴え、レグナスも血を拭いながら力強く頷いた。
「そうだ! 余の財布も重要だが、貴殿が珍しく大切そうにしていたあの人形、もしや、旅の出発の日にココから贈られたのか?」
「そうだったの、ゼン?」
その瞬間、ゼンは、完全に動きを止めた。
脳の奥底を、凍りついた鋭い針で深く刺されたような、唐突な空白。
思考の歯車が空回りし、奇妙な違和感が胸を支配する。
「……人形?」
ゼンの口から漏れた、ひどく平坦な声。
「あの人形、ココから貰ったの?」
ルエリアが怪訝そうに顔を覗き込む。
ゼンは答えなかった。
その名を耳にした瞬間、ゼンの脳裏に、一瞬だけ白い少女の後ろ姿が浮かんだ。
眩しい光の中で、少女は振り返り、こちらへ手を振っている。確かに笑っている。何かを必死に叫んでいる。
だが――声はひどく遠く、逆光に遮られた顔もはっきりとは見えない。
「あ……」
手を伸ばそうとした次の瞬間、その姿は霧のように消え去った。
あとに残されたのは、ひどく冷たい、真っ白な空洞だけだった。
あの人形は、大切だった。そのはずなのに、今はその実感だけが妙に遠い。
だが、ゼンは表情一つ変えなかった。
「……ああ。分かってる。さっさとガキを捕まえて、そのガラクタ……いや、人形を回収するぞ。あいつはまだ、この廃墟の奥にいるはずだ」
声に震えも疲れもない。いつもの皮肉げで、怠惰なゼンの声そのものだった。
少し離れた場所で、ケンイチの黒い瞳に一瞬だけ白いノイズが走った。だが、その異常に気づいた者はいなかった。
ルエリアの胸の奥で、小さな違和感が疼いた。旅立ってから、あの人形に触れるときのゼンは、見落としそうなほど微かに表情を和らげていた。
だが今、その面影はどこにもない。
「ねえ、ゼン。あなた、本当に大丈夫? 何か……少し雰囲気が……」
「気のせいだろ。それより、立ち話をしてる間にあいつが『ゴミ捨て場』の深部まで逃げ込んだら、袋も財布も二度と戻ってこないぞ」
ゼンは冷めた笑みを浮かべ、迷いのない足取りで歩き出した。
夕闇が迫る廃墟の路地裏。その背中は、いつもと変わらないはずなのに、ルエリアにはひどく遠く見えた。
(人形……か。妙に気になるな)
そう思った。
けれど胸の奥には、温もりの抜け落ちたような、奇妙な空白だけが残っていた。
──第十二話・終。




