解体
第六十二話 帰る方角
蒼穹の本拠へ続く、最後の道が見えた。
まだ、城へ部隊を入れたわけではない。
けれど、その手前で援軍を出していた二つの城から、戦闘停止の了承が届いていた。
残る守備の数も、だいたい分かっている。
強い部隊はいた。
最後まで指示を守り、崩れずに下がった者たちだった。
その相手と、もう一度戦う準備をしていた。
杏が、到着時刻を読み上げる。
巌から、破岳を出せると連絡が来る。
俺は地図を広げ、湊の部隊をどこで休ませるか考えていた。
そこで、佐伯が言った。
「降伏の申し入れです」
俺は顔を上げた。
「個別ですか」
「蒼穹の盟主からです」
*
書簡は短かった。
同盟としての降伏を希望する。
攻撃を停止し、条件を協議したい。
以前のような返還要求は、書かれていなかった。
俺は二度読んだ。
それから、前線へ連絡を送った。
『本拠への攻撃を保留。現在の持ち場で待機してください』
停止の返事が揃うまで、書簡から目を離した。
今は、こちらが止まれるかを確かめる方が先だった。
玄。
湊。
真木。
杏。
最後に、巌から返事が来た。
『止めた。帰る相談ができるな』
俺は椅子へ深く座った。
肩が、思っていたより痛かった。
*
今度の協議では、蒼穹と天衡の解体を求めた。
個別に降伏した君主の扱いは、すでに約束している。
それを、同盟全体の降伏を理由に厳しくするつもりはなかった。
ただ、二つの同盟が同じ指揮のまま残れば、また兵を集められる。
天衡には、一度残したあとに攻められている。
佐伯が、そこを説明した。
「同じ条件で、もう一度手を打つことはできません」
鷲尾からは反論があった。
蒼穹の代表も、すぐには頷かなかった。
けれど、本拠へ続く道には、まだ俺たちの部隊がいた。
休ませながら待っている。
交渉が長引けば、攻める力が自然になくなる状況ではなかった。
白瀬は、今回は天衡を残す案を出さなかった。
代わりに、所属していた君主の行き先を確認した。
「全員を、北西の猫の配下に置くお考えですか」
俺は首を横に振った。
「北東からは、引きます」
*
少し、間が空いた。
地図の上では、俺たちの色が北東へ入り込んでいる。
城を取った。
土地をつないだ。
そこから先へ進める足場もある。
「取得した城も、手放すということですか」
「撤収に必要な確認をしてから、配下関係を解きます。北東の奥に、こちらの前線は残しません」
言ってから、巌を見た。
巌は頷いた。
これは、協議の前に話してあった。
俺たちの城から遠い。
守り続けるなら、誰かがそこへ兵と時間を出し続けることになる。
何より、北東を取るために始めた戦争ではなかった。
「南西の皆さんが、以前そうしてくれました」
俺は瀬名へ目を向けた。
「北西で戦って、そのあと、実際に帰ってくれた。あのとき、こちらは助かりました」
瀬名は少しだけ目を伏せた。
「覚えていただいていたんですね」
「覚えています」
地図から色が消えていくところまで、見ていた。
*
撤退を決めたからといって、その場で全部を放すわけにはいかなかった。
降伏した城のすぐ隣に、まだ戦っている部隊がいる。
帰還中の兵が使う道もある。
同盟の砦は、君主の居城とは別に引き継ぐ必要があった。
葉と佐伯が、一覧を作った。
律は、北東の独立同盟へ連絡を取った。
東稜会。
長風。
月白。
それ以外にも、近くの君主を受け入れられるところがあるか聞いた。
行き先は、本人にも選んでもらう。
名前だけ消して、人と城を置き去りにすれば、別の争いになる。
蒼穹の解体には、数日を使った。
*
小野寺は、東稜会へ行くことになった。
城の位置が近く、以前から話したことのある相手もいたらしい。
佐伯へ届いた書簡には、礼が書かれていた。
『紹介した者たちも、それぞれ行き先が決まりそうです』
その下に、一文。
『最後に、ちゃんと帰れる話になってよかったです』
俺は地図で、小野寺の城を探した。
こちらが攻めなかった城。
そこから、何人もの相談が来た。
次に表示を開く頃には、所属する同盟名が変わる。
北西の猫の人数には入らない。
それでも、知らない人に戻るわけではなかった。
『今後、近くを通ることがあれば、先に連絡します』
そう返した。
*
北西との境界に近い君主からは、加入の希望があった。
遠くの同盟より、普段の相談がしやすい。
すでにこちらの者と顔見知りになっている。
理由はそれぞれだった。
俺たちは、城の位置と本人の希望を確認し、少しずつ受け入れた。
大勢をまとめて引き受けることはしなかった。
北東の奥にいる人には、困ったときにすぐ助けられるとは言えない。
その説明をして、近くの同盟を紹介した。
巌たちの猫の前足も、役目を終えた。
配下関係を解き、合流の手続きを進める。
一覧に、見慣れた名前が戻ってきた。
巌の名前もあった。
「盟主、戻しますか」
俺が聞くと、巌は笑った。
「帰ってきたばかりの人間に、もう仕事を渡すのか」
「もともと巌さんの仕事でしょう」
「今は、お前の仕事だ」
少し真面目な声になった。
「続けろ。俺も、やることはある」
俺はしばらく黙ってから、頷いた。
*
蒼穹の同盟名が、一覧から消えた。
天衡も消えた。
城そのものがなくなったわけではない。
