外
第九十五話 外から見た旗
最後の騎馬部隊が退いたあとも、地図の確認は続いた。
奪われた道を戻す。
孤立した城へ通路をつなぐ。
戦いの途中で立てた約束を、一つずつ終わらせる。
すべての攻撃同盟を、同じように扱ったわけではなかった。
早い段階で出兵を止め、取得地を返したところとは、再度の攻撃を行わないことを確かめた。
返還を拒み、別の場所へ部隊を向けたところには、さらに兵を進めた。
そのうち、いくつかは配下に入った。
晴の同盟だけではない。
救援へ加わった同盟が、その地域で引き受けたところもあった。
各地で役目を分け、守る場所を分けた。
ようやく、律の同盟へ向かう地図から、敵の行軍表示が消えた。
*
蒼波は最後の部隊を戻してから、晴の城へ帰った。
馬を降り、手綱を預ける。
晴は城門まで出ていた。
「ありがとうございました」
蒼波は軽く頭を下げた。
「まだ、呼び戻す兵は」
「今のところ、ありません」
「なら、馬を休ませます」
その返事を聞いて、晴は初めて、少し長く息を吐いた。
守れた城がある。
間に合わなかった土地もある。
戻ってきた兵と、戻らなかった兵がいる。
勝ったという言葉でまとめるには、届いた報告が多すぎた。
それでも、次の場所へ急いで向かわせなくてよいことだけは、確かだった。
*
戦闘が落ち着いたあと、葉が記録を並べた。
攻撃を始めた盟主たちの、最初の土地取得。
上級騎兵が現れた時刻。
小さな同盟へ送りつけた要求。
そこには、似たものが多かった。
砦と、その周辺の土地を渡せ。
応じれば、城は攻めない。
抵抗するなら、先へ進む。
言い回しまで近い書簡もあった。
俺は一通を手に取り、隣のものと見比べた。
「偶然にしては、揃ってるな」
「うん」
葉は頷いた。
「兵の育て方も、動き始めた時期も。ただ、同じ相手から命令が来ていたって記録は、まだない」
配下に入った側の説明も、揃っていなかった。
事前に相談したと認める者。
ほかの場所で成功した話を聞いて、自分も動いたという者。
兵を育てる助言を受けただけだという者。
その助言者の名前を、最後まで言わない者。
分かっていることと、分からないことが、机の上に混じっていた。
*
「誰かが、やれると思わせたのかもしれないな」
岳が言った。
「他人が砦を取ってから、まとめて奪えばいいって」
「実際、そう話した者はいると思う」
俺は答えた。
それだけで、ここまで動きが揃うのか。
兵を育て、外へ出さずに待つ。
他の同盟が疲れた時期を狙う。
似た要求を突きつけ、複数の場所で同時に攻める。
誰かが全体を見ていたのではないか。
そう考えたくなる形だった。
杏が、届いた噂を一つ伝えた。
「考え方に影響する技能でも使われたんじゃないか、って話も出てる」
広間が静かになった。
「思考を操るようなもの?」
俺が聞くと、杏は頷いた。
「でも、言っている人も、見たわけじゃない」
俺は書簡を机へ戻した。
「それは、今は噂のままにしておこう」
誰かに煽られたのか。
同じ利益を見て、自分たちで示し合わせたのか。
本人たちにも分からない何かが、判断へ触れたのか。
どれを選んでも、説明は作れる。
説明できることと、確かめたことは違った。
葉は紙の端に、未確認、と書いた。
*
東雲連合からの申し入れは、その翌日に届いた。
土地の返還でも、通行の確認でもなかった。
『晴殿の同盟への合流について、相談したく存じます』
俺は一度読み、もう一度読んだ。
配下のまま、別の旗を残すのではない。
東雲という同盟を畳み、晴の同盟へ入る。
そういう相談だった。
*
会談には、東雲の盟主と、数人の代表が来た。
前に同じ机へ向かった時より、人数が少なかった。
晴は席を勧め、俺と千景が隣へ座った。
東雲の盟主は、最初に言った。
「全員が希望しているわけではありません」
晴は頷いた。
「はい」
「離れる者もいます。一人でやる者も、別の知り合いのところへ行く者も」
「その人たちは、そのままでいいと思います」
返事が早かったので、相手は少し顔を上げた。
晴は続けた。
「入りたいと言っている方の話を、聞かせてください」
