きりとり
第九十話 二日分の札
返事を書き終える前に、次の書簡が届いた。
差出人は、通路の回答を求めていた同盟だった。
冒頭に、宣戦を告げる文があった。
俺は椅子へ座ったまま、その先を読んだ。
交渉を続けても、利用の見通しが立たなかったこと。
回復のたびに、隣接している同盟だけが恩恵を受けていること。
大城へ至る道を、自分たちの力で確保すること。
最後に、出兵を始める時刻が書かれていた。
俺たちが返そうとしていた相談の文には、まだ相手の名と、最初の挨拶しかなかった。
*
「晴を呼んでくれ」
俺は周へ言った。
続けて、宗吾と千景へ連絡する。
岳には、東側の道を確認してもらう。
連絡を送る手は動いた。
頭の中では、まだ交渉が続いていた。
通れる場所を探す。
周囲の同盟へ話を通す。
利用できる時間を決める。
そのどれかを、もう少し早く形にしていれば。
そこまで考えたところで、岳から報告が来た。
『部隊が動いてる』
俺は書きかけの返事を閉じた。
*
相手の同盟名は、東雲連合だった。
大城へ届かなかった近隣の集団が、いくつかまとまっていた。
一人の不満ではない。
人数がいて、兵がいて、こちらへ続く道もある。
取得予定の確認で開いていた地図を、今度は守るために見た。
自分たちの土地の形が、急に違って見えた。
長く伸ばした道。
曲がり角。
同盟員の城。
その後ろに、晴の城があった。
砦へ兵を送るには、都合のいい配置だった。
攻められる側になると、途中にある味方の城をいくつか押さえられれば、晴のところまで迫られる。
俺は拡大した地図から、目を離せなくなった。
*
晴は、急いで来たらしかった。
広間へ入るなり、書簡を読む。
最後まで読んでから、俺を見た。
「攻めてくるんですね」
「ああ」
「どこで止めますか」
俺は地図を示した。
「まず、ここの道。ただ、全部を守ろうとすると兵が足りない」
「巨嶽を出します」
返事は早かった。
晴はすぐに部隊を開いた。
俺は、その手を止めた。
「どこへ?」
「先頭を」
「向こうが、そこだけ来るとは限らない」
晴が顔を上げた。
「巨嶽が出たあと、別の道から来たら?」
「戻します」
「間に合うか、先に見ないといけない」
晴の指が止まった。
攻める時は、相手がいた。
城や砦の位置は動かない。
そこへ巨嶽を向かわせ、後続を合わせる。
晴は、そのやり方で勝ってきた。
守る時は、違った。
相手がどこへ来るか分からない。
巨嶽が強いと知っていれば、そこを避けることもできる。
晴は地図を見たまま、小さく頷いた。
「……そうですね」
*
宗吾が入ってきた。
防御に使える補正と、発動の予定を確認する。
千景は、動ける者と動けない者を分けていた。
冬馬から、守備に出せる部隊の報告が来る。
沈烈にも、兵を見てもらった。
俺たちは一つずつ、晴の前へ出した。
ここへ兵を置く。
この道は、いったん下がる。
戻る部隊が通るまでは、ここを残す。
晴は聞きながら頷いたが、ある場所を指された時、口を開いた。
「そこ、里央さんがつないでくれた道です」
「分かってる」
「空けるんですか」
「守り切れない。兵を残すと、帰れなくなるかもしれない」
晴は、しばらくその土地を見ていた。
俺も、できれば譲りたくなかった。
ただ、作った苦労を理由に兵を置き続ければ、土地と一緒に兵も失う。
その話を、晴は初めて自分の同盟のことで聞いていた。
*
最初の土地が落ちた。
守備を残さなかった場所だった。
報告上は、予定どおりだった。
けれど晴は、色が変わる瞬間を見て、息を止めた。
続いて、その先へ部隊が向かっているという知らせが来る。
別の道にも、敵の印が出た。
里央が行軍を見て、短く報告する。
