そのじゅうろく
設定の章に3話ほど追加しました。
油断した。
そもそも俺は、決して鋭いわけではない。もちろん不意打ちに備えるための訓練は親父から受けているが、親父の血が濃い俺は、民族・人種としての特徴として、やや鈍いところがあるのだ。
無論、カイルたちが先に気付き、俺に警告を、などということは期待できない。彼らはどこにでもいる子供であり、襲撃者の気配を感じ取るなどという訓練は積んでいないのだから。
2mほど横に跳び、左肩から地面に着地。惚れ惚れするような0点演技。だが、襲撃を受ける直前で辛うじて気づき、反射的に飛んでいたのだろう。怪我をした箇所は数あれど、いずれも軽傷。治癒魔法を自分にかけ、起き上がる。
――左腕がしびれている。身体能力を強化すれば、バスタードソードも片手で振り回せるが、左手がしびれているのではバランスがとりにくい。
――足もふらついている。治癒魔法の恩恵で、回復までは10秒ほどか。数年ほどの剣の修練の結果なのか、それとも興奮しているのか。痛覚はこの緊急時に麻痺してくれているらしい。
視界を向けると、襲撃者の姿が見える。……トロール。2メルト半ほどの巨体を持つ腕長のゴリラに近い外見をしている醜い外見の怪物だ。襲撃のための保護色なのだろう、全身を覆う毛は暗い緑色で、その双眸だけが赤く輝いている。爪はあまり鋭くないが、牙は凶悪的だ。親父から聞いた話によると、トロールは主に単独で行動し、獲物に不意打ちで殴りかかり、その怪力で嬲りぬいた末に食べるらしい。
さらに面倒なことに、こいつらは強い再生能力を持っている。切り落とした腕をくっつける、というほどではないが、少々の切り傷程度ならほんの数拍で治ってしまうらしい。このため、トロールを倒すには、その怪力と敏捷性を潜り抜け、一撃で重傷を負わせる必要がある。
「ウィル! ……くそ、ミリア、逃げろ!」
カイルが叫ぶ。見れば、ミリアは恐怖で腰が抜けたのか、その場に尻餅をついている。……尤も、トロールの足であれば、子供程度簡単に追いつけるだろうが。
トロールは、俺が満足に動けないことを理解したのだろう。動けなくなった獲物を放置し、まだ動ける獲物を捕らえることにしたらしい。ミリアとカイルに目を向けた。
「……っ、くそっ!」
カイルは悪態を吐き、ミリアを庇うように前に出て、両手を広げた。……明らかに、ミリアを守ろうとしている。
だが、問題は。
トロールがカイルたちから目をそらし、そこに目を向けた。
「ひぅ!?」
そこには、恐怖で震え、足を動かすことのできないアリスが。
まずい。アリスの位置はカイルからは少々離れている。今からカイルが飛び出しても、アリスを庇うことはできない。そして俺は。
「動……けぇ!」
痛みでまだふらつく足を叱咤し、アリスを守るために駆け出した。痺れる左手を無視し、強化された右手で剣を振りかぶる。叫び声に気付きこちらに振り替えるがもう遅い。アリスに襲いかかろうとした瞬間を狙った完璧なまでの不意打ち。
だが、ふらつく足がそれを裏切った。狙いがそれ、切っ先はトロールから半歩ずれた地面を叩く。強化されたその一撃は地面を陥没させ。トロールは、目の前の子どもが己を打倒しうる力を持つと理解した。
トロールの意識が完全にこちらに集中される。恐らく、今ならカイルたちが逃げ出しても気にしないだろう。背を向けてカイルたちを追いかければ、その隙に自分が殺されると理解しているのだ。
トロールは予想外の戦力を持つ俺を警戒し、ゆっくりと隙を窺っている。
――だが、それこそがこちらにとって最大の援護となった。
革鎧の下で、痺れた腕とふらつく足が癒されていく。……大丈夫、もう問題ない。行軍中も軽く魔法を使っていたせいで魔力はもうかなり減っているが、この一戦に限るなら足りないことはないだろう。
治癒に使っていた魔力をカット。身体強化に回す。
すでに2割の上限は超え、倍近い力を得ている。左腕を柄に添える。トロールは己の失策に気付いたが、もう遅い。
「せやあああ!」
裂帛の気勢を上げ剣を正面から唐竹割に振り下ろす。トロールは身をよじるが、奴の想定より俺の動きは速かった。正面から剣を受けることは避けられたが、その代償に右腕をへし折ってやった。
衝撃を受け、バランスを崩すトロール。その隙を突き、今度は横なぎに剣を振るった。
腕を切った時より重い衝撃。日本刀でもなければ切れるはずのない一撃だが、ボキリという鈍い音がした。……トロールの腰椎を、へし折ったのだ。
如何にトロールといえど、これはもはや致命傷といえる。トロールの再生能力では、死亡こそしないもののこれは癒せない。いや、あるいは癒せるのかもしれないが、それには数か月という時間がかかるだろう。そして、腰椎がくだければ、歩くこともできない。
ゆえに、これで詰みだ。歩けず、右腕も動かせないトロールに、よっくりと歩み寄る。まだトロールには左腕と牙が残っているが、気を付けていれば脅威ではない。
――俺は、悪あがきに振り回された左腕を難なく回避し、その頭にトドメの一撃を見舞った。