盟主は、持ってきた名簿を机へ置いた。
*
理由は、一つではなかった。
前の戦争から、同盟内で意見が割れていた。
砦を奪うために戦いたかった者。
通れる道があれば、それでよかった者。
晴の同盟との戦争そのものに、最後まで納得していなかった者。
配下になったあとも、その違いは残っていた。
「今回、そちらが律殿のところへ兵を出した時、こちらからも動いた者がいました」
盟主は言った。
俺は覚えていた。
道の確認をしてくれた者。
帰還する騎馬へ、食糧と休む場所を用意した者。
大きな戦果としては残らないが、確かに助けられていた。
「その者たちから、同じ同盟で動いたほうがいいという話が出ました」
盟主は、名簿へ目を落とした。
「こちらでまとめ続けるより、そのほうがいいのかもしれません」
声は平らだった。
平らに保とうとしているのかもしれなかった。
*
晴は、すぐには答えなかった。
名簿を読み、相手の顔を見る。
「入ってもらえるのは、嬉しいです」
盟主の肩が、ほんの少し動いた。
「ただ、こちらにも、前の戦争で兵を失った人がいます」
「分かっています」
「その人たちに、今日から仲良くしてくださいとは、言えません」
晴は言葉を止めた。
きれいに受け入れるための言い方を探しているようだった。
やがて、少し首を振った。
「でも、一緒にやることはできます。仕事をして、話して、そのあとで変わることもあると思います」
千景が、加入後の扱いを説明した。
以前の所属を理由に、同じ同盟員としての扱いを変えない。
一方で、部隊の指揮や役職は、加入しただけで決まるものではない。
未処理の土地や約束は、合流前に整理する。
相手は一つずつ頷いた。
*
東雲の盟主が尋ねた。
「私も、入ってよろしいのですか」
俺は顔を上げた。
その問いをするまで、この人は自分のことを話していなかった。
晴は、少し驚いたように答えた。
「一緒にやるつもりで来たんですよね」
「はい。ただ、私が残ることで、揉めるなら」
「揉めることは、あるかもしれません」
晴は正直に言った。
「でも、何かあったら話してほしいです。勝手に兵を出したり、返事を変えたりする前に」
相手は、黙って晴を見た。
しばらくして、深く頭を下げた。
「今度は、そうします」
俺は、その返事を聞いて記録した。
信じると決めたから、記録をやめるわけではなかった。
*
東雲の旗が消え、名簿に新しい名前が増えた。
全員ではない。
残る者、離れる者、それぞれの手続きを終えてからだった。
人数を確認した葉が、順位表を開いた。
「北西で、五番目くらい」
俺は画面を見た。
「そんなに?」
「人数で見れば。配下になっている同盟までどう数えるかでも変わるけど、規模としては、この辺り」
晴も横からのぞいた。
「大きくなりましたね」
その声には、少し嬉しさがあった。
続けて、困ったような笑いもあった。
「まだ、ちゃんと話せていない人がいます」
千景が名簿を引き寄せた。
「順番に、機会を作りましょう」
俺は順位表を閉じた。
五番目。
その数字が、外からどう見えるのかを、その時はまだ深く考えていなかった。
*
――旧東雲連合の一人は、晴の同盟へ入る前夜、挨拶の文を三度書き直した。
よろしくお願いします。
その前に、謝るべきだろうか。
前の戦争では、自分も兵を出した。
命じられただけだったと言えば、逃げているように見える。
謝れば、それで許してもらおうとしているようにも見える。
結局、短い挨拶だけを送った。
返事を待っている間、自分がどこから迎えられるのかを考えた。
負けた同盟の者。
配下だった者。
人数を増やすために入れられた者。
どの扱いでも、不思議ではない。
先に返事をくれたのは、副盟主の千景だった。
確認したい城の予定と、参加できる時間について書かれていた。
そのあと、晴から届いた。
『よろしくお願いします。
武将を育てるのが好きだと聞きました。今、誰を育てているんですか』
男は、その問いに少し困った。
用意していた謝罪も、弁明も、使う場所がなかった。
しばらくして、武将の名を書いた。
晴から、また返事が来た。
