みたまんま
第六十八話 強さの順番
カイが負けた。
木剣を拾いに行く背中を見ながら、俺は記録の端へ小さく印を付けた。
今日、三つ目だった。
「もう一回やるか?」
伊織が聞いた。
カイは手首を回してから、首を振った。
「ちょっと休む」
相手の暁山は、長い訓練槍を下げて待っていた。
息は乱れていない。
最初にこの二人が手合わせしたときは、もう少し長く続いた。カイが踏み込み、暁山が受け、見ているこちらまで肩に力が入ったのを覚えている。
今日は、そこまで行かなかった。
一度目は踏み込む前に止められた。
二度目は槍を避けた先に、石突が来た。
三度目は、木剣を弾かれた。
「強くなったなあ」
戻ってきたカイが言った。
「暁山?」
「うん。前は、もうちょっと何とかなったんだけど」
伊織が水を渡す。
「ずっと鍛えてるからな。装備も替えた」
「俺も畑はやってる」
「畑と比べられても困る」
カイは笑った。
俺も少し笑ってから、記録へ目を戻した。
最近、こういうことが増えていた。
*
カイが弱くなったわけではないと思う。
走る速さも、荷物を持つ力も、以前と変わった様子はない。陸たちと訓練するときは、今でもずいぶん器用に相手をしている。
ただ、周りが育っていた。
SSRを引いたばかりの頃には、持っているだけで喜んでいた君主たちも、今は武将に合わせて兵を揃え、装備を選び、訓練を重ねている。
暁山も、その一人だった。
「前の記録と並べてみますか」
伊織に言われ、俺は古い紙を出した。
カイは隣で水を飲んでいる。
「嫌じゃないか?」
「何が?」
「負けたところを、こうやって比べるの」
「負けたところなら、俺も知りたいけど」
そう言って、紙をのぞき込んだ。
しばらく眺めてから、自分が木剣を落とした箇所を指す。
「ここ、持ってかれたんだよな」
「うん」
「避けるつもりだった」
「避けてはいたぞ」
伊織が言った。
「その次に追いつかれた」
「そう。それ」
カイは少し考えた。
「前のつもりで動いたのが、駄目だったかな」
言い訳を探している様子はなかった。
俺は記録の横へ、そのまま書いた。
*
晴が来たのは、昼を少し過ぎた頃だった。
巨嶽も一緒だった。
門のところで一度止まり、通ってよいか聞いてから入ってきたという。
約束を覚えていてくれたらしい。
「釣り、明日でも大丈夫ですか?」
晴は俺より先に、カイへ聞いた。
「いいよ」
「朝、川を見てきたんですけど、昨日より濁ってて」
「じゃあ、今日は?」
「こっちに来ました」
カイがうなずく。
それで十分に話が通じたらしい。
晴は訓練場を見回した。
端へ寄せてある木剣と、暁山の長い槍に目を止める。
「手合わせですか?」
「うん。負けたところ」
カイが答えた。
「カイさんが?」
「三回」
「じゃあ、巨嶽ともやります?」
俺は顔を上げた。
話のつながりが分からなかった。
晴は巨嶽を見上げている。
「いつも同じ相手だと、飽きませんか?」
巨嶽はすぐには答えなかった。
まずカイを見て、それから俺を見た。
「お許しがあれば」
低い声だった。
カイは、拾ってきた木剣へ目を向けた。
「俺はいいけど」
俺は少し迷ってから、伊織と顔を見合わせた。
*
使う得物を替えた。
巨嶽の武器にちょうどよい訓練用の代わりはなかったので、長い木の棒を選び、先へ布を巻いた。
それでも、持つ人間が変わると別のものに見えた。
巨嶽が軽く構えただけで、俺は見物の位置を後ろへ下げた。
身体へ当てる前に止める。
どちらかが続けられないと思ったら、その時点で終わる。
二人に確かめてから、始めてもらった。
巨嶽が一歩進んだ。
カイが横へ動いた。
長い棒が、その動きを追う。
先ほどの暁山との手合わせなら、ここでカイは距離を詰めきれずに止まっていた。
今度は、違った。
木剣が棒の途中へ触れた。
