東雲
第九十一話 こちらから始める
最初の一度は、行き違いだと思った。
大城から離れた、小さな砦だった。
周囲の同盟へ予定を伝え、返事も受け取っていた。
守備を確かめ、部隊の到着を合わせる。
攻略の前日になって、東雲連合から書簡が届いた。
『その砦については、当方も取得を検討しています。出兵を保留してください』
俺は、以前の返事を開いた。
こちらの予定に異議はない。
そう書かれていた。
確認の書簡を返すと、担当者が全体へ共有していなかったという説明が来た。
出兵を止め、話し直した。
宗吾は組んだ時刻を消し、部隊へ変更を伝えた。
誰も、そこで戦おうとは言わなかった。
*
二度目は、道だった。
俺たちが砦へ向けて伸ばしていた先に、東雲連合の土地が入った。
先に取られたのだから、そこは仕方がない。
そう思って地図を見直したが、その一マスの先には、東雲が使う土地も砦もなかった。
こちらの進路だけを、横から切る形になっていた。
里央が戻ってきて言った。
「回れば届く。でも、枠が余計に要る」
「聞いてみる」
俺が答えると、里央は頷いた。
怒鳴りはしなかった。
その代わり、机へ置いた地図の端を、いつまでも離さなかった。
東雲からは、今後使う予定があると返事が来た。
何に使うかは、回答されなかった。
*
三度目は、兵を出したあとだった。
東雲の一部隊が、砦へ入る直前の足場を攻めた。
里央が異変に気づき、後続を止めた。
先に進んでいた部隊だけが、戻る道を失いかけた。
こちらから守備を出し、どうにか退かせた。
その夜、昂生は何も言わず、損失の報告を机へ置いた。
数字の横に、次の出兵は難しいと書いてあった。
東雲へ抗議すると、現地の判断だったという返事が来た。
『双方、近接した土地を利用していますので、今後は十分に確認した上で行動されたい』
俺は、その文を最後まで読んだ。
読み終えても、手が動かなかった。
*
大城を譲ってから、兵を休ませ、城を立て直してきた。
取り返しに行くつもりはなかった。
晴も、あの場所を指して何かを言うことはなかった。
別の砦を探し、できることを増やす。
そうやって進めていた。
けれど、どこかへ向かうたびに止められた。
確認すれば返事が変わる。
回り道をすれば、次の場所へ土地が入る。
譲れば、そこで話が終わると思っていた。
今は、次に何を譲るかを聞かれているようだった。
*
葉が、書簡を並べた。
最初の了承。
あとから来た保留の要請。
道の取得時刻。
こちらが送った出兵予定。
部隊を攻められた時刻。
怒った言葉は、一つも添えられていなかった。
だから、余計にはっきり見えた。
「一人が勝手にやってる可能性は?」
俺が聞くと、葉は別の記録を出した。
「最初と二度目は、違う人。三度目の部隊は、その両方から道を使わせてもらってる」
「全体の指示だとは、まだ言えないか」
「そこまでは。でも、同盟へ伝えたあとも、止まってない」
俺は頷いた。
意図を決めつけなくても、起きたことは残っている。
今の東雲連合が、こちらの行動を妨げている。
止めるよう求めても、変わっていない。
それは、もう曖昧にはできなかった。
*
晴は、昂生の報告を読んだ。
次に、砦へ出るはずだった部隊の一覧を見た。
「皆、予定を空けてくれてたんですよね」
「ああ」
「前の戦いで減った分、戻して」
「うん」
晴はしばらく黙った。
前に攻められた時のように、すぐ巨嶽を出そうとはしなかった。
「私が、もっと強く断ったほうがよかったですか」
俺は首を横に振った。
「断ってる。こちらの予定も、伝えてる」
「じゃあ、何を変えればいいんでしょう」
その問いに、俺はすぐには答えられなかった。
何か、まだ使っていない言葉があるのではないか。
相手が納得する条件を、見落としているのではないか。
そう考えて、何通も書いてきた。
机の上には、その全部がある。
