名前は大事
第六十三話 三十二人にも名前を
巌が紙を持ってきた。
玲山城の攻略案かと思って、机の上を空けた。
巌は座ると、真剣な顔で言った。
「名前が要ると思う」
「何のですか」
「俺たちの」
俺は同盟の表示を見た。
北西の猫。
変わっていなかった。
*
発端は、掲示板だった。
北東から戻ってきた同盟員が、今回の戦いについて書いていた。
途中までは、部隊の話だった。
城を取ったこと。
帰り道で待ったこと。
久しぶりに自分の城で飯を食ったこと。
その中に、一文があった。
『やっぱり、最初の七人はすごかった』
その下にも、返信が付いている。
『指示が細かくなってから、急に戦いやすくなりました』
『七人で話が通っているのが早い』
『あの人たち、普段は芋の話をしてるんですけどね』
最後は玄だった。
自分も七人に入っているのに、他人のように書いている。
「格好いいだろう」
巌が言った。
「芋ですか?」
「最初の七人だ」
俺は、もう一度その一文を読んだ。
「入った順番の話ですよ」
「だが、呼ばれると、お前たちだと分かる」
「まあ、それは」
「俺たちも、三十二人いた」
そこでようやく、分かった。
*
猫の前足。
一時的に同盟を分け、巌と一緒に前へ出た三十二人。
城の再配下化を防ぐ期間を使い、守備へ残すはずだった兵まで出して、何度も攻撃した。
同盟としては、もう役目を終えている。
皆、北西の猫へ戻った。
巌は、あの三十二人で使う呼び名が欲しいらしかった。
「前足があるじゃないですか」
俺が言うと、巌は頷いた。
「分かりやすい」
「自分で付けたでしょう」
「うむ」
「気に入ってなかったんですか?」
「気に入っている。だが、もう少し、こう……」
巌は手を開いた。
何か大きなものを掴もうとしているようだった。
「名乗れるやつがいい」
俺は笑いを堪えた。
巌は本気だった。
*
紙には、すでに候補が書いてあった。
三十二烈士。
不滅三十二騎。
北西不死隊。
俺は上から読んで、顔を上げた。
「三十二烈士って、誰が考えたんですか」
「俺だ」
「不滅三十二騎は?」
「それも俺だ」
「全部、巌さんじゃないですか」
「だから相談に来た」
カイが茶を運んできた。
紙を覗いて、首を傾げる。
「みんな馬に乗ってたの?」
「いや。騎兵だけではない」
「じゃあ、三十二騎は違うんじゃない?」
巌はしばらく黙った。
それから、候補に一本線を引いた。
ちゃんと聞くのが、巌らしかった。
*
昼には、同盟内の掲示板に新しい話題ができていた。
『旧・猫の前足の三十二人へ。呼び名を考えたい』
巌の投稿だった。
返事は早かった。
『前足では駄目ですか』
『俺は前足って呼ばれるの好きです』
『ゾンビ隊よりは何でもいいです』
巌が、その三つ目へ返していた。
『俺もそう思う』
少しして、別の者が書いた。
『不死隊なら、だいたい同じでは』
俺はそこで吹き出した。
玄から書簡が来た。
『見てる?』
『見てる』
『巌さん、すごく真面目に返してる』
本当だった。
『意味は近いが、響きが違う』
*
夕方、用事を終えた者たちが集まった。
三十二人全員ではない。
城の修繕を見ている人も、兵の補充を進めている人もいる。
来られない人は、掲示板で参加していた。
玄は、三十二人に入っていないのに座っていた。
「何でいるんだ?」
俺が聞くと、玄は答えた。
「名前を考えるのが好きだから」
西端を作ったときには、分かりやすければいいと言っていた気がする。
自分以外の名前を考えるのは、別らしかった。
「三十二肉球」
玄が言った。
巌が首を振る。
「格好いいものを頼む」
「猫の同盟だし」
「それは分かるが」
参加していた男が、指で数え始めた。
「三十二人いたら、肉球は三十二個じゃ足りないんじゃないですか」
「人間にはないでしょう」
葉が言った。
話が、早くも名前から離れていた。
*
律は、少し離れた席で笑っていた。
