第三話:黒猫の棟梁と、小さなハンモック
世界樹のふもと、木漏れ日の里の午前十時。
この時間は、猫たちにとって「一回目の本格的な昼寝」が終わる頃合いだ。広場の大きな切り株の上では、村長のゴロが大きなお腹を天に向け、幸福そうに前足をバタつかせながら目を覚ました。
「ふあぁ……。さて、腹も膨れたし、身だしなみも整えた。次は、お嬢ちゃんの居場所作りだな」
ゴロが欠伸混じりにそう言うと、隣で丸くなっていたハルも耳をピクリと動かして顔を上げた。ハルの視線の先では、エルフの少女ミーナが、三毛猫のネネの尻尾を大切そうに抱えながら、おずおずと村の様子を眺めていた。
「ゴロさん、居場所って……僕たちの家じゃ駄目なんですか?」
「バカ言え、ハル。俺たちの家は『猫が四本足で歩き、時々二本足で立ち、基本は寝転がる』ために設計されてる。人間より一回り小さいエルフの子供とはいえ、二足歩行が基本のあの子には、今の俺たちの家は天井が低すぎるし、段差も猫基準で急すぎる」
ゴロは賢者めいた顔で頷くと、広場の奥を指差した。
そこには、世界樹の太い根っこを巧みに削り出し、まるで秘密基地のような工房を構えている一匹の猫がいた。
「あいつの出番だ。元・大工棟梁、黒猫のクロ」
ハルとミーナがゴロに付いていくと、カンカン、という小気味よい音が響いてきた。
工房の中にいたのは、全身が夜のように真っ黒な毛並みで覆われた、しなやかな体つきの猫だった。首には職人らしく、藍色の手ぬぐいを粋に巻き付けている。彼は器用に後ろ足で立ち上がり、前足の鋭い爪をノミのように使って、白銀色の木材を加工していた。
「おい、クロ。忙しいところ悪いが、仕事だ」
ゴロが声をかけると、クロは作業を止め、琥珀色の瞳をこちらに向けた。
「……ゴロか。それに、噂のお客さまだな。エルフの嬢ちゃん、ってのは」
クロの声は低く、どこか渋い。彼はひょいとテーブルから飛び降りると、ミーナの足元まで歩み寄り、じろじろとその体格を観察した。
「……なるほど。背丈は三尺そこいらか。手足は細いが、エルフにしちゃあ体幹はしっかりしてやがる。ハル、お前が前世で言ってた『エルゴノミクス』とかいうやつを、この子に合わせて設計しなきゃならねえな」
「クロさん、そんなことまで覚えてるんですか?」
ハルが驚くと、クロは鼻を鳴らした。
「当たり前だ。俺は職人だぞ。誰が使うか分からねえもんを作る趣味はねえ」
クロは工房の壁に掛けられた図面(といっても、木の板に爪で引っ掻いて描かれたものだ)を指し示した。
「嬢ちゃん。お前さんがこの村にいる間、安心して眠れる場所を作ってやる。……木の上と、根っこの中。どっちがいい?」
ミーナはおずおずと、工房の外に見える世界樹の枝を見上げた。
「……木の上がいいです。エルフの里でも、高いところに住んでいたから」
「よし、決まりだ。ハル、お前は手伝え。前世で理屈ばっかりこねてた知識を、たまには形にしてみろ」
こうして、村を挙げた「ミーナの家作り」が始まった。
作業は驚くほど速かった。ケットシーたちの身体能力は、建設作業において圧倒的なアドバンテージを持っている。
クロは世界樹から自然に落ちた「神木の枝」を選別し、それを魔法の爪で薄く、それでいて鉄よりも硬く切り出していく。ハルは、前世の記憶にある「合理的で清潔な空間設計」をクロに提案した。
「クロさん、ここは風が抜けるように窓を二箇所に。あと、エルフは感覚が鋭いから、木の香りが強すぎないように、蜜蝋でコーティングしましょう」
「分かってるよ。あと、昇り降りは階段じゃなくて、螺旋状のスロープにする。猫も一緒に登れるようにな」
二匹の猫が、抱っこサイズの身体でちょこまかと動き回り、大きな木材を魔法で浮かせて運ぶ光景は、端から見ればとても愛らしい。しかし、その手際はプロそのものだ。