*
「戦うことも、考えたほうがいい」
俺が言うと、晴が顔を上げた。
杏も、岳も、黙ってこちらを見た。
「攻めてきたら、ですか」
晴が尋ねる。
俺は首を横に振った。
「今度は、こっちから」
言ってから、自分の声が思ったより低かったことに気づいた。
以前の戦いには、始まりがあった。
攻められた。
仲間が襲われた。
取り返さなければならない城があった。
今回は、まだ晴の城に敵はいない。
いつ戦いを始めるかを、こちらで決めようとしていた。
「始めたら、戻せないですね」
晴が言った。
「ああ」
「前みたいに、二日で終わるとは限らない」
「限らない」
晴は、報告から顔を上げなかった。
俺は待った。
代わりに決めるつもりはなかった。
*
その夜、幹部と、動ける者たちで話した。
千景は、継続して出兵できる人数を確認した。
宗吾は、今ある兵と技能の使用予定を並べた。
昂生は負傷した兵を除いた数を出し、朱音と弥平は次の編成を見せた。
冬馬は、留守を守る城を確かめていた。
誰も、楽に勝てるとは言わなかった。
晴が、全員の話を聞いてから口を開いた。
「戦います」
広間が静かになった。
「大城を取り返すためではありません。次に砦へ行く時、また兵を戻さなくていいようにしたいです」
晴は机へ手を置いた。
「ただ、私一人では決め方を間違えると思います。どこを攻めて、どこで終わるか、一緒に決めてください」
岳が地図を引き寄せた。
「なら、まずここだ」
*
四人で同じ地図を囲んだのは、久しぶりだった。
俺。
葉。
杏。
岳。
最初の七人のうち、ここにいるのは四人だけだった。
玄なら、最初に相手の主力を聞いただろう。
朔なら、何回の出兵まで維持できるか計算したかもしれない。
律なら、戦ったあとに話す相手を先に確かめたはずだった。
その三人は、いない。
俺は空いている机の向こうを見かけて、地図へ目を戻した。
今ここにいる人間で、やる。
「相手の部隊が通ってる道を、全部重ねて」
葉へ言う。
「城から出た時刻も?」
「分かる分だけ」
葉が頷いた。
「杏は、周りへ確認を頼めるか」
「どこまで話す?」
「戦争を始めること。巻き込むつもりはないこと。東雲へ道を貸しているなら、その範囲」
「分かった」
岳はすでに、三つの土地を指していた。
「止めるなら、このどれかだ。城を取りに行くより先に、ここを使わせない」
俺は一つずつ見た。
懐かしいという感覚は、すぐに消えた。
今、必要なことが、次々に机へ出てきた。
*
四人だけで戦うわけではなかった。
葉がまとめた行軍の記録を、里央が読み直した。
「この時間なら、こっちの道じゃない。丘の南を通ってる」
地図へ新しい線が入る。
岳が、その線の先を確かめる。
冬馬が、留守にできない城を示した。
宗吾は攻撃と速度の補正を、どの部隊へ合わせるか考えていた。
補正があるから、予定を縮められる。
だが、誰か一人が違う数字で動けば、ばらける。
出発前に、全員が同じ条件を確かめることにした。
千景は途中で戻る必要のある者を拾い、交代を組んだ。
俺は、それを見ながら作戦の順番を書き直した。
七人だったころには、できなかった組み方だった。
あの時に覚えたことを、今いる仲間の力で使う。
それなら、四人でも始められた。
*
狙いは、三つに分けた。
東雲がこちらへ部隊を送るための、中継地。
それを守る兵の集まる場所。
そして、砦への進路を塞いでいた土地。
全部を同時に取り切る必要はない。
相手がどこを守るかで、こちらが動く場所を変える。
晴は、作戦図を見て尋ねた。
「巨嶽は、最初から出すんですか」
「出す。ただ、最初に城へ突っ込ませるわけじゃない」
俺は一番目立つ進路を指した。
「ここへ向かえば、向こうは無視できない」
「守りを集める」
「ああ。その間に、別の部隊がこっちへ届く」
晴は地図をたどった。
