晴の大号令
第九十四話 晴の大号令
砦へ向かう道が、伸びなくなっていた。
取り残された砦が、ないわけではない。
遠い場所。
守備に対して、得られるものが見合わない場所。
近隣で話がつかず、そのまま残されている場所。
そうしたものを除けば、各地の攻略はひと段落していた。
俺たちの机にも、以前ほど取得予定が届かなくなっていた。
代わりに増えたのは、武将の育成や、土地へ置く副将の話だった。
誰が何を重ねた。
どの技能が伸びた。
次の登用で、何を狙う。
戦争のあとに生まれた警戒は、消えていない。
それでも、地図が静かになったことには、少し安心していた。
*
最初の変化を見つけたのは、葉だった。
「ここ、前から動いてた?」
示されたのは、北西の東寄りにある城だった。
名前には見覚えがあった。
統合してから、ほとんど土地を増やしていない。
周辺への返事も少なく、城だけが残っているように見えた場所だ。
「いや。放置に近いと思ってた」
「昨日から、増えてる」
俺は地図を拡大した。
城のそばに、土地が二つ。
その先に、さらに一つ。
まだ、それだけだった。
気が向いて、また動き始めたのかもしれない。
前の世界で疲れていた者が、休んでから戻ってくる。
そういうこともあるだろうと思った。
葉は頷いたが、印は消さなかった。
「あと二つ、似た城がある」
*
翌朝、そのうちの一つから伸びた道が、他同盟の土地へ届いていた。
空き地をつないだだけではない。
所有者が変わっている。
俺は取得時刻を見た。
短い間に、続けて取られていた。
途中には、守備のある土地も含まれている。
「速いな」
岳が言った。
里央へ記録を送る。
返事は、少し間を置いて届いた。
『普通の騎馬じゃない。これ、上級兵だと思う』
俺は城へ視線を戻した。
動いていないように見えた城。
土地を取っていなかった城。
そこで何が育っていたのか、俺たちは知らなかった。
*
律からの救援要請は、その日の昼に来た。
いつもの書簡ではなかった。
挨拶がない。
位置と、敵の進路と、必要な返事だけが並んでいた。
『東側から攻撃を受けています。
上級騎兵が複数部隊。確認できた数だけでも、こちらの守備では止め切れません。
援軍を出せるか、至急回答をお願いします』
俺は最後まで読み、すぐに地図を開いた。
律が立ち上げ、今もまとめている同盟だった。
近隣と時間を合わせて砦を取り、まだ人数は多くない。
その砦へ続く道が、途中から別の色に変わっていた。
さらに奥。
仲間の城へ向かう線が、一本伸びていた。
「岳」
呼ぶと、すでにこちらへ来ていた。
「見た。届くまで、どれくらい掛かる」
俺は最も近い味方の城を選んだ。
距離を測る。
部隊の所要時間を見る。
敵の進路を、もう一度見る。
指先が冷えた。
こちらが着く前に、次の場所へ行かれる。
*
律へ返事を送った。
『援軍を組む。今、一番危ない城はどこだ』
返事は早かった。
『城より、北の接続地をお願いします。そこが残れば、二つの城から守備を送れます』
俺はその場所を示した。
岳が首を横に振った。
「今からじゃ、遅い」
「近くの同盟へ頼めないか」
「杏が聞いてる」
返答を待つ間にも、律から報告が来た。
一つの土地を放棄。
部隊を戻す。
次の守備を合わせる。
文は整っていた。
だからこそ、俺には、無理をしていることが分かった。
律は、余裕がある時なら、こちらが判断しやすい説明をもう一行添える。
今日は、それがなかった。
*
攻めてきたのは、一つの同盟だけではなかった。
離れた場所にある、別の小さな旗も動いていた。
その盟主の城も、しばらく土地を増やしていなかった。
さらに南でも、似た報告があった。
どこも、最初は静かだった。
同盟員は少ない。
外へ伸びる道も短い。
ところが、動き始めると早かった。
上級騎兵で、足場を抜く。
守備を集める前に、その先へ進む。
止めようとして兵を一か所へ寄せると、別の道へ向かう。
小さな同盟では、一度に守れる場所に限りがある。
それを、相手は知っていた。
*
律から、攻撃側とのやり取りが転送されてきた。