同じ武将を持つ者が、同盟にいるらしい。
紹介してよいかと聞かれた。
男は画面を見たまま、肩の力を抜いた。
許されたとは、思わなかった。
ただ、明日から何を話せばいいかは、少し分かった。
*
――北西の小同盟の盟主は、晴の同盟が五番目ほどの規模になったと聞いて、あまり驚かなかった。
むしろ、もう少し上かと思っていた。
攻撃を受けた時、自分たちの同盟員は三人だった。
出せる兵は少ない。
最初に送った救援の書簡には、まとまった情報すらなかった。
どこから来たか。
何騎いたか。
次にどこへ向かうか。
尋ねられても、はっきり答えられなかった。
それでも、返事は来た。
今分かる場所だけ送ってほしい。
知らないことは、知らないままでよい。
近い同盟へ確認する。
そのあと、兵ではなく、道を開けてもらう連絡が来た。
さらに、戻ってきた部隊を休ませてよいという申し出があった。
晴の同盟が直接すべてをしてくれたわけではない。
だが、最初の書簡がなければ、その誰とも話せなかった。
「東雲を配下にしたところだろ」
仲間の一人が言った。
盟主は頷いた。
「そうだ」
「怖くないか」
「怖いよ」
返事は、すぐに出た。
巨嶽も、神速の武将も、自分たちにはない。
本気で敵に回せば、勝てるとは思えない。
ただ、その同盟から来た最初の返事には、加入しろとも、従えとも書いていなかった。
「でも、三人だって言っても、返してくれた」
盟主はそう答えた。
仲間は黙り、机に置かれた書簡を見た。
*
――南東の連合では、晴の同盟を、もう少し違う形で見ていた。
会議の机に、北西の名簿が置かれていた。
晴。
玄。
朔。
律。
巌。
それぞれ、別の旗だった。
正式な合併をしたわけではない。
共通の盟主がいるわけでもない。
普段の砦攻略も、土地の取得も、それぞれで決めている。
だが、今回の戦いでは、複数の同盟が連動した。
「結局、分かれただけで、中身は前のままなのでは」
一人が言った。
瀬名は名簿を見た。
「前のままと言い切るのは、違うと思います」
「では、何です」
「決める相手が、それぞれにいます。兵を出す責任も、別です」
「それでも出した」
「はい」
そこで、誰もすぐには続けなかった。
南東の大連合では、同じ旗の中で兵を動かすために、何度も会議をしている。
誰が道を作ったか。
誰が損失を引き受けるか。
取ったあとの利益を、どう分けるか。
北西の複数の同盟が、それをまったく考えていないとは思えない。
だが、少なくとも今回は、話が全部まとまる前に兵が動いていた。
*
「取り分は、先に決まっていたんですか」
瀬名へ質問が向いた。
「私が確認できた範囲では、救援の時点では決まっていません」
「では、何のために」
「律殿の同盟が、攻められていたからでしょう」
答えると、向かいの男が眉を寄せた。
それでは説明にならない、と言いたそうだった。
瀬名は続けた。
「損をしないと分かったから助けた、という順番ではなかったのだと思います」
「それは、都合のいい話では」
「そうかもしれません。ただ、実際に兵は出ています」
机の上に、出兵の記録があった。
遠くから向かった部隊。
近隣との通行を調整した同盟。
直接戦わず、帰還路を維持した者たち。
一つ一つは、利益だけでも説明できる。
けれど全部を並べると、以前からの関係が見えた。
第三世界で、共に戦った者たち。
別々の同盟になっても、誰が困っているかを知れば、返事をする者たち。
*
「いい話ですね」
一人が言った。
皮肉ではなかった。
瀬名は頷いた。
「そう思います」
別の男が、地図へ指を置いた。
「外から見れば、厄介でもある」
その言葉にも、瀬名はすぐに反論しなかった。
小さな同盟だからといって、その人数だけを見て交渉できない。
律の旗の向こうには、晴がいるかもしれない。
晴の向こうには、玄や巌がいるかもしれない。
正式な条約の線がなくても、人の名前でつながっている。
「本人たちは、北西を一つにするつもりはないと言うでしょう」
男は続けた。
「だが、仲間が困れば集まる。その仲間の範囲を、こちらはどこまで見ればいい」
瀬名は地図を見た。
