↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
60/200

ピーク

第五十九話 遠慮は終わり


 蒼穹から届いた二通目の書簡を、俺は最後まで読めなかった。


 返還。


 解放。


 撤兵。


 こちらが先に譲るものばかりが、整った文章で並んでいた。


 巌の城へ兵が向かったとき、この人たちは何を見ていたのだろう。


 城を守った兵のことは。


 道を確かめに出た者のことは。


 やっと落ち着いて、敷物を見せ合っていた午後のことは。


 そんなものは、交渉の材料にもならないのか。


 胸の奥が熱くなった。


 怒っている。


 それは分かった。


 けれど、その熱が大きくなる速さに、俺自身が追いつけなかった。


 机に置いた指が、紙の端を押し潰していた。


「おい」


 カイの声で、顔を上げた。


「今、何を送ろうとしてた?」


 返信欄を見た。


 覚えのない言葉ではなかった。


 俺が考えて、俺が書いた言葉だった。


 ただ、読み返すと、敵へ送る文章というより、怒りを投げつけるためだけのものだった。


 全部消した。


     *


「変だった?」


 俺が聞くと、カイは少し考えた。


「怒るのは分かる」


「うん」


「でも、さっきは俺が呼んでも聞こえてなかった」


 俺は椅子へ座り直した。


 ここへ来たばかりの頃。


 この世界を、妙に受け入れてしまっていると話したことがあった。


 今度は逆だった。


 争う理由を渡された途端、何かに背中を押されているような気がする。


 それが疲れなのか。


 積もった怒りなのか。


 ほかの何かなのか。


 分からなかった。


「覚えておいてくれ」


「何を?」


「今、俺が変だったこと」


 カイが頷く。


「でも、怒るのはやめないんだろ」


 俺は地図を見た。


 蒼穹の部隊が、また一つ、こちらの領地へ入っていた。


「やめない」


 声に出すと、さっきより低い声になった。


「勝つ方に使う」


     *


 最初の七人に、連絡をつないだ。


 俺。


 玄。


 葉。


 朔。


 杏。


 岳。


 律。


 全員を一つの城へ呼ぶ時間はない。


 それぞれの机、それぞれの地図の前で、同じ報告を開いた。


「苦しい」


 俺は最初に言った。


「前足の保護が切れるまでに守備を戻したい。取った城も守りたい。でも、同じ数を同じようにぶつけていたら、向こうの新しい部隊に押される」


 誰も否定しなかった。


 七人だけで戦うわけではない。


 巌もいる。


 湊たちもいる。


 二百人近い仲間が、持ち場で動いている。


 だからこそ、俺たちが迷ったまま指示を増やすわけにはいかなかった。


「ここから、俺たちでひっくり返したい」


 地図の西側を示す。


 知っている道。


 何度も歩いた土地。


 城を育てながら、少しずつ記録してきた場所。


「人数が足りないから、もっと出してくれ、だけでは終わらせたくない。まだ使ってないものがあるだろ」


 玄が、短く笑った。


「ある」


     *


「正直、遠慮してた」


 玄が言った。


「合併してから、細かく言いすぎると、前の同盟のやり方を押しつけてるみたいになるだろ」


 俺は黙った。


 思い当たることがあった。


 土手のどちら側を歩くか。


 待つときに、どちらへ馬の頭を向けるか。


 交代する兵を、先にどこへ並べるか。


 大まかな出兵予定だけでも、皆には十分な仕事がある。


 そこへ、さらに細かい注文を付けることを、俺もためらっていた。


「説明してもらってからでは間に合わないこともあるし」


 葉が続けた。


「だから、分かる人だけで直していたところがあります」


「それを全部、君主経由にする必要はない」


 岳が言った。


「現地で見ている武将に、どこまで任せるかを決めればいい」


 杏が頷いた。


「時刻だけで揃えるのも、もうやめたい。敵が止まれば、こっちも止めないといけない」


 朔の声が続く。


「補給も、城から出した時刻ではなく、兵が受け取ったところまで見ます。途中で詰まっているものがあります」


 律は、少し遅れて口を開いた。


「外への説明は、佐伯さんと引き受ける。現場の連絡に、交渉の返事を混ぜないようにする」


 七人とも、言うことがあった。


 昨日まで、それぞれ少しずつ飲み込んでいたものだった。


 俺は頷いた。


「出そう。全部」


     *


 巌へ連絡した。


 こちらで決めた持ち場の範囲では、現地の指揮役に細かな変更を任せたい。


 出兵する人数と、守る城は変えない。


 動き方を変える。


 巌の返事は早かった。


『そのために任せた。俺にも、必要なら細かく言え』