「私が先に勝つんじゃなくて、皆が動けるようにするんですね」
「そう」
晴は、ゆっくり頷いた。
「分かりました」
*
宣戦の書簡は、俺が下書きした。
これまでの妨害と交戦の記録。
是正を求めたが、解消しなかったこと。
東雲連合の、こちらの活動範囲へ向けた軍事行動を止めるために戦うこと。
戦闘を開始する時刻。
関係のない同盟への要求は含めなかった。
最後に、晴が読んだ。
一度だけ、文を戻して確かめる。
それから、自分の名を記した。
送ったあとも、晴はしばらく席を立たなかった。
「出しましたね」
「ああ」
俺も、手が少し冷えていた。
*
返事には、交渉を続けていたつもりだったと書かれていた。
こちらの決定は遺憾だとも。
俺は返信せず、宗吾へ開始時刻に変更がないことを伝えた。
相手の土地へ、まだ兵は入れない。
約束した時刻まで待つ。
その間に、最後の確認をした。
昂生。
朱音。
弥平。
里央。
冬馬。
沈烈。
カイとレン。
巨嶽。
出る順番と、戻る道を確かめる。
葉の紙には、空欄が少しずつなくなっていった。
*
始まると、広間から声が減った。
晴が巨嶽を出す。
宗吾が補正を発動し、対象となる部隊へ確認が回る。
同じ条件で見た到着時刻が、揃っていく。
葉が報告を読み上げた。
「主力、出発」
少し間を置いて、次。
「北の部隊も出た」
俺は相手の動きを待った。
巨嶽の進路へ、守備が集まり始めた。
予想どおりだった。
だからといって、安心はできない。
相手も別の道を見ている。
里央へ、先へ出す部隊を一度止めてもらった。
待たせた時間は、短かった。
それでも、画面の前では長く感じた。
*
葉が、顔を上げた。
「ここから兵が出た」
指したのは、狙っていた中継地の後ろにある城だった。
巨嶽へ向けて、守備を増やしたらしい。
俺は岳を見る。
岳が頷いた。
「今なら、後ろが薄い」
里央へ連絡する。
里央の部隊が動いた。
そのあとから、朱音の部隊。
別の道を、弥平の部隊が進む。
正面だけを見れば、巨嶽を使って押し切ろうとしているように見える。
だが、俺たちが先に切りたかったのは、守備へ兵を送り続ける道だった。
*
最初の土地を取った。
里央から、短い報告が来る。
『確保』
俺は次の部隊を進めた。
止まれば、取り返される。
急ぎすぎれば、後ろが空く。
岳が帰還中の部隊を確認し、冬馬へ守備の位置を変えてもらう。
千景から、交代予定の者が準備を終えたと連絡が来た。
俺はそれを葉へ渡した。
葉は書き足しながら、次の報告を読んでいた。
誰か一人が、全部を処理しているわけではない。
次に必要なものが、机へ届く。
俺は判断し、また別の誰かへ渡した。
*
東雲が反応した。
巨嶽へ寄せていた一部の兵が、後方へ戻り始めた。
同時に、別の部隊がこちらの道を狙った。
「そこは来る」
岳が言った。
冬馬と沈烈が、残していた兵を動かす。
攻める部隊を止めずに、後ろを守る。
俺は沈烈からの返事を待った。
短く、任せろと届いた。
その直後、里央から別の報告が入る。
『最高位が一隊。取り返しに来る』
俺は相手の情報を開いた。
前の戦いでも見た武将だった。
*
カイとレンは、すでに準備を終えていた。
俺が進路を示すと、二人は同じ場所を見た。
「ここで待つ」
俺は言った。
「相手が通らなければ、追わなくていい」
「分かった」
カイが答える。
レンは戻る道を確かめた。
「前より、帰りやすいな」
「そのために取った」
「じゃあ、使わせてもらう」
二人を出す。
同じ土地へ向かい、レンが副将としてカイを支える。
相手の最高位武将が、その場所へ来た。
俺は報告を待ちながら、巨嶽の位置を確認した。
晴から連絡が届く。
『こちらは、まだ待ちますか』
『あと少し』
そう返してから、時計を見た。
待たせているのは、強い武将だけではない。
その後ろの兵も、同じ時刻を待っていた。
*