今回、救援を求めたのは、昔の仲間だけではなかった。
晴の書簡は、小さな同盟にも届いた。
第三世界の外から来た者にも、返事があった。
以前の絆が、今いる相手へ少しずつ伸び始めている。
「分からない、ということですね」
誰かが言った。
瀬名は、ゆっくり頷いた。
「ですから、人数の順位だけでは見ないほうがいいと思います」
*
――北東のある幹部は、別の結論を出した。
「晴を怒らせるな、という話ではない」
机の周りにいる者へ、そう言った。
「誰をどう扱ったかが、晴のところへ届く。そっちを考えろ」
小さな同盟へ要求を出す。
相手が断る。
強く言えば従うと思って、さらに迫る。
以前なら、その相手が何人の兵を持っているかを調べればよかった。
今は、どこへ書簡を送れるかも考えなければならない。
「やっていないことまで、訴えられたら?」
若い男が聞いた。
「そのために、記録を残す」
「晴が、昔の仲間の話だけを信じたら?」
幹部は少し黙った。
「今回の動きでは、他の記録も集めていたらしい」
それから、続けた。
「だが、利害を超えて動く相手は、こちらの条件だけでは止まらない。得がないから来ないだろう、という読みは捨てろ」
集まっていた者たちが、地図へ目を落とした。
晴の同盟の印は、北西の五番目ほどだった。
その周りに、別の旗の名前を書き足すと、紙の余白が減った。
*
瀬名から、近況の書簡が届いた。
南東の土地整理。
連合内の分担。
次の大城の扱い。
いつもの話の最後に、今回の評判について短く添えられていた。
『そちらが同盟の規模に関係なく連絡を返したことは、好意的に伝わっています。
一方で、別の旗になった第三世界の諸同盟が、今も呼びかけに応じて動くことを、警戒する声もあります。
正式な関係図だけでは、どこまでが一緒に動く相手なのか分からない、という見方です』
俺は読み終えて、机へ置いた。
晴が尋ねた。
「何て書いてありました?」
「助けたことを、よかったと思う人もいる。どこまで集まるのか分からないから、怖いと思う人もいる」
晴は少し考えた。
「今回は、私も、誰が来てくれるか分かりませんでした」
「そうなんだよな」
俺は笑った。
外から見れば、見えない連合。
中にいる俺たちからすれば、返事が来るまで分からない、一通ずつの書簡だった。
*
律から、別の連絡が届いた。
同盟の立て直しが進んでいるという。
救援に来た部隊の損失について、負担できる分を相談したいと書いてあった。
俺は返事を考えた。
そこへ、玄からも来た。
『今度、律のところへ行く。飯くらいは出してもらう』
朔からは、使った資源の記録が届いた。
請求ではなく、次に同じことが起きた時のために、共有しておきたいという。
利害を考えていないわけではない。
使ったものは数える。
負担が偏れば、話す。
ただ、それを全部終えてからでなければ、手を伸ばさない関係でもなかった。
俺は三通を並べた。
以前、同じ机に座っていた者たちの名前だった。
*
「五番目くらいなんですよね」
晴が名簿を見ながら言った。
「ああ。北西では」
「最初、こんなに増えると思ってませんでした」
「俺も」
晴は、新しく入った東雲の者の名前で手を止めた。
「まだ挨拶できていない人がいます」
「千景が、順番を組んでくれてる」
「はい。まず、その人たちと話します」
大きな同盟に見られ始めている。
別々の旗を動かす中心だと、考える者もいる。
晴は、その話を聞いたあとで、まだ顔を知らない同盟員の名前を確かめていた。
俺は瀬名への返事を書き始めた。
評価への反論は、書かなかった。
今回、動いた同盟が、それぞれ自分で判断したこと。
今後も、すべてが同じ方針で動くとは限らないこと。
そこまでは、事実として伝えた。
その先を書こうとして、少し止まった。
次に律が困っていたら。
玄が、朔が、巌が、助けを求めてきたら。
何を得られるか確かめるより先に、俺は地図を開くだろう。
そのことまで否定する文は、書けなかった。
俺は書簡の続きを書かず、いったん筆を置いた。
隣では晴が、新しい仲間へ最初の挨拶を送っていた。