ミーナは目を丸くしてその様子を見ていた。彼女の知る「猫」は、お昼寝をして、たまにネズミを追いかけるだけの愛玩動物だった。けれど、目の前の彼らは、自分たちよりもずっと賢く、そして魔法を当たり前のように使いこなす「森の賢者」そのものだった。
数時間が経ち、日が天高く昇る頃には、世界樹の低い枝の上に、小さなコテージが完成していた。
外見は、まるで大きなドングリのような丸みを帯びたデザイン。壁は白銀の木肌が美しく磨き上げられ、窓には透明度の高い魔石の薄板が嵌め込まれている。
「さあ、嬢ちゃん。中を見てみな」
クロに促され、ミーナは新築の香りが漂うスロープを登った。
扉を開けると、そこにはエルフの少女一人には十分すぎるほど広い、清潔な空間が広がっていた。床には柔らかな苔のカーペットが敷かれ、隅には小さな木製の机と椅子が置かれている。
そして、部屋の真ん中にあったのが、ハルの自信作だった。
「わあ……これ、何?」
ミーナが声を上げた。それは、四方の柱から丈夫な蔦で吊るされた、大きな布のゆりかごのようなものだった。
「ハンモックだよ、ミーナ」
ハルが誇らしげにしっぽを振る。
「エルフの里のベッドもいいけど、これは世界樹の揺れと一体になれる寝具なんだ。中には、僕とネネさんで集めた『雲羊の綿毛』がたっぷり詰まってる。一度入ったら、もう出たくなくなるよ」
ミーナはおそるおそる、そのハンモックの中に身体を預けた。
沈み込むような柔らかさ。けれど、蔦の魔法的な弾力がしっかりと身体を支えてくれる。ゆらり、と風に合わせてハンモックが揺れると、まるでお母さんの腕の中にいるような錯覚に陥る。
「……ふわふわ。それに、すごくいい匂い……」
ミーナの瞼が、見る間に重くなっていく。
猫たちは、その様子を見て満足げに顔を見合わせた。
「なあ、クロ。俺たちの分も作ってくれないか?」
ゴロが羨ましそうにハンモックを眺める。
「断る。お前が乗ったら蔦が千切れるわ」
クロの辛辣な言葉に、ハルは思わず吹き出した。
ミーナがハンモックの中で完全に寝息を立て始めると、猫たちは音を立てずに部屋を出た。
テラスからは、黄金色に輝く村の全景が見渡せる。
「……なあ、ゴロさん。僕たち、本当に良いところに来ましたね」
ハルがしみじみと呟いた。
前世では、誰かのために何かを作っても、それは「数字」や「成果」としてしか評価されなかった。けれど今は、一人の女の子が安心して眠れる場所を作っただけで、こんなにも胸の奥が温かい。
「ああ。人間だった頃の知識なんてのは、誰かを蹴落とすためのもんじゃねえ。こういう、誰かの『おやすみ』を守るために使うもんだ」
ゴロは遠くの空を見上げ、細くなった目で微笑んだ。
その時、階下の広場から元気な声が響いてきた。
「おーい! 晩飯の仕込みができたぞ! 今日は銀魚のパイ包み焼きだ!」
サビ猫のシェフ、ロッソが大きな鍋を叩いて知らせている。
「おっと、飯だ。ミーナを起こすのはもう少し後にしようぜ。あの子には、たっぷりとした眠りが必要だ」
クロが手ぬぐいを巻き直し、スロープを滑るように降りていく。
村の空気は、夕暮れ時を前にして、いっそう甘く、穏やかになっていく。
世界樹のふもとでは、誰かが作った居場所で、誰かが安心して眠り、それを誰かが静かに見守っている。
カリカリという無機質な食事ではなく、手間暇かけた温かな料理の香りが、今日ももふもふたちの隠れ里を包み込んでいた。
ハルは、ミーナが眠るコテージの入り口にそっと座り込んだ。
彼女が目を覚ました時、寂しくないように。そして、この平和な夢が壊れないように、一匹の猫として、静かにその門番を務めることにした。




