もう1人の低位武将
第八十七話 もう一人の低位武将
会談の前に、一度、自分の目で見ておきたかった。
大城の位置も、周囲の道も、地図には載っている。
どの同盟がどこへ隣接しているのかも、確認した。
それでも、机の前で見ているだけでは分からないことがある。
城壁の高さ。
道の幅。
兵を置く場所から、城門までの見通し。
俺は必要な連絡を済ませ、カイを連れて城を出た。
「今日は見るだけな」
「分かってる」
「勝手に近づくなよ」
「お前もね」
何も言い返せなかった。
*
同盟の道をたどる途中、何度か荷車とすれ違った。
兵を戻しているところもあれば、食糧を運び込んでいるところもある。
戦闘は始まっていない。
だが、いつでも始められるように、人と物が動いていた。
途中の曲がり角で、里央と会った。
こちらへ戻ってくる部隊を確かめに来ていたらしい。
「この先、少し道が細くなる」
里央は大城の方向を指した。
「部隊が重なると詰まるから、会談で言っておいて」
「分かった」
「晴は?」
「城にいる。今日は俺たちだけ」
里央はカイを見て、片手を上げた。
カイも、同じように返した。
「何か見つけたら教えて」
「ああ」
そう答え、俺たちは先へ進んだ。
*
大城は、林を抜けたところで急に見えた。
遠くからでも見えると思っていた。
実際には、手前の地形に隠されていたらしい。
視界が開いた途端、灰色の壁が横へ広がった。
俺は足を止めた。
高い。
それ以上に、長かった。
城門の左右へ伸びる壁を目で追う。見張りの立つ場所が、一定の間隔で並んでいる。
あそこへ部隊を送る。
地図で考えた時より、ずっと重い話だった。
「……でかいな」
カイの返事がなかった。
振り返ると、少し後ろで立ち止まっていた。
俺ではなく、城のほうを見ている。
「カイ?」
「うん」
「どうした」
カイは、すぐには答えなかった。
風が通り、道の脇の草が揺れた。
その音を聞いているのかと思ったが、違った。
カイは自分の胸元を一度押さえ、眉を寄せた。
「変な感じがする」
*
俺は城壁へ視線を戻した。
目に見える変化はない。
兵が出てくる気配も、こちらを狙っている様子もなかった。
「敵か?」
「分からない」
「強い武将がいるとか」
「それとも、ちょっと違う」
カイは言いながら、自分でも説明の仕方を探しているようだった。
珍しい。
普段なら、分からないものは分からないと言って、すぐに別のものを見る。
今日は、同じ場所から目を離さなかった。
「嫌な感じ?」
俺が聞くと、カイは首を横に振った。
「嫌じゃない」
「じゃあ、何だろうな」
「誰かに、後ろから呼ばれたみたいな」
俺は思わず背後を見た。
道があるだけだった。
少し離れたところを、別の同盟の兵が通っていく。
こちらへ声を掛けた者はいない。
「後ろじゃなくて、城のほうから?」
「方向も、よく分からない」
カイは今度、片方の手を開いたり閉じたりした。
「前にも、こんなのあった気がする」
「いつ?」
「それが出てこない」
俺は何か聞こうとして、やめた。
思い出せないと言っている相手へ、同じことを重ねても仕方がなかった。
*
城の周囲を、許された範囲で確かめた。
里央の言った狭い道。
部隊が待機できそうな場所。
隣の同盟が使っている接近路。
書き留めるものは、いくつもあった。
カイは付いてきたが、時々、何かを確かめるように足を緩めた。
俺も、そのたびに待った。
「もう少し見ていたいか」
帰る前に尋ねると、カイはしばらく城を見てから答えた。
「いや。今日はいい」
「そうか」
「来たら、分かるかもしれない」
「何が?」
カイはこちらを見た。
そして、少し困ったように笑った。
「……今、何でそう言ったんだろ」
俺は答えられなかった。
*
城へ戻ってから、晴たちへ下見の報告をした。
道が狭いこと。