「七人の方は、別に名乗ってないよね」
「そうなんだよ」
俺は頷いた。
「勝手にそう呼ばれてるだけで」
それを聞いた巌が、こちらを向いた。
「そこがいいんだろう」
「何がですか」
「本人たちが名乗らなくても、周りに通じる」
俺は返す言葉を失った。
巌の横で、三十二人の一人が頷いていた。
「掲示板で、七人って書いてあったら分かりますからね」
「前足でも、分かると思いますけど」
「分かるんですけど……紹介欄に書くなら、もう少し強そうなのも欲しくて」
少し照れた顔だった。
俺は、ようやく笑うのをやめた。
皆、覚えておきたいのだろう。
同じ時期に城を離し、同じ作戦へ手を挙げたことを。
同盟の名前が消えても、あの三十二人だったと言える何かを。
*
「帰ってきた感じの名前は?」
カイが言った。
巌が顔を向ける。
「帰ってきた?」
「何度も戻って、また出たんだろ。最後は、みんなここに戻ったし」
少し静かになった。
紙を持っていた圭が、何か書いた。
帰還。
再起。
不屈。
巌が、最後の言葉を指した。
「それはいいな」
掲示板へ候補を載せる。
『不屈三十二衆』
すぐに返事が来た。
『格好いい』
『ちょっと強すぎませんか』
『名前くらい強くてもいいでしょう』
巌が、満足そうに頷いた。
「これだ」
*
そのまま決まるかと思ったが、また相談になった。
前足の名前も残したい。
堅い名前は、少し恥ずかしい。
でも、三十二人で何か揃えるのはいい。
巌は、その意見を一つずつ読んだ。
戦争中より、返事を待つ顔が楽しそうだった。
結局、掲示板の題はこうなった。
『猫の前足――不屈三十二衆』
普段は前足。
格好をつけたいときは、不屈三十二衆。
俺は、それでいいのかと思った。
当人たちは、ずいぶん納得していた。
「名乗るときは、長い方ですね」
一人が言う。
「うむ」
巌が大きく頷いた。
「名乗るときって、いつですか」
葉の質問には、誰もすぐ答えなかった。
*
最初に名乗ったのは、巌だった。
翌朝、玲山城の攻略に向けた確認の席で、堂々と言った。
「猫の前足、不屈三十二衆。準備できている」
杏が紙を見た。
「今日は、そのうち何人が出られますか」
「……確認する」
「お願いします。武将と兵種も」
俺は下を向いた。
横で玄の肩が揺れていた。
巌は気にせず、出兵できる者を確認し始めた。
呼び名が格好よくなっても、全員がいつでも出られるわけではない。
それは、前と同じだった。
*
午後には、自己紹介が少しずつ変わっていた。
『北西の猫所属。不屈三十二衆の一人です』
『旧・猫の前足。帰還しました』
『不屈三十二衆。今は倉庫を直しています』
書き方は、皆違った。
揃えたのは、あのとき一緒にいたということだけだった。
巌の紹介も変わっていた。
『北西の猫。不屈三十二衆。飯は大勢で食う方がうまい』
その下に佐伯が書き込んでいた。
『明日の打ち合わせは、巌さんお一人で大丈夫です』
巌の返事。
『三十二人で行くとは言っていない』
俺は笑いながら、画面を閉じた。
*
「お前たちは、付けないのか?」
カイが聞いた。
「何を?」
「格好いい名前」
「七人の?」
「うん」
俺は少し考えた。
巌があれだけ楽しそうにしていたので、悪くない気もした。
玄に聞けば、いくらでも候補を出してくれそうだった。
ただ、まともなものになる気はしない。
「最初の七人でいいかな」
「ふうん」
「十分、分かるだろ」
カイは頷いた。
そこへ玄から書簡が届いた。
『こっちも七本爪とかにする?』
俺はすぐ返した。
『しない』
少しして、巌からも届いた。
『七人の方の名前も、必要なら考えるぞ』
俺はしばらくその書簡を眺めた。
それから、カイへ見せた。
「まだ考えたいらしい」
カイが笑った。
「楽しいんだろ」
俺も笑って、巌へ返した。
『今度、飯のときに聞きます』
了承は、出兵の返事と同じくらい早かった。