カイたちが、相手の部隊を押し返した。
損失はある。
だが、道は残った。
相手の主力一隊が、すぐには使えなくなった。
俺は晴へ送った。
『進める』
巨嶽が動いた。
昂生の部隊が続く。
後方へ兵を返し、守備の厚みが変わった場所へ、こちらの主力が入る。
宗吾から、補正の確認が来る。
朱音の部隊が、予定の時刻に届く。
葉が机の上の印を、一つずつ動かした。
俺は、その手を見ないようにした。
結果が出るまでは、地図を見る。
まだ動ける部隊を、残しておく。
*
中継地の守備が崩れた。
東雲の部隊が退いた。
俺は追撃の指示を出さなかった。
先に、道を確保する。
後続の部隊を通し、こちらの守備を入れる。
岳が確認する。
「これで、こっちへ出すなら回る必要がある」
俺は頷いた。
杏から、近隣の同盟の返事が届いた。
東雲の部隊へ、新しく道を貸す予定はない。
今ある通行の約束も、攻撃への利用までは含まれていないという。
それは、戦闘が始まる前に、杏が確かめていたことだった。
地図の線が、そこで止まる。
兵だけで塞いだわけではなかった。
*
東雲から、新しい書簡が来た。
『攻撃範囲について、確認を求めます』
俺は差出人を見た。
何度も、こちらの確認を待たせていた相手だった。
一瞬だけ、待たせたいと思った。
その気持ちに気づいて、紙を机へ置いた。
葉が俺を見る。
「返す?」
「ああ」
俺は晴へ内容を見せた。
こちらの目的は、宣戦の時に伝えている。
砦への進路を妨げる土地の扱い。
事前了承を反故にした出兵。
今後の取得予定と、互いの部隊の通行。
それらについて、決め直す必要がある。
話すなら、代表者を立ててほしい。
そう返した。
戦闘はまだ終わらない。
だが、相手が確認する側へ回ったことは、分かった。
*
日が落ちる前に、予定していた土地を押さえた。
すべてが計画どおりではなかった。
一つの道は、相手の守備が厚くて諦めた。
戻した部隊もある。
損失も出た。
それでも、こちらの砦攻略を止めていた足場は、使えなくなった。
巨嶽を先頭へ出し、そこだけで勝とうとはしなかった。
道を調べた。
兵を動かした。
後ろを切った。
最高位の部隊には、カイとレンを当てた。
守るべき場所には、冬馬と沈烈を残した。
近隣との話は、戦いが始まる前に済ませた。
以前の戦争で、失敗し、待ち、覚えてきたことだった。
今日は、それを自分たちで始めた戦いに使った。
*
俺が椅子へ座ると、葉も筆を置いた。
杏はまだ、戻る部隊が通る道について連絡していた。
岳は地図を見たまま、冷めた茶を飲んだ。
四人だった。
玄も、朔も、律もいない。
少し寂しいと思う余裕ができたのは、その時が初めてだった。
すぐに、宗吾が新しい報告を持ってきた。
千景が帰還予定を確かめる。
昂生から、次に出せる兵の数が届く。
俺は受け取った紙を広げた。
机の周りには、四人よりずっと多くの人がいた。
*
晴が広間へ戻ってきた。
最初に聞いたのは、取れた土地の数ではなかった。
「戻れない部隊は?」
岳が答える。
「今のところ、いない。帰還中が三つ」
晴は息を吐いた。
それから、地図を見る。
朝とは、道の色が変わっていた。
「こんなふうに、動かせるんですね」
俺は首を横に振った。
「今日、皆が合わせてくれたからだよ」
「はい」
晴は、一人ずつ顔を見た。
「明日も、お願いします」
誰も大きな声では返さなかった。
頷いて、次の報告へ目を戻した。
*
夜、東雲から会談の申し入れが届いた。
俺は時刻を確かめ、晴へ伝えた。
前の戦いでは、土地を渡すために地図を広げた。
今度は、こちらが確保した道を残して、相手の返事を待つ。
その違いは大きかった。
けれど、机の横には、減った兵の報告も置いてある。
俺はそれを片づけずに、会談用の紙を出した。
こちらから始めた。
終わらせるところまで、考えなければならなかった。