『砦周辺の土地と、所有権を渡していただければ、城への攻撃は止めます』
俺は読み直した。
砦を攻略するつもりではなかった。
砦を取った者から、周囲ごと切り取るつもりだった。
こちらが守備を削り、兵を失い、道をつないでいる間に、相手は城内で兵を育てていた。
土地を広げれば、動いていることが見える。
近隣と交渉すれば、意図を読まれる。
だから、待った。
他人が砦を取り終えるまで。
攻略から戻った兵を休ませ、次の育成を考え始めるまで。
「放置じゃなかったのか」
俺の声に、葉が頷いた。
「土地を取ってなかっただけだね」
その言い方が、胸に残った。
見えていないものを、ないものとして扱っていた。
*
晴が広間へ来た時、俺は二つ目の援軍案を消していた。
「律さんは?」
「まだ持ってる。でも、兵が足りない」
「巨嶽を出します」
そう言ってから、晴は地図を見た。
以前のようには、すぐ動かさなかった。
「……着くまでに、変わりますね」
「ああ」
晴は、相手の騎馬が通った道をたどった。
「今守っている場所へ着いても、もう次を攻めている」
「それが厄介なんだ」
強い部隊を送れば解決するわけではない。
着いた時には、守るべき場所が違っている。
こちらが追えば、相手は別へ行く。
砦へ挑む時の強さとは、違うものを求められていた。
晴は、しばらく地図を見たあと、自分の武将の一覧を開いた。
*
「蒼波を使います」
初めて聞く名前ではなかった。
数日前、晴が新しく迎えたURだった。
巨嶽とは対照的に、身軽な装いの武将だと聞いていた。
槍も鎧も、余計な飾りがない。
馬を前にした時だけ、少し表情が柔らかくなるらしい。
晴は、技能の説明を皆へ見せた。
騎馬の部隊を、即時に帰還させる。
そして、蒼波のいる場所へ、即座に呼び出す。
俺は二つの文を、順番に読んだ。
「戻してから、ここへ呼べる?」
「はい。試した範囲では」
晴は地図の一点へ指を置いた。
「蒼波が先に、ここへ着ければ」
律が守ってほしいと言った場所だった。
*
宗吾が身を乗り出した。
「呼べる部隊の条件を、先に確認します」
里央も、技能の説明を見ている。
「迎え撃つ場所に、あとから兵を集められるんだ」
「そうです」
晴が頷いた。
「相手を見てから、戻して、呼べます」
俺は地図を引いた。
離れている味方の城。
それぞれの騎馬部隊。
通常の行軍なら、到着まで待たなければならない。
蒼波がいれば、その時間を変えられる。
すべての兵を自由に動かせるわけではない。
カイとレンや、巨嶽まで、同じように呼べるという話でもない。
それでも、今、足りないものに届く力だった。
晴は連絡を送った。
ほどなく、広間へ蒼波が来た。
*
蒼波は、説明を聞くより先に地図を見た。
「残っている道は」
俺が示す。
「ここ。ただし、北側は攻められている」
「通行の確認は」
「取る」
「先に済ませてくれ」
声は静かだった。
急いでいないように聞こえるのに、質問は一つも余分ではなかった。
蒼波は、律の同盟の土地へ指を置く。
「ここへ入る。迎える騎馬は、出す者と戻す者を分けておけ。全員が同じ時に判断すると、混ざる」
宗吾が頷いた。
「こちらで順番を揃えます」
蒼波は晴を見る。
「命令を」
晴は背筋を伸ばした。
「律さんたちを助けたいです。まず、この場所を守ってください」
「承知した」
*
蒼波を送り出したあと、晴は机へ戻った。
俺が律への連絡を書いていると、横から聞いた。
「同じように攻められているところ、ほかにもありますよね」
「ああ。今、確認してる」
「助けを呼べてないところも、あると思います」
俺は筆を止めた。
律には、俺たちへ連絡する先があった。
何を送れば伝わるかも分かっていた。
そういう相手のいない小さな同盟も、各地にある。
自分たちだけで判断し、砦を渡せば済むのか、城まで落とされるのかを考えている。
晴は、同盟の一覧を開いた。
「皆へ送りたいです」
「近隣?」
「全部です」
俺は顔を上げた。
「確認できる同盟、全部へ。小さいところにも」
*
千景が、すぐに返事をしなかった。
「全員へ、何を約束しますか」