 俺は少し笑った。


『では、前足の帰還路を二つに分けてください。同じ門から全部入れると、補充待ちの兵と詰まります』


 少し間が空いた。


『いきなり細かいな』


 続けて来た。


『分かった』


     *


 玄が持ち出したのは、鉄の塊だった。


 最初に作った、笑うしかなかった重さのものではない。


 何度か作り直した、短い柄の付いた槌。


 片手で振り回すには重い。


 けれど、足を止めて両手で扱うなら、戻せる。


「これを、全員に持たせるのか?」


 俺が聞くと、玄は首を振った。


「持てる人にだけ。あと、走らせない」


 任せる場所は、狭い曲がり角の内側だった。


 盾を持った兵が前へ出る。


 相手が詰めてくる。


 長い武器を振る幅がなくなる。


 そこで、後ろから交代して一撃を入れる。


 重さで押したあと、すぐに盾の後ろへ戻る。


 玄は武将たちに何度も動かせ、戻る場所まで確かめた。


 攻撃力の表示は変わらなかった。


 新しい技能も付かなかった。


 それでも、古い盾を相手にした練習では、受ける側の姿勢が崩れた。


「鉄は?」


 葉が聞いた。


「今回は、用意した分だけ」


「追加で作らない?」


「今日は作らない」


 葉が了承した。


 俺は、そのやり取りで少し肩の力が抜けた。


     *


 岳が選んだのは、城の外にある石垣沿いの道だった。


 両側が完全に塞がれているわけではない。


 迂回はできる。


 ただ、脇へ出ると地面が下がっていて、まとまった列のままでは進みにくい。


 蒼穹の部隊は、前にここを通ったとき、道を選んでいた。


 その記録がある。


「また道を選べば、玄が受ける。脇へ広がったら、追わずに下がる」


 岳は二つの動きを決めた。


 相手が思いどおりに来ることを、前提にはしなかった。


 カイと冬馬が、現地で目印を確認する。


 崩れた石垣。


 二股になった木。


 ぬかるみの始まる位置。


 地図上の座標だけでは、立つ場所までは伝わらない。


 兵を置く向きまで合わせてから、俺たちは待った。


     *


 最初の接触では、蒼穹が止まった。


 前日と同じだった。


 こちらが下がっても、簡単には追ってこない。


 俺は、予定どおり凌駕を待たせた。


 敵の先頭が、道の奥を確かめる。


 盾兵が前へ出る。


 その後ろから、槍を持つ兵が続いた。


 人数では、ほぼ同じ。


 先頭の武将は、向こうも高位だった。


 正面からぶつければ、長く削り合う。


 玄は、そこで一歩だけ下がった。


 敵が詰める。


 道が曲がる。


 後ろの兵には、前で起きていることが見えなくなった。


 カイから報告が来た。


『先頭、曲がった。後ろはまだ直線』


 俺は短く返した。


『岳に合図を』


     *


 盾がぶつかった。


 玄の兵は、押し返そうとはしなかった。


 足を置く場所を決め、二人ずつ交代しながら受けた。


 曲がり角の内側から、鉄槌が入る。


 敵の盾が下がった。


 そこへ槍が伸びる。


 一人が崩れると、後ろが前へ出ようとした。


 その後ろも、押している。


 武将が声を張る。


 けれど、角の向こうまでは見えない。


 同じ数の兵がいても、同じ数が戦えているわけではなかった。


 玄から届いた報告は、短かった。


『前、止めた』


     *


 岳の兵が、脇の低い土地から姿を見せた。


 攻撃のために深く入るのではない。


 道に並ぶ敵の側面へ、盾と槍を向ける。


 蒼穹の指揮役は、すぐに対応した。


 後ろの兵を振り向かせる。


 道の外へ広げようとする。


 そこで、列の前と後ろが違う方向へ動き始めた。


 俺は凌駕へ命じた。


「今。側面の奥まで入らなくていい。広がろうとする兵を、道へ戻して」


 騎兵が走る。


 平らな場所を使い、斜面へは踏み込まない。


 敵が槍を揃えるより先に圧力を掛け、そのまま抜ける。


 深追いはしない。


 敵の兵が道へ戻ると、今度は後退しようとする兵と重なった。


 蒼穹の部隊が、初めて大きく崩れた。


     *


 追えば、もっと倒せた。


 俺の中で、また熱が上がった。


 行け。


 今なら行ける。


 そう言いかけたとき、報告が届いた。


『騎兵、二頭遅れています』


 凌駕からだった。


 俺は口を閉じた。


「回収して離脱。玄も交代」


 敵は逃げている。


 だが、こちらも戦った。


 疲れも、傷も、なくなってはいない。


 カイが決められた合図を出した。


 玄の前衛が下がり、次の盾兵が入る。


 新しい兵ではない。


 同じ部隊の中で、まだ前へ出ていなかった兵だった。


 敵の反撃を一度受けてから、全体を引いた。


 退いたのは、こちらが先だった。


