正義の代償
第九十三話 勝った側の名前
戦争が終わったという連絡には、多くの返事が来た。
兵を休ませてほしいという言葉。
近隣の通行が戻ることへの安堵。
被害が広がらずに済んでよかったという返事。
俺はそれを読みながら、少しずつ肩の力を抜いていた。
東雲の部隊も、こちらの部隊も戻り始めている。
土地の引き渡しには、まだ確認が要る。
それでも、次に届く報告が戦闘の記録ではないことに、救われていた。
だから、最初の批判を読んだ時、思っていたより強く反応してしまった。
『事情は伺っています。
ただ、宣戦した側が、最後に相手を配下へ置いたという結末には、懸念があります』
俺は書簡を読み直した。
事情は伺っています。
その一文が、妙に引っ掛かった。
知っているなら、と思った。
そこまで考えて、手が止まった。
*
差出人は、戦争中に中立を保った同盟だった。
こちらの記録も見ている。
東雲から共闘を求められ、それでも参戦しなかった。
俺たちは、その判断に礼を伝えていた。
その相手からの手紙だった。
『取得予定を覆されたこと、部隊へ攻撃を受けたことについては、東雲側に問題があったと考えています。
一方で、それを理由とした戦争の終結条件が配下化であったことは、別に受け止めています』
俺は椅子へ座り直した。
書かれていることは分かる。
分かるのに、読みながら胸の中に言葉が溜まった。
同じ約束では、また繰り返されると思った。
実際に、繰り返された。
こちらの兵は減り、予定は止まり、何度も返事を待った。
そこまでした相手へ、もう一度信じますと返すことはできなかった。
俺は返信を書きかけた。
その前に、葉が机の横へ来た。
「何て?」
書簡を渡す。
葉は最後まで読み、少し考えた。
「参戦しなかったことと、こっちの結末に賛成することは、別なんだね」
俺は筆を置いた。
*
噂になっている文は、もっと短かった。
晴の同盟が、東雲へ宣戦した。
強い武将を使って、進路を押さえた。
最後は配下にした。
その三つだけで、話が通じてしまう。
砦への了承が何度変わったか。
どの土地で、どちらの部隊が先に攻撃されたか。
こちらが何通の確認を送ったか。
そこまで説明するには、時間が掛かる。
聞く側にも、その時間を使う理由が要る。
遠くの同盟にとっては、知らない相手同士の戦争だった。
結末だけを知って、次の話へ移る。
それを、不誠実だと決めつけることはできなかった。
俺自身、遠い地域の争いを、いつも全部読んでいたわけではない。
*
杏から、近隣の会談について報告が来た。
「少し、話し方が変わった」
「どう変わった?」
「前は、そっちはどうしたいの、って聞かれてた。今日は、そちらの要求は何ですか、だった」
俺は顔を上げた。
「要求なんてしてないだろ」
「うん。普通に、砦の予定を聞きに行っただけ」
杏は机へ書簡を置いた。
「でも、向こうは、断った時のことを考えてるんだと思う」
俺は黙った。
こちらからすれば、予定を確かめに行っただけだ。
相手からすれば、戦争を始めて同盟を配下にした集団が、次の土地の話をしに来た。
同じ言葉が、前と同じ重さでは届かない。
「それで?」
「その場で決めなくていいって言ってきた。持ち帰ってもらってる」
「……ありがとう」
杏は頷いた。
「しばらく、そういう時間が要るんじゃないかな」
*
晴は、届いた批判を自分で読みたがった。
俺が要点だけ伝えようとすると、首を横に振った。
「私たち宛てなら、読みます」
数通を渡した。
中には、事実と違うことも書かれていた。
最初から東雲を奪うために、ガチャスポットを手放したのだという話。
わざと揉め事を作り、宣戦の口実にしたのだという話。
そういうものには、訂正できる材料がある。
だが、晴の手が止まったのは、別の書簡だった。
『巨嶽を持つ盟主が、相手の独立を認めないところまで進んだことを、残念に思います』
晴は、そこを長く見ていた。
「独立を認めなかったのは、本当ですね」
俺は答えた。
「ああ」
「戦争も、私が決めました」
「うん」
晴は書簡を机へ置いた。
怒った様子はなかった。
ただ、少し疲れた顔をしていた。
*
「皆を守りたかったんです」
晴が言った。
俺は頷いた。
「分かってる」
「でも、それを言ったら、向こうの人も同じことを言えますよね」
すぐには返事ができなかった。
東雲のやり方を、同じだと思っているわけではない。
こちらの了承を覆したことも、部隊へ攻撃したことも、なかったことにはできない。
それでも、東雲の中には、自分の仲間を守るために兵を出した者がいるだろう。
配下になると聞いて、初めて戦いの負けを実感した者もいる。
俺たちが配下化の必要を説明しても、その人たちの悔しさが消えるわけではなかった。
「理由を説明することはできる」
俺は言った。
「でも、説明したら好かれるとは限らない」
晴は小さく頷いた。
「そうですね」
*
幹部で話すと、意見は分かれた。
「言われたままにしておくのか」
昂生が言った。
今回の戦いで、何度も部隊を出した男だった。
「向こうが何をしたか、もう一度出せばいい」
「事実と違う部分は、出します」
俺が答える。
「ただ、配下にしたこと自体への批判は、記録を出しても消えないと思う」
「じゃあ、どうすればよかったんだ」
昂生の声が少し強くなった。
広間が静かになる。
俺は、その問いにすぐ答えられなかった。
もっとよい終わらせ方が、本当にあったのか。
今も、確かな答えは持っていない。