複数の部隊を同時に通すなら、順番を決めたほうがいいこと。
大城の手前で待つ場所にも、限りがあること。
カイの話は、最後に短く伝えた。
何を感じたのか分からない。
危険の知らせなのかどうかも、分からない。
それ以上のことは言えなかった。
晴は、カイの顔を見た。
「具合は悪くないですか?」
「それは平気」
「なら、よかったです」
無理に説明を求められなかったことに、カイは少し安心したようだった。
俺も、その話はいったん置いた。
会談に持っていく資料をまとめ、机の端へ寄せる。
その下から、登用札の入った包みが出てきた。
*
統合前の報酬で手に入れ、使わずに残していた札だった。
新しい世界へ来てからは、道と砦と書簡の話ばかりしていた。
武将を育てる仕組みが増えたというのに、新しく迎えるほうは後回しになっていた。
「引かないの?」
カイが聞いた。
「引くか」
俺は包みを開いた。
少しでも主力を増やしたい。
重ねて育てられる武将が来てもいい。
そう考えながら、最初の札を使った。
光が広がった。
見慣れた登用の表示が、途中で色を変えた。
俺は手を止めた。
「……え」
*
現れた文字を、すぐには読めなかった。
読めているのに、意味が追いつかなかった。
UR。
その下に、武将の名がある。
沈烈。
俺は一度、瞬きをした。
表示は変わらなかった。
「カイ」
「見えてる」
「これ」
「出たね」
声が普通すぎて、逆に落ち着かなかった。
俺は立ち上がりかけ、椅子を引っ掛けた。
床を擦る大きな音がした。
光の中から現れた男が、こちらを見た。
背が高い。
鎧は派手ではなかったが、立っているだけで、周囲の空気が変わったように感じた。
男は俺と椅子を見比べ、口を開いた。
「座ったままで構わない」
「いや、そういうわけには」
「では、椅子を戻したほうがいい。足元にあると危ない」
俺は慌てて椅子を立てた。
カイが横で笑っていた。
*
「沈烈だ。これから世話になる」
落ち着いた声だった。
俺は名乗り、ようやく武将の詳細を開いた。
数字を見る。
もう一度見る。
今の主力と比べる。
比較の途中で、変な笑いが出そうになった。
強い。
育てれば、ではない。
迎えたばかりの今でも、任せられる仕事がいくつも思い浮かんだ。
晴の巨嶽を初めて見た時、自分とは遠い話だと思った。
それが、目の前にいる。
「何を任せたい」
沈烈が尋ねた。
俺は反射的に、大城の地図を見た。
沈烈も、そちらへ目を向ける。
「城攻めか」
「まだ決まってない。ほかの同盟とも話してからだ」
「そうか」
沈烈は地図へ近づき、城へ続く道を見た。
「では、決まるまでに兵を見せてもらいたい。何人いるかだけではなく、どのように動かしているかを」
「ああ。頼む」
俺は答え、それから少し笑った。
頼む。
その一言を言える相手が増えたことが、嬉しかった。
*
これで終わりにしてもよかった。
十分すぎる結果だった。
だが、包みの中には、まだ札が残っていた。
俺はもう一枚を取り出した。
「続ける?」
カイが聞いた。
「今なら、何が来ても喜べる気がする」
「何か来るね」
俺はカイを見た。
来るといいね、ではなかった。
本人も気づいたらしく、少し首を傾げる。
大城の前で見たのと、同じ顔だった。
「カイ?」
答えを待つ前に、札が光り始めた。
*
今度は、特別に強い光ではなかった。
表示されたのは、R。
俺は少し肩の力を抜いた。
さすがに二度続けてはないかと思った。
そして、その名が現れた。
レン。
光の向こうで、人影が動いた。
「……ああ、やっとか」
最初に聞こえたのは、その声だった。
男が一人、床へ降り立つ。
軽い身なりだった。
沈烈のように、ひと目で強いと分かる威圧感はない。
レンは周囲を見回し、俺を見て、沈烈を見た。
沈烈のところで一瞬だけ目を止めたが、すぐに別の方向へ顔を向けた。