暮らしている人も、育てた施設も、そのまま残っている。
ただ、同じ名前の下で動いていた大きな色が、いくつにも分かれた。
東稜会の色が増える。
長風の領地に、城が加わる。
別の場所では、小さな同盟が人を受け入れていた。
その間から、俺たちの部隊が西へ戻った。
湊が最後の通過を知らせる。
真木が、取り残した部隊がないことを確認する。
俺は、北東に残していた攻撃用の足場を、一つずつ返していった。
*
上位同盟の協議が再開されたのは、撤退の途中だった。
今度は、地図の色が変わっている。
前の席にいた者が、もういない。
代わりに、北東で君主を引き受けた同盟の代表が増えていた。
話題は、指定城だった。
玲山城。
南西の境界外にある一城。
東部で赤城連盟と東雲が争っていた城。
戦争の間も、そこには守備兵がいた。
報酬の数字も変わっていない。
「北西の猫は、玲山を攻略する準備ができているのですか」
白瀬に聞かれ、俺は頷いた。
「兵を休ませて、組み直せば。今すぐ無傷で取れるとは言いませんが、攻略の見通しは立っています」
杏が用意した記録を出した。
守備の確認。
必要な部隊。
耐久を削る順番。
予備の兵と、失敗した場合の帰還先。
最初に玲山城が出た頃から、少しずつ直してきた紙だった。
*
白瀬は、その日付を見た。
「この時点で、ここまで考えていたのですか」
「はい」
「攻めなかったのは」
「石垣会との話が終わっていませんでした。そのあと、戦争になりました」
隣で、石垣会の代表が頷いた。
こちらが待っていたことは、先方が一番よく知っている。
兵が足りなくて、何もできずにいたわけではない。
取ったあとに誰と揉めるのか分からないまま、押し切ることをしなかった。
その違いを、初めてきちんと見てもらえた気がした。
「北東にも、手の届く指定城はありましたね」
別の代表が言った。
「ありました」
「そちらも、取らずに帰ると」
「北東の方たちで相談してもらいたいです」
俺が答えると、しばらく紙をめくる音だけがした。
*
「私は、前の案を進めてよいと思います」
最初に言ったのは、瀬名だった。
北東から戻っている部隊の報告を、すでに受け取っているという。
「取れる力があっても、取り決めを待つ。引くと言って、実際に引く。そこが確認できるなら、隣の城が攻略されることだけを恐れて兵を出す必要はありません」
白瀬が頷いた。
「こちらも、合意した城の攻略には干渉しません」
赤城連盟と東雲の代表が、地図へ顔を寄せた。
前回は、相手の進出を止める話ばかりだった。
今度は、どこまでが攻略のための通路なのかを確かめていた。
城を取ったあと、その道をどうするか。
隣接する中小同盟へ、いつ知らせるか。
曖昧なところを残さないように、佐伯と律が書き留めていく。
すべての人が、急に仲良くなったわけではない。
ただ、隣の攻略部隊を止めるために、自分の攻略を止め続ける話は、終わりに近づいていた。
*
数日後、東部の城で戦闘が始まった。
赤城連盟の攻略だった。
東雲は、合意した道から部隊を引いていた。
翌日には、別の城へ東雲の部隊が向かった。
赤城連盟から、横槍は入らなかった。
南西中央同盟は、協議で認められた境界外の一城へ進んだ。
瀬名は、通過の開始と終了を知らせてきた。
北東では、東稜会と周辺同盟が役割を分け、攻略する城の順番を決めていた。
届く戦闘報告から、人の城の名前が減った。
代わりに、指定城の名前が増えていく。
失敗した報告もあった。
守備を抜けても、耐久が残ったところがある。
兵を戻し、次の日程を組み直していた。
難しい城であることは、誰もが知っていた。
それでも、互いの背中を気にせず兵を集められれば、挑戦はできた。
*
俺たちも、玲山城へ向かう準備を再開した。
石垣会との取り決めは、書面になった。
使う土地。
資源の提供。
攻略後に残す道。
先方の城の近くへ、勝手に部隊を置かないこと。
了承が届いてから、俺は杏へ知らせた。
『進められる』
返事はすぐだった。
『では、今度こそ城の計算をします』
巌は、破岳の部隊を見に行った。
湊たちは、帰ってきた馬を休ませている。
玄は兵の補充を確認したあと、掲示板へ書き込んだ。
『鉄の試作品、持っていく場所はありますか』
杏が返す。
『まず、決めた攻城兵をお願いします』
俺は久しぶりに、声を出して笑った。
*
最後の帰還報告は、夕食の前に届いた。
北東へ出ていた部隊が、全隊、予定した城へ戻った。
負傷者はいる。
失った兵もいる。
戦う前と、全部同じではない。
俺は報告を閉じ、窓の外を見た。
城門の方から、人の声が聞こえる。
カイが部屋へ入ってきた。
「終わった?」
「帰還は、全部」
「そっか」
椅子へ座り、長く息を吐く。
俺も向かいへ座った。
机には、玲山城の地図が置いてある。
その下には、北東で使った地図があった。
俺は古い方を抜き取り、畳んだ。
捨てはしない。
けれど、明日の出兵を決めるために開く必要は、もうなかった。
「今度は、あの大きい城?」
カイが聞いた。
「うん。皆で取る」
「帰るところまで?」
「もちろん」
カイが頷いた。
廊下から、周が食事の用意ができたと知らせてくれた。
俺たちは地図を置いて、席を立った。