『こっちは速い。先に着く』
岳が、晴の城へ戻る道を指した。
「ここを抜かれると、次が近い」
俺は相手の部隊と、こちらの配置を見た。
巨嶽がいる。
沈烈もいる。
育ってきた武将たちもいる。
それでも、出す場所を間違えれば、晴の城は落ちるかもしれなかった。
強い武将がいることと、守れることは、同じではなかった。
*
晴は、急に自分の登用札を開いた。
続いて、保有しているポイントを見る。
「まだ、あります」
誰へ言ったのか、最初は分からなかった。
晴は顔を上げた。
「同盟全体へ、連絡してもいいですか」
千景が頷いた。
「はい」
晴は少しだけ考えてから、文を書き始めた。
普段より、何度も書き直していた。
やがて、同盟全体へ指示が届いた。
『今持っている登用札と、武将に使えるポイントを、使い切ってください。
次の回復や、もっといい機会のために残していた分も、今、兵を守る力に変えたいです。
私も全部使います。
誰を重ねるか、何を入手するか迷う場合は、先に相談してください』
俺は晴を見た。
晴は、まだ送った文を見つめていた。
「先のこと、考えて残してた人もいますよね」
「ああ」
「でも、今、落ちたら」
そこで言葉が途切れた。
晴は一度息を吸い、続けた。
「今いる人を守りたいです」
*
同盟の中が、動き始めた。
札を使う。
来た武将を確認する。
すぐに役立つ者は、部隊へ入れる。
同じ武将がいれば、重ねて技能を伸ばす。
ポイントは、今の部隊に必要な武将や、重ねるための同名武将へ回す。
新しい武将なら何でもよいわけではない。
迎えたばかりの者に、すぐ兵を任せられるとは限らない。
弥平が、自分の記録を同盟へ出した。
『一度に全部変えないでください。今使っている主力を伸ばせるなら、そのほうが早いです』
朱音は、手に入った武将を報告し、宗吾へ編成を確認した。
昂生は主力の技能を伸ばし、守る場所を聞いた。
冬馬からは、追加の守備を出せるという連絡が来た。
皆が、残していたものを開いていた。
*
俺も札を使った。
昨日までなら、一枚ごとに期待したと思う。
今日は、結果を見てすぐに次へ進んだ。
同じ武将が来た。
重ねられる。
守りに使える技能を持つ者が来た。
兵を付けられるか確認する。
ポイントを使う時には、指が少し止まった。
欲しい武将のために残していた分だった。
取引所で値を見て、もう少し待とうと閉じたことが何度もある。
俺はその候補をいったん外し、今いる主力と同じ名を探した。
使い終えると、保有していた数字はほとんど残っていなかった。
代わりに、出せる部隊の形が変わった。
それを沈烈へ見せた。
沈烈は順に確かめ、頷いた。
「この部隊は、残せる」
その一言に、ようやく息がつけた。
*
何でも出たわけではない。
高位の排出には、限りがあった。
期待していた武将が来なかった者もいる。
重ねても、急には変わらない者もいた。
だが、同盟全体で使えば、小さな変化がいくつも重なった。
守備が少し厚くなる。
戻す予定だった部隊を、もう一度だけ使える。
別の城へ向かわせる兵が、わずかに浮く。
宗吾は、更新された部隊の報告を受け、補正を使う時刻を決め直した。
俺はその横で、敵の進路を確認していた。
晴の指示は、勝利を呼ぶ札ではなかった。
ただ、間に合わないはずだった場所に、兵が間に合い始めた。
*
一日目の夜、カイとレンを出した。
東側から来る部隊に、最高位の武将がいた。
相手は、こちらが主力を別の道へ回したと見たのだろう。
速かった。
このまま進まれれば、晴の城へ近い。
俺は二人の編成を開いた。
レンが、カイの副将として入っている。
同じ土地を前にした時の補正が、表示に加わった。
数字を見て、俺は一瞬だけ目を止めた。