 けれど、残った敵は追えなかった。


     *


 そのころ、葉の手元では、別の戦いが終わっていた。


 巌の城へ戻る兵と、補充を運ぶ荷車が、同じ道を使う予定になっていた。


 そこを先に分けた。


 帰還した兵へ渡す物資を、奥の倉庫へ一度運び込むのもやめた。


 担当者を決め、門に近い受け渡し場所で渡す。


 朔が手配した内政武将は、表示上の生産量を上げる仕事を続けている。


 その横で、早苗たちが実際に物が届くまでを揃えていた。


 城の数値は変わらない。


 でも、部隊が再び動ける時刻は早くなった。


 巌から書簡が来た。


『補充、もう済んだのか』


 葉が返す。


『城には前からありました。渡す順番を変えました』


 俺はそれを見て、笑った。


 増やさなくても、使えるものがあった。


     *


 杏は、敵の増援が来る前に、道沿いの土地を取り返した。


 天衡の城には手を出していない。


 再配下化の保護は、まだ残っている。


 狙ったのは、蒼穹が次の出兵に使おうとしていた土地だった。


 到着時刻だけで揃えるのをやめ、玄の戦場から来る報告を待った。


 敵が崩れて下がる。


 増援が、そちらへ向きを変える。


 その空白へ、取得部隊を入れる。


 一つ目。


 二つ目。


 取れたという知らせが、続いた。


 保有者が変わっても、すでに行軍中の敵が消えるわけではない。


 ただ、同じ場所から次々と進路を伸ばすことは、難しくなる。


 俺は、敵の次の動きを考える時間を得た。


     *


 昼過ぎ、蒼穹は二度目の攻撃を出した。


 今度は、石垣の道を避けていた。


 覚えたのだ。


 俺は、その報告を七人へ回した。


 岳がすぐに返す。


『なら、あそこは終わり。次へ移す』


 玄も頷いた。


『鉄槌、運び直すの重いな』


 葉が返した。


『置いていかないでください』


 緊張した連絡の中で、笑いが混じった。


 同じ手が、何度も通るとは思っていない。


 だから、取れた時間で次を作る。


 相手が慎重になって止まるなら、その間に巌の守備を戻せる。


 広く回るなら、移動した分だけ到着が遅れる。


 俺たちが欲しかったのは、敵が間違えるのを待つことだけではなかった。


 相手が正しく対応しても、その対応に時間が掛かるようにすることだった。


     *


 夕方、蒼穹の前線が下がった。


 わずかな距離だった。


 戦争が終わるほどではない。


 天衡も、まだ残っている。


 それでも、朝に失うと思っていた土地へ、こちらの兵が戻った。


 巌たちの城には、予定した守備が入り始めた。


 兵の総数は増えていない。


 途中で新しいSSRを引いた者もいない。


 変わったのは、立つ場所と、渡す順番と、動く合図だった。


 佐伯が、届いた敵の書簡を読んだ。


「伏せていた戦力を投入したのか、と」


 玄が笑った。


「鉄の重さなら、前から言ってたけどな」


 俺も少し笑った。


 全部を説明する必要はなかった。


     *


 七人で、最後の確認をした。


 玄は、槌を扱った者の腕の疲れを報告した。


 次は人数を増やすより、交代を早めた方がいい。


 岳は、敵が避けた道を記録へ加えた。


 杏は、合図を待ちすぎて遅れかけた一隊を挙げた。


 葉と朔は、明日までに戻る兵糧を確かめる。


 律は、蒼穹以外の北東勢力へ、戦線を広げる意思はないと伝えた結果を話した。


 俺は、それぞれの報告を聞いた。


「今日は、戻せたな」


 言うと、玄が答えた。


「まだ戻せる」


 強い言い方だった。


 けれど、朝の俺のように、どこまでも進めると思っている声ではなかった。


 何ができるかを知っている声だった。


 俺は頷いた。


「明日も頼む」


     *


 連絡を終えると、カイが机の前に立っていた。


「今は?」


 短い質問だった。


 俺は、自分の手を見た。


 紙を握り潰してはいなかった。


「まだ腹は立ってる」


「うん」


「でも、さっきより考えられる」


 カイは頷いた。


 俺は記録の端に、一行だけ残した。


 怒りが、急に強くなった。


 理由は、まだ分からない。


 その紙を閉じ、戦場の記録へ戻る。


 今日うまくいったこと。


 失敗しかけたこと。


 次には通じないかもしれないこと。


 書くものは多かった。


 カイが、泥の付いた上着を椅子へ掛ける。


「玄のやつ、持つ人が文句言ってたぞ」


「重いって?」


「効いたけど、重いって」


 俺は笑って、そのまま書いた。


 敵が知らないことを、俺たちは知っている。


 それを一つずつ、明日の指示にしていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。