カイがいた。
レンは笑った。
「いた」
*
カイは、何も言わなかった。
あまりにも黙っているので、俺はそちらを振り返った。
驚いていた。
口を少し開けたまま、レンを見ている。
レンは遠慮なく近づいた。
「何だよ。その顔」
「……レン?」
「ほかに誰がいるんだよ」
レンが片手を上げた。
カイの手も、途中まで上がった。
そこで一度止まり、それから、確かめるように相手の手へ触れた。
軽い音がした。
見慣れた挨拶のようだった。
何度も繰り返した動きが、考えるより先に出たように見えた。
「遅かったな」
カイが言った。
レンは笑みを少し緩めた。
「待たせた?」
「知らない」
「何だそれ」
「でも、遅かった」
レンは今度、笑わなかった。
「そうか」
短く答え、カイの肩を一度叩いた。
*
「ちょっと待って」
俺はようやく口を挟んだ。
二人が同時にこちらを見る。
その振り向き方まで、妙に似ていた。
「知り合い?」
「うん」
カイが答えた。
レンも頷いた。
「相棒」
「いつから?」
二人の顔から、少しだけ笑いが消えた。
カイが眉を寄せる。
レンも、何か言おうとして口を閉じた。
やがて、レンが言った。
「知ってるんだけどな」
「何を?」
「こいつのこと。どう動くかも、何を嫌がるかも。こっちを見る時の顔まで分かる」
レンはカイを見た。
「でも、どこで一緒だったかって聞かれると、うまく出てこない」
カイが、ゆっくり頷いた。
「俺も」
俺は大城の前で聞いた話を思い出した。
誰かに呼ばれたような感覚。
来たら分かるかもしれないという、本人にも理由の分からない言葉。
「今日、変な感じがしたって言ってたよな」
カイは頷いた。
「今は?」
カイは胸元へ手を当てた。
それから、レンを見た。
「さっきより、変じゃない」
*
俺はレンの詳細を開いた。
R。
何度見ても、そこは変わらなかった。
能力の数字も、沈烈とは比べものにならない。
けれどレンは、俺が表示を読んでいる間も喋り続けていた。
「ここ、カイの城?」
「俺の城だよ」
「じゃあ、お前がこいつを呼んだのか」
「最初に来た武将だった」
「へえ。困っただろ」
「お前が言うな」
カイがすぐに返す。
「まだ何もしてないけど」
「するだろ」
「決めつけるなよ」
俺は二人を見比べた。
沈烈が話すのは、不思議ではない。
URなら、それくらい話せる。
だが、目の前のレンはRだった。
なのに、受け答えも、表情も、カイとの言い合いも、何一つぎこちなくなかった。
初めてカイと会った時の違和感が、別の顔で目の前に立っていた。
*
技能を確かめようとして、指が止まった。
普通の武将と同じようには、読み取れなかった。
カイの時と似ていた。
数字だけを見ていれば、低い位の武将だと思う。
だが、それだけでは説明できないものがある。
「お前も、強い相手に強くなるのか」
俺は尋ねた。
レンは少し驚いたように俺を見た。
それから、カイへ顔を向ける。
「話してるんだ」
「いろいろあった」
「だろうな」
レンは、広間の奥に立つ沈烈をちらりと見た。
「一番上の連中が相手なら、仕事がある」
俺は息を止めた。
カイと同じだった。
誰にでも強いわけではない。
普段の数字だけでは頼りなく見えるのに、最高位の相手へ向き合った時、妙な強さを見せる。
格上殺し。
俺たちが、そう呼んできたもの。
同じ性質を持つRが、もう一人いた。
*
「でも、カイが二人になるって話じゃない」
レンが言った。
「どういうことだ」
「俺は、こいつの隣がいい」
そう言って、カイの肩を指した。
俺は部隊の編成を開いた。
レンを動かそうとすると、見慣れない選択が現れた。
カイの副将。
俺はしばらく、その文字を見た。
土地へ置く副将とは、別だった。
カイと組ませるための項目がある。
説明は長くなかった。
二人が同じ対象の土地へ接する時、格上への補正が、さらに強まる。