前にカイ一人で見たものとは、違っていた。
「行けるか」
「行く」
カイが答えた。
レンは隣で、相手の進路を見ていた。
「戻る道、残しといて」
「もちろん」
俺は答え、出兵を決めた。
*
その場所の報告が届くまで、ほかの連絡を読んでいても内容が頭へ入らなかった。
やがて、敵の進軍が止まった。
相手は引いた。
こちらにも損失はあった。
圧倒して終わったわけではない。
それでも、晴の城へ続く道は、まだつながっていた。
俺は返ってきた記録を見た。
カイの格上への強さに、レンが重なっている。
知っていたはずの力が、別のものになっていた。
だが、二人を置けば全部を止められるわけではない。
次に来た部隊は、違う編成だった。
俺は二人を戻し、その場所を沈烈と冬馬の守備へ引き継いだ。
夜は、まだ長かった。
*
晴は、眠らなかった。
巨嶽を出すたびに、次の行き先を聞いた。
自分で決めていいことまで、確かめるようになっていた。
俺は一度、晴を地図から離した。
「少し座ってくれ」
「でも」
「今すぐ動く部隊は決まってる」
晴は椅子へ座った。
両手を膝へ置いたが、指先が落ち着かなかった。
「攻める時は、どうすればいいか分かったんです」
ぽつりと言った。
「巨嶽をどこへ出すか。誰と行くか。戻ったら、次にどこへ行くか」
俺は隣へ座った。
「今は、ここへ出したら、あっちが空くと思って」
「ああ」
「出さなかったら、その人のところへ来るかもしれない」
「うん」
「全部、遅かったらどうしようって」
晴は目を伏せた。
俺は、大丈夫だとは言えなかった。
落ちる可能性は、まだあった。
「一人で全部見なくていい」
それだけ言った。
「今、宗吾も千景も見てる。岳も、里央も。俺もいる」
晴はしばらく黙り、それから小さく頷いた。
*
二日目の朝も、城は残っていた。
いくつかの土地は失った。
兵も減った。
だが、東雲連合は大城へ続く道を抜き切れていない。
相手にも損失が出ていた。
こちらが簡単には崩れないと分かったのか、攻撃の間隔が少し変わった。
まとまって来る。
様子を見る。
別の場所へ向ける。
そのたびに、こちらも兵を動かした。
登用札は、もう残っていなかった。
ポイントも使った。
ここから先は、新しい何かが都合よく来るのを待てない。
今ある兵で守りながら、終わらせる話をしなければならなかった。
*
俺は東雲連合へ書簡を送った。
『攻撃の停止と、大城周辺の扱いについて協議したい』
返事は、すぐには来なかった。
その間にも、一つの土地で戦闘があった。
戻る兵の報告を待ち、晴へ伝える。
昼を過ぎて、ようやく返信が届いた。
『大城への道と隣接地を確保できる条件であれば、協議に応じます』
俺はその文を、晴へ見せた。
晴は長く読んでいた。
難しい文章ではない。
読む時間が必要だったのだと思う。
*
「譲りましょう」
晴が言った。
俺は、すぐには返事をしなかった。
千景が、地図を広げ直す。
「大城への隣接地と、そこへ至る道ですね」
「はい」
晴は頷いた。
「皆に使ってもらおうと思った場所です。それを持っているために、皆の兵が減ってる」
声は静かだった。
投げ出そうとしているのではないかと、俺は顔を見た。
晴は、地図から目を逸らしていなかった。
「城も、武将も、仲間も残っています。ここから続けたいです」
俺は息を吐いた。
勝って取り返す話は、できたかもしれない。
玄や巌へ、援軍を頼むことも考えた。
ただ、そのためにどれだけ待ち、誰の兵を使い、どこまで戦いを広げるのか。
今の晴の答えを、弱いと片づける気にはなれなかった。
「分かった。条件を詰めよう」
*
譲ると決めても、すぐに終わりではなかった。