晴は考えた。
「全部を守れる、とは言えません」
「はい」
「でも、何も知らないまま、一つずつ取られていくのは止めたいです」
俺はその言葉を聞きながら、紙を出した。
相手が小さければ、助けが来る前に終わる。
どこを攻めているのか知られなければ、次も同じことができる。
だったら、情報を集める。
攻められた場所を、皆が知る。
近い者が、できることを返す。
一つの巨大同盟へ入らなくても、同じ相手の動きを見られるようにする。
晴は俺を見た。
「書くの、手伝ってもらえますか」
「もちろん」
*
最初に、律への救援を優先することを確かめた。
その作業を止めてまで、大きな呼びかけを作るわけにはいかない。
宗吾と岳は部隊を見た。
里央は騎馬の準備を揃えた。
葉は報告をまとめた。
杏と千景が、送れる相手を拾っていく。
大きな同盟だけではなかった。
二人しかいない同盟。
名簿に一人だけの同盟。
土地を広げていない者たちの集まり。
以前、こちらの配下化を批判してきた同盟もあった。
晴は、その名前を見て言った。
「そこにも、お願いします」
杏が頷いた。
「送るよ」
*
書簡は、晴の言葉で始めた。
『砦の攻略が終わった地域で、上級騎兵を用い、他同盟の砦と土地を奪う攻撃が起きています。
私たちは現在、救援に向かっています。
同じ攻撃を受けている方、部隊の移動を見た方は、同盟の大きさに関係なく知らせてください。
すべての場所へ間に合うとは約束できません。
それでも、何も知らないまま、それぞれが一つずつ倒されていく状態にはしたくありません』
晴はそこまで読んで、少し考えた。
「守るためなら、こちらから宣戦することも書いてください」
俺は頷き、続きを書いた。
『守るために必要であれば、私たちは自分たちから宣戦します。
ただし、救援を理由に、関係のない同盟へ加入や配下化を求めることはしません。
援軍が通る土地は、先に話します。
借りた道を、そのまま自分たちのものにはしません。
攻撃を受けたという一方の話だけで、相手を決めつけることもしません』
晴は、最後まで目を通した。
それから言った。
「困っていたら、まず話してほしいです。味方になるかどうかを、先に決めなくても」
俺は、そのまま最後へ加えた。
*
「これ、かなり大きなことを言ってるぞ」
俺が言うと、晴は頷いた。
「はい」
「返事が、たくさん来るかもしれない」
「来てほしいです」
「批判も来る」
晴は一度、目を伏せた。
前の戦争のあとに読んだ書簡を、思い出しているのかもしれなかった。
やがて、顔を上げる。
「それも、読みます」
俺は黙って頷いた。
晴は、いつものように誰かを誘っていた。
ただ、今回は釣りではなかった。
来られる人だけ、できることを持ってきてほしい。
その代わり、集まってくれた相手を、自分の都合で扱わない。
晴が言っているのは、そういうことだった。
*
書簡を送った。
一度に届かなかった相手には、杏が別の窓口を探した。
律にも、転送できる範囲で回してほしいと伝える。
俺は同時に、攻撃側の同盟へ連絡した。
律の同盟への攻撃を中止すること。
取得した通路を戻すこと。
応じない場合は、こちらも戦闘に参加すること。
返事を待つ。
その間にも、敵の騎馬は動いていた。
やがて届いた返答には、砦の譲渡が先だと書かれていた。
俺は晴へ見せた。
晴は読んで、頷いた。
「出してください」
俺は宣戦を告げる書簡を送った。
今度は、自分たちの道を守るためだけではなかった。
*
律からの報告が途切れた。
ほんの短い間だった。
それでも、俺は何度も連絡欄を開いた。
岳が、敵の到着見込みを確かめる。
「次が来る」
こちらの通常の援軍は、まだ途中にいた。
蒼波から、到着の報告が入る。
北の接続地。
律が最後まで残そうとしていた場所だった。
宗吾が声を上げた。
「里央、準備」
確認の返事が来る。
晴が、蒼波へ命じた。
「呼んでください」
*
地図の上から、一つの行軍表示が消えた。
城へ戻る。
帰還したという報告が届いた、その直後。
離れた北の土地に、同じ部隊の表示が現れた。
俺は思わず顔を近づけた。