俺は読み返した。
一緒に城にいるだけではない。
別々の場所で、それぞれ戦っているだけでもない。
同じ土地を前にして、カイとレンが組む。
その時に、カイがこれまで一人で発揮していた力が、変わる。
「これ、お前は知ってたのか」
カイへ尋ねると、首を横に振った。
「文字で見るのは、初めて」
「でも?」
カイはレンを見た。
「そう動けばいいのは、分かる」
レンも頷いた。
「こいつが前を見るなら、俺は横を見る。そういう感じ」
「説明が大ざっぱすぎる」
「俺も、まだうまく言えない」
レンは困ったように笑った。
その顔には、誤魔化している感じがなかった。
知っている動きと、説明できる記憶が、うまくつながっていないようだった。
*
沈烈が、静かに口を開いた。
「試すなら、手順を決めたほうがいい」
俺はそちらを見た。
今日、迎えたばかりのURだった。
気づけば俺は、Rの二人にばかり目を向けていた。
沈烈は気にした様子もなく、地図を指した。
「不明な力を、最初から攻略の前提には置けない。何が起きたかを見分けられる形で確かめるべきだ」
「ああ。そうだな」
俺は頷いた。
大城の前で、いきなり試すわけにはいかない。
守備に何がいるかも、まだ全部は分かっていない。
そこには、ほかの同盟も来ている。
こちらだけの都合で戦闘を始めれば、今日までの話が変わってしまう。
「明日は、予定どおり会談に行く」
俺は言った。
「レンのことは、まず晴たちに伝える。力の確認は、別に考える」
カイもレンも、頷いた。
*
晴へ最初に送ったのは、沈烈の情報だった。
返事は、すぐに来た。
『URですか!』
続いて、もう一通。
『おめでとうございます! 会ってみたいです』
俺は笑った。
ようやく、自分にもURが来たのだという実感が戻ってきた。
強い武将を迎えた。
同盟の攻略で、任せてもらえることも増える。
それだけでも、大きな出来事だった。
俺は続けて書いた。
『それと、もう一人来た』
『どんな人ですか?』
手が止まった。
R。
よく喋る。
カイを知っている。
カイと同じように、格上にだけ妙な強さを持つ。
そして、二人で組むと、その力が強くなる。
どこから書けばいいのか、分からなかった。
俺は結局、こう送った。
『カイの相棒らしい』
今度の返事には、少し時間がかかった。
『そっちも、詳しく聞きたいです』
*
夜、広間を片づけに戻ると、カイとレンが窓辺に座っていた。
同じ椅子に無理に座っているわけではない。
少し離れ、互いの顔が見える位置にいる。
どちらかが話す。
もう一人が笑う。
何を話しているのかは、入口からでは聞き取れなかった。
俺が入ると、カイが顔を上げた。
「明日、こいつも行く?」
「大城か」
「うん」
俺はレンを見た。
レンは、さっきまでの笑いを少し収めて頷いた。
「見たい」
「何か、分かりそうか」
「分からない」
返事は正直だった。
「でも、カイが変な感じを覚えた場所なら、俺も見ておきたい」
俺は少し考えた。
同行する人数や移動については、先方へ知らせればいい。
攻撃するわけではない。
「分かった。来てくれ」
レンは頷いた。
*
部屋を出る前、カイが小さな声で言った。
「今度は、横にいるんだな」
俺に向けた言葉ではなかった。
レンがカイを見る。
すぐには返さなかった。
やがて、いつもの軽い調子より少し低い声で答えた。
「ああ」
それだけだった。
カイも、何も続けなかった。
俺は二人に声を掛けず、静かに広間を出た。
明日、会う相手の名を確かめなければならない。
大城の攻略方針も、まだ何も決まっていない。
自分の城には、初めてのURが来た。
考えることはいくらでもあった。
それでも、その夜、何度も思い出したのは、レンを見た時のカイの顔だった。
あんな顔もするのだと、俺は初めて知った。