先に土地を空ければ、その道から城へ進まれるかもしれない。
先に兵を下げれば、退く途中を追われるかもしれない。
相手も、こちらが停戦を使って兵を集め直すことを警戒していた。
俺は地図へ、引き渡す範囲を書き込んだ。
大城への隣接地。
そこへ至る、こちらの取得地。
同盟員の城へ続く道は、含めない。
戦闘で取られた土地のうち、引き渡し範囲の外にあるものは返還する。
双方の攻撃を止める時刻。
守備を戻す順番。
土地を移す手順。
追撃をしないこと。
大城そのものを攻略する権利については、ほかの隣接同盟との協議を引き継いでもらう。
俺たちだけで約束できないことは、書かなかった。
*
東雲連合の返事には、いくつか修正があった。
こちらも、受けられるものと受けられないものを分けた。
城へ近すぎる土地は、渡せない。
通路を確保するために必要な場所なら、別の取り方を示す。
同じところを何度も話した。
その間、戦闘は止まり、部隊だけが向かい合っていた。
俺は何度も、相手の兵が動いていないか確かめた。
二日目の夕方、条件が揃った。
晴と東雲連合の代表が、了承を返した。
周囲の隣接同盟にも、交代する範囲を知らせた。
その返事が揃ってから、宗吾が守備を戻し始めた。
*
土地の色が、一つずつ変わっていった。
里央が伸ばした道。
何人かで分担して取った足場。
大城へ、最後に接した一マス。
俺は取得記録と照らし合わせ、引き渡しが済んだ場所へ印をつけた。
間違いなく終えるために、見ていなければならなかった。
見ているのは、つらかった。
晴も、隣にいた。
一度も、席を外さなかった。
最後の土地が移り、東雲連合から確認が届く。
『引き渡しを確認しました。合意に従い、戦闘を終了します』
俺はその文を保存した。
同盟全体へ、終戦を伝えた。
*
歓声は上がらなかった。
帰還の報告が、一つずつ届いた。
兵が戻った。
武将が戻った。
足りない物がある。
負傷した兵を休ませる。
城門を開け、戻ってくる部隊を迎える。
晴は全体への連絡を書いた。
『二日間、ありがとうございました。
登用札とポイントを使ってほしいと頼んだのは、私です。残していたものを使ってくれたことも、兵を出してくれたことも、忘れません。
大城の場所は譲りました。
まずは、戻った兵と、それぞれの城を休ませてください』
晴は送る前に、一度俺を見た。
俺は頷いた。
代わりに書くことは、しなかった。
*
夜になって、カイとレンが戻った。
レンは広間へ入るなり、空いている椅子へ座った。
カイも、その隣へ腰を下ろす。
「終わった?」
「ああ」
「じゃあ、飯」
カイの声を聞いた途端、俺は急に腹が減っていることに気づいた。
周へ食事を頼む。
沈烈は兵の帰還を確かめてから来た。
晴にも声を掛けた。
少しして、千景と宗吾も加わった。
誰も、勝ったとは言わなかった。
負けなかった、と言い切る者もいなかった。
器が配られ、温かい汁が置かれる。
晴は両手で器を持ち、しばらく湯気を見ていた。
「明日は」
言いかけて、止まった。
千景が顔を上げる。
「明日の話は、食べてからにしましょう」
晴は小さく頷いた。
*
食事のあと、俺は最後に地図を開いた。
大城は、まだ落ちていなかった。
そのそばに、東雲連合の色がある。
俺たちの道だった場所を、新しい持ち主が使う。
三日後、その場所で誰かが札を引くのだろう。
俺は地図を閉じた。
引き出しを開く。
札の包みは空だった。
だが、隣の部屋には沈烈がいて、廊下ではカイとレンが何か言い合っている。
同盟の名簿を開けば、晴の名前が一番上に残っていた。
俺は空の包みを畳んでしまった。
それから、戻ってきた部隊の報告を、最初からもう一度確かめた。