今までなら、そこに何時間もの空白があった。
兵を戻し、組み直し、送り出す。
その時間が、目の前で飛び越えられた。
宗吾は驚いている暇を与えなかった。
「次の部隊、確認」
返事。
帰還。
召喚。
蒼波のいる土地へ、騎馬が集まる。
里央が、そこで部隊をまとめた。
*
敵の騎兵が入ってきた。
薄い守備を抜き、その先へ進むつもりだったのだろう。
だが、そこには、さっきまでいなかった兵がいた。
最初の衝突で、敵の進軍が止まった。
すぐに崩れたわけではない。
相手も上級兵を揃えている。
こちらにも損失が出た。
ただ、抜けなかった。
その時間に、律の同盟の部隊が横から守備を足した。
遅れていた援軍が、後ろへ届く。
細い道が、まだ味方のまま残っている。
俺は、連絡欄を見た。
律から、短い文が来た。
『止まりました』
その次の一行は、少し遅れた。
『助かった』
俺は背もたれへ体を預けた。
息を吐くと、胸の奥が痛かった。
*
返事が来始めたのは、そのころだった。
北東の小同盟から、見かけた騎馬の方向。
南の同盟から、同じような要求を受けたという書簡。
参戦はできないが、帰還する部隊へ道を貸せるという申し出。
兵は少ないが、近くの土地を見ていられるという返事。
以前、こちらを批判した同盟からも届いた。
『今回の呼びかけは確認しました。
こちらが貴同盟の過去の判断を支持したことにはなりませんが、被害の確認には協力します』
俺は、その文を晴へ見せた。
晴は頷いた。
「ありがとうございます、って返してください」
そこに、過去の評価を変えてほしいという言葉を足すつもりは、なかったらしい。
俺も、そのまま返した。
*
玄からは、短い連絡が来た。
『近いところは見る。律には死ぬほど文句言っといて。もっと早く呼べって』
朔からは、使える兵と、動かすために必要な時間が届いた。
巌の書簡には、大きな文字で一行目が書かれていた。
『話は分かった。どこへ向かえばいい』
俺は、そのまま出兵を頼まなかった。
場所と状況を返し、近隣との通行を確認する。
強い者が集まっても、勝手に道を使えば、別の争いを作る。
机の上には、急ぐ理由と、急いではいけない理由が同時に積まれていった。
*
地図へ、新しい印が増えた。
攻撃された場所。
敵の騎兵を見た場所。
通ってよい道。
兵を休められる城。
それまで、別々の同盟の中にあった情報だった。
並べると、相手の動きが見え始めた。
放置城に見えていた複数の盟主。
似た時刻に始まった土地の取得。
先に砦を手に入れた小同盟へ向かう進路。
相手は、誰も見ていないところから動き出した。
今は、通った先で誰かが見ている。
その報告が、次の同盟へ届く。
騎馬の速さが消えたわけではない。
それでも、来ると分かれば、守り方を変えられる場所があった。
*
晴は広間の端で、蒼波からの報告を聞いていた。
呼び寄せた部隊の状態。
戻せる兵。
まだ留めておくべき兵。
以前のように、強い武将へ全部を任せてはいなかった。
分からないところは聞き、宗吾へ確認し、次の命令を出していた。
俺が近づくと、晴は顔を上げた。
「律さんのところ、まだ大丈夫ですか」
「守れてる」
晴は目を閉じ、短く息を吐いた。
それから、机に増えた書簡へ目を向ける。
「ほかは?」
「これから確かめる。一つずつ」
「はい」
晴は隣の椅子を引いた。
俺たちは、次の書簡を開いた。
*
あとになって、あの日の書簡は、晴の大号令と呼ばれるようになった。
大同盟だけでなく、小さな旗にも届いたこと。
自分たちへの加入を、救援の条件にしなかったこと。
必要なら、自分たちから戦うと言ったこと。
それらを、受け取った者たちが、それぞれの言葉で伝えた。
だが、その日の広間に、そんな名前はなかった。
返事が来た。
場所を確かめた。
近くの者へ、できることを聞いた。
晴は何度も礼を言い、何度も頭を下げた。
俺は、借りる道の持ち主を確かめ続けた。
守るために宣戦する。
だからといって、通る場所の相手を無視していいわけではない。
その手間を省かないまま、次の救援を送った。