乾いた音がして、カイの身体が巨嶽の正面から消える。
いや、横へ回っただけだった。
巨嶽も向きを変えた。
カイはすでに離れていた。
「……あれ」
伊織が小さく言った。
俺は返事をしなかった。
巨嶽が棒を持ち直す。
さっきより短く持っていた。
*
長く続いた。
少なくとも、今日の暁山との三回を合わせたよりは。
カイが一方的に逃げているわけでもなかった。
踏み込む。
棒の先を外す。
巨嶽が引き戻す前に、木剣が腕の近くまで届く。
そこで巨嶽が半歩退く。
俺はその足を見た。
あの巨嶽が、退いていた。
玲山城の戦闘記録を見返したとき、何度も止めた箇所があった。
守備兵が正面から押されるところ。
攻撃を受けても、巨嶽の前進が止まらなかったところ。
その巨嶽が、今はカイに合わせて間合いを取り直している。
隣で晴が楽しそうに見ていた。
「カイさん、すごいですね」
俺はうなずきかけて、止まった。
何が起きているのか、まだ分からなかった。
巨嶽の棒が、低く回る。
カイが跳ぶほどではない小さな動きでそれを外し、着地と同時に前へ出た。
木剣の先が、巨嶽の胸元で止まった。
巨嶽の棒も、カイの肩のすぐ横にあった。
二人とも動かなかった。
「ここまで」
伊織が言った。
カイが大きく息を吐く。
巨嶽は棒を下げ、一礼した。
*
「どっち?」
晴が聞いた。
「今のは、どっちとも言えない」
伊織が答えた。
「じゃあ、引き分けですね」
晴は満足そうだった。
カイは膝へ手をつき、息を整えていた。
「疲れた」
「大丈夫か?」
「うん。水ある?」
渡すと、座り込んで飲み始めた。
巨嶽は布を巻いた棒を確認していた。
途中に細い傷が付いている。
木剣が何度も当たったところだった。
伊織が巨嶽へ尋ねた。
「加減を変えたのか?」
「怪我をさせぬようには」
「暁山と同じ条件で?」
巨嶽はうなずいた。
それから、少し間を置いた。
「容易には、止められませんでした」
カイは水を飲んでいて、返事をしなかった。
*
晴たちが帰る前に、カイは暁山ともう一度だけ手合わせした。
本人がやりたいと言った。
十分に休んでからだった。
今度は俺も、さっきまでとは違うつもりで見た。
足。
踏み込む位置。
相手の得物に触れる瞬間。
巨嶽のときと、何が違うのか。
カイが動いた。
暁山の槍が下がった。
木剣が触れたところまでは、似ていた。
その次に、カイの身体が止まった。
槍の柄が腹の前へ入り、もう一歩進めなくなる。
「参った」
カイが言った。
早かった。
晴が首を傾げた。
俺も、たぶん同じ顔をしていた。
*
夕方、机へ二枚の記録を並べた。
暁山。
巨嶽。
SSRと、UR。
カイの表示も開く。
R。
いつものままだった。
「相性かな」
俺が言うと、カイは椅子の背へ腕を掛けた。
「そうかも」
「巨嶽の方が、やりやすかった?」
「うん」
「どこが?」
カイは答えようとして、口を閉じた。
少し考えてから、木剣を握るように手を動かした。
「来るところへ、間に合う感じ」
「暁山には?」
「間に合わない」
俺は二枚の記録を見た。
巨嶽の動きが遅かったとは思えない。
単に身体が大きいから、というだけでも説明できそうになかった。
「明日もやってみるか?」
言ってから、カイを見る。
カイは困った顔をした。
「明日は釣り」
「ああ、そうだった」
「その後なら、いいけど」
俺は記録を重ねた。
今日のところは、見たことだけを書いておくことにした。
暁山には四敗。
巨嶽とは、決着せず。
少し迷って、もう一行足す。
カイ本人は、巨嶽の方がやりやすいと言っている。
「何か分かった?」
カイが聞いた。
「まだ」
「そっか」
それ以上、聞かれなかった。
カイは立ち上がり、明日持っていく椅子を探し始めた。
俺はその背中を見ながら、表示をもう一度開いた。
何度見ても、Rのままだった。