千景が口を開いた。
「批判されているから、決定が全部間違いだったという話ではないと思います」
昂生がそちらを見る。
「ただ、こちらが必要だと思って決めたことを、外の人にも同じように受け入れてもらうのは、難しいです」
昂生は何か言いかけ、やめた。
机に置いていた手を引いた。
*
宗吾は、兵の報告を見ていた。
「戦争を避け続ければ、それで評判が守れたかも分かりません」
静かな声だった。
「守れない同盟だと思われれば、それで困る人もいます」
「そうだな」
岳が答えた。
それから、地図へ目を向ける。
「でも、今は怖がられてる。それも、本当だろ」
誰も否定しなかった。
弱いと思われれば、押される。
強いと示せば、警戒される。
その間の、都合のいい場所へ、自分たちだけで立つことはできなかった。
*
瀬名からの書簡には、祝う言葉はなかった。
戦闘が終わったことへの安堵と、今後の連絡先の確認。
そのあとに、少し長い文章が続いていた。
『東雲側の対応に問題があったことは、こちらでも確認しています。
そのうえで、貴同盟が配下化まで行う判断を持つことも、今回、周囲へ伝わりました。
今後の交渉では、その両方を前提に相手が席へ着くと思います』
俺は続きを読む。
『以前と同じつもりで尋ねたことが、要求として受け取られるかもしれません。
断っても構わないと伝えるだけでは、相手が安心できない場合もあります』
杏が話していたことと、同じだった。
俺は少し息を吐いた。
手紙の最後には、こうあった。
『先の判断を取り消す必要がある、と申し上げているのではありません。
これから実際に、どのように接するかを見られる時間になったのだと思います』
俺はその一文を、晴と千景へ見せた。
*
同盟の評判が変わったことは、言葉以外にも表れた。
加入を相談していた者が、一度考え直したいと言ってきた。
千景は了承し、急いで返事を求めないと伝えた。
共同攻略の相談では、戦闘になった場合の指揮権を、以前より細かく尋ねられた。
土地を借りる話には、返す時期を明記してほしいと言われた。
前なら、付き合いの中で済ませていたことだった。
俺たちは一つずつ、書いた。
面倒になったとは思う。
けれど、相手が安心するために必要なら、その手間を惜しむわけにはいかなかった。
*
晴が釣りへ誘っていた相手からも、返事が来た。
今回は見送る。
しばらく、こちらの同盟内が落ち着かないので。
丁寧な文だった。
本当に忙しいのかもしれない。
戦争のことを気にしているのかもしれない。
俺には分からなかった。
晴は返事を読んで、短く了承を送った。
それから、釣り道具を片づけた。
「一人で行かないのか」
俺が聞くと、晴は少し笑った。
「今日は、いいです」
それ以上は、聞かなかった。
*
東雲から、通行の確認が来た。
砦へ向かうために、こちらの土地を通りたいという。
俺は地図を見た。
通して問題はない。
守備の予定とも重ならない。
了承を書こうとしたところで、晴が広間へ入ってきた。
内容を伝えると、晴は頷いた。
「通ってもらって大丈夫ですね」
「ああ」
俺は返信を書いた。
時刻と経路を確認する。
必要なら、戻る時も使える。
その文を送ると、しばらくして返事が来た。
『ありがとうございます。
今後も、このような確認は必要でしょうか』
俺は読み返した。
配下になったから、何もかも許可を取らなければならないと思っているのかもしれない。
千景を呼び、扱いを決め直した。
毎回、こちらへ伺いを立てる形にはしない。
通常の通行と、出兵に関わる通行を分ける。
決まったことは、東雲の側でも分かるように残す。
地味な話だった。
この一件で、外の評価が上がるとは思わない。
それでも、今、返事を待っている相手には必要だった。
*
夜、俺は戦争中の書簡を整理した。
参戦を見送るほうが、評判を傷つけずに済む。
そう伝えた控えが出てきた。
俺たちの事情を知らず、東雲の要請だけで兵を出すことには、危うさがあると思った。
その考えは、今も変わっていない。
ただ、参戦しなかった相手が、そのままこちらを評価してくれるような気になっていた。
そこは違った。
相手には、相手の判断があった。
東雲を助けない。
俺たちの配下化も、支持しない。
その二つは、同時に成り立つ。
俺は控えを畳み、ほかの書簡と一緒にしまった。
*
「後悔してる?」
カイが聞いた。
いつからいたのか、椅子の後ろへ立っていた。
俺は少し考えた。
「違う終わり方があったのかとは、思ってる」
「戻すの?」
「いや」
返事は、自分でも驚くほど早かった。
同じ約束を交わし、また兵を止められるところへ戻るつもりはない。
その判断には、責任を持つしかなかった。
「じゃあ、次の返事だな」
カイは机を指した。
東雲からの確認が、まだ一通残っていた。
俺は少し笑い、封を開いた。
*
俺たちは、勝った。
仲間の城を守り、砦への道を確保し、こちらの予定を何度も止めた同盟を配下に置いた。
その結果、助かったと言ってくれる者がいた。
怖いと思う者もいた。
事情を知っていて、それでも配下化まではやりすぎだと言う者がいた。
全部に同じ返事はできなかった。
事実を間違えられたら、訂正する。
判断を批判されたら、理由を伝える。
理由を伝えても納得されないことは、残る。
俺は書簡へ日付を書いた。
宛名の下に、晴の同盟の外交官と記す。
以前より重く受け取られる名前になった。
それを分かったうえで、明日も返事を書かなければならなかった。